空気のままではいられない
ミアーラには、三歳年上の姉がいた。名をラティーサと言う。
いつも成績は五番以内、学園での生徒会長で、王太子殿下の婚約者だ。
ラティーサは、華やかな容姿で明るい話題をふりまく令嬢で、気さくな王妃になるだろうと大勢の人気を集めていた。一方でミアーラは物静かな令嬢で、窓辺やベンチで本を読んでいることが多かった。
両親は、いつもラティーサを自慢の娘だと褒める。ミアーラも褒めて欲しかった。けれど、褒められたことがない。成績は確かに姉ほどではないけれど上位だ。それなのに。
婚約者は作れなかった。何故ならラティーサが結婚した後、側近との縁談をまとめることになっていたから。
家では、華やかな王族の婚約者である姉と跡継ぎの弟の話ばかりで、ミアーラは空気のようだった。
(私は、弟よりも勉強ができます。姉よりも刺繍が上手に刺せます。家政の勉強もしっかりできています。……どうして、私だけは話す機会を頂けないのですか?)
ただ、話を聞いて笑うだけ。それをこれから何年続ければいいのか。
だから……姉の婚約を壊そうとしたのだ。簡単なことだった。回りくどいことはしなかった。
王城に招かれて行われた晩餐会で、出された食事用のナイフを首に当てたのだ。
周囲の目が自分に集中して、ミアーラはさらにナイフに力をいれようとする。しかし、その手から給仕によってナイフが叩き落とされた。
取り押さえられながら、ミアーラは叫んだ。
「恥にならない限り、空気のように扱われる場所で生きていたくないわ!」
この後、ミアーラは城に残されて、王妃の庇護下に入った。
「あのやり方は最悪だったわ。もっと他の方法でもよかったのではないかしら?」
ミアーラは暗い目をして言った。
「わざと、そうしました。家族を道連れにするつもりでした」
王妃は、真剣な表情で言った。
「公爵家は道連れにできないわよ」
「え?」
「当たり前じゃない。あの場にいた者にかん口令を敷けば終わり。ラティーサには既に妃教育が施されていて、他の候補はいないもの。婚約はあの子が死なない限り継続よ。そして、あなたの弟が家督を継ぐ。王家はあなたの自傷事件をなかったことにするわ」
晩餐会は、王家と王太子妃となるラティーサの家族が親睦を深める意味で行われていた。他の貴族は招かれていなかったのだ。
「そうですか。ならそれでいいです」
「あなた、家に帰れば責められるわよ?」
「構いません。話をただ聞いて笑っているよりも、ずっといいと思いますから」
「!」
「分かっているのです。両親は、跡継ぎの男児が欲しかったのに、私が生まれてしまったから……次女に生まれたから、家族から零れ落ちてしまっただけです。だから、来世では長女か長男に生まれたいです」
王妃は、穏やかに話すミアーラを見て絶句するばかりだった。
決して蔑ろにされているわけではなかった。姉弟と同じ環境を与えられていたが、愛情や気配りは与えられなかったのだ。
それは一般市民より恵まれているが、貴族令嬢としては……先の見えない孤独しかなかったのだ。
「ごめんなさい」
王妃はミアーラに謝罪した。
「ミアーラには、良縁を用意するつもりでいたの。王太子妃の妹として、恥ずかしくない縁談を。……けれど、あなたに何も説明しないままだった。恥にならなければ気にも留めないというのは……傲慢だったわ」
その言葉で、ミアーラは初めて目に涙を浮かべ、子供のように泣きじゃくった。
ミアーラは親の手を煩わせない子で、放っておいても大丈夫だと周囲が思い込んで放置されていた。しっかりしていて頭が良かったからだ。王家もそのように判断していた。王妃はそのことを心底悔いていた。
ミアーラは城に留め置かれた。
王妃がミアーラから聞いた話を公爵家に伝えると、公爵夫妻は弁明することができなかった。
実際、好物は八歳の頃のままで、今、何が好きなのかは分からない。学校の成績もいいことは知っていた。後は側近の家に嫁がせる際の支度金を確保すればいいだけだと思っていたのだ。
