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3.意思表明と条件



私の恋心は、とにかく根強く生えている。


何といっても、未来を含めれば20年相当の代物だ。熟成されたそれを消そうとしても難しい。そんなことは他ならぬ自分がよく分かっていた。だから、物理的に彼と距離を置くことにした。


「私、使用人研修には参加しません。使用人にはなりません。」


夕食後にお茶を飲みながら一服している中、両親に宣言した。

ぽかんと口を開けた父と母から「…もう一回言って?」と言われたので、先ほどより大きく口を開いた。


「私、黒瀬家の使用人にはならない。」

「な、何を言ってるの?!」


絶叫している母に、そうだよね、そうなるよね……という感想が湧く。結月家に生まれた者、嫁いだ者は自動的に黒瀬家へ奉仕に出る。いつの時代?って感じではあるが、それがこの家では普通だったのだ。未来の私も、不思議に思ったことはないくらい。母が取り乱すのも無理はないだろう。


「…理由は?」

「…私、まだ色んなことを経験したいの。学生生活を楽しみたいし、大学に行ってもっと勉強したい。たくさん本を読んで、たくさん経験をして、自分の人生を歩きたい。」

「それは黒瀬家で働いてもできるじゃないの…。」


理由を問う父に、震える声で言った母に視線を向ける。


「ううん、できない。黒瀬家に行くなら、黒瀬のことだけを考えなくちゃ失礼でしょ。そんな覚悟、私は出来ない。例え研修に参加して使用人になったとしても、きっと中途半端な仕事しかできなくなる。」


母も父に嫁ぐまで、黒瀬家のメイドだった。だから分かるのだろう、あの日々を。冷遇されていたわけではない。ただ、あの場所に求められるスキルや覚悟を、母と父は知っている。


「…思いつきで言ってるわけじゃないの。私の今までの行いでたくさん迷惑と心配をかけてしまって、ごめんなさい。……どうか、お願いします。」


下げた頭に、降ってくる言葉はなかった。



「つまり、どうなったの?」

「保留です。」


へぇ、と進藤先輩が横で言った。場所は図書室。部屋の奥にある本棚で、お互いに気になる本を探しながら、昨夜の出来事を話していた。もちろん、小声で。


「保留なんてできるんだ。」

「前代未聞ですけどね…。一旦、今週からの研修は不参加で、猶予は1年です。」

「なんで1年?」

「黒瀬家のご当主が海外に行かれていて、帰国が1年後なんです。結月とはいえ、黒瀬家当主判断なしには決められないそうで。」

「本当に不思議な関係性だよね…今時、そんな家ないよ。」


呆れたように言う先輩に、私は苦笑する。本当に不思議な家同士のつながりなのだ、黒瀬家の結月家は。お、この本いいかも……気になった本は絶妙に高い位置にあるので、少し背伸びをする。


「それで、どうするの。」


取ろうとしていた本を手渡され、お礼を言って受け取る。スマートだ……と内心感動していると、「1年間、ボーッと過ごすつもり?」と聞かれた。


「それが、条件を出されまして。」


条件?

はい。進藤先輩の問いかけに、指を二本立てる。


「ひとつめは、今後行われるクラスや学年共通の試験で上位5位以内に入ること、です。」

「それなら簡単じゃない?」

「無茶言わないでくださいよ…。私、いつもはそんなに上じゃないです…。」


そう?と首を傾げる進藤先輩は、確かいつも2位に名を連ねていた。ひとつ上はもちろん、蓮だ。


「ふたつめは、将来について明確にすること、だそうです。」

「というと。」

「やりたいことを見つけるって感じですね。」


両親やご当主を納得させられるくらいの、将来の夢を見つけろということだ。


「…っくく、あの黒瀬家当主をって…。だいぶ無茶なこと言うね…っ。」

「笑いが漏れてますよ…進藤先輩。」


口では「ごめん」と言いながら、肩はまだ揺れている。