王太子妃教育で、疲れ切っているラティーサの体調管理や精神的な補助をしながら、将来領地を継ぐ息子に瑕疵がつかないようにする。そのことばかりに目が向いていた。
不自由はさせていない。けれど、それは貴族の生活水準であれば当たり前のことでしかなく、少しも様子を確認しないなど、あってはならないことだったのだ。
何よりも、ミアーラが『男に生まれていたら待遇が違った』と言う言葉は、夫妻の心に深く突き刺さった。
夫妻は、ミアーラが生まれたとき、確かに落胆したのだ。また女か、と。そして、その翌年に弟が生まれた。だから、夫婦は落胆した気持ちを埋めてくれた弟に夢中になった。
「どうか、ミアーラが何をしたいのか……知りたいと伝えてください」
公爵夫妻は、そう王妃に頼んだ。
後日、ミアーラの望みで、公爵夫妻はミアーラと面会することになった。城の応接室で会ったミアーラを見て、公爵夫妻は初めて娘をしっかり見たような気がしていた。
面差しは父親の公爵似で、髪の色は夫人と同じだ。確かに二人の間にできた娘だった。彼女の側には、王妃がいて、二人にミアーラの左右の席を勧めた。
戸惑いながら、ミアーラを挟んで座った夫妻に、王妃は言った。
「それが、ミアーラの願いよ」
次の瞬間、夫妻は目を見開いた。すぐ側に座ることすら……してきていなかったと気付いたのだ。
「お父様、お母様……」
消え入りそうな声でミアーラは言った。
「手をつないでも、いいですか?」
二人とも、喉がつかえて返事などできなかった。
ただ泣きながら、手を握る。
ミアーラは、握られた手を見て、ふわりと笑った。
「ずっと、こうしてほしかったのです」
二人は慌てて娘を抱きしめた。
「ミアーラ、ごめんなさい!」
「すまなかった。今まで、本当にすまなかった!」
王妃は、その様子を見ながら、内心ひやりとしていた。
もし、今回ミアーラが事件を起こしていなければ、この結末はなかったのだ。そして……もっと大勢の前で事件を起こしていたら、王家も公爵家も、とんでもない醜聞に巻き込まれていたのだ。
もし、ミアーラがそれを分かっていて晩餐会を事件の場に選んだのだとしたら……。
ミアーラは、王妃の方を見た。その表情には健気な令嬢の面影よりも、自らの状況を打開した強かさが垣間見えた。
(この子は選ばれる側ではない。選ぶ側なのだわ)
この事件以降、公爵家はミアーラの意見を蔑ろにできなくなった。
そして、しばらくしてミアーラの行動の原因が明らかになった。ミアーラには学園にずっと思いを通わせている令息がいたのだ。
家族に相手にされない中、彼だけがミアーラの心の支えだった。だから、他の誰とも結婚する気がなかったのだ。
王家も公爵家も、釣書きを受け付けてこなかった。彼女は王太子の側近と結婚させると決めるだけで、誰も彼女の気持ちなど聞かなかったのだから、知る由もないことだった。
彼女の望んだ相手は、伯爵家の嫡男で、王家や公爵家に歯向かえるような権力を持っていなかった。しかし、彼女は絶望しなかった。駆け落ちもしなかった。今の状況のまま周囲を変えさせる方法を考え出して、実行して見せたのだ。
「ラティーサより、ミアーラ嬢の方が、王妃にむいていたやも知れぬな……」
王が、惜しむように婚約許可証にサインをしながら呟く。
「無理に望まぬ相手に嫁がせなかっただけ、よかったと思わなくてはいけませんわ。恨んだまま夫人になっていたら、国政を捨て身で壊されていたかもしれませんもの」
王妃の言葉に、王も暫く考えてから言う。
「確かにな……」
数か月前……。
『それは?』
『旦那様に片付けておくように言われたものです』
執事が運んでいたのは、釣書きと肖像画だった。
学園に十歳で入学した頃から、ミアーラを大事にしてくれた大好きな人の絵姿を見た瞬間、ミアーラはようやく迷いを捨てた。
いつかは分かってくれるかも知れない。甘い考えはこのとき消え去った。
『いい子』を続けてもミアーラは幸せになれない。それどころか、今の状況が一生続くとしか思えなかった。だから、彼女は決意したのだ。自分の人生を取り戻すと。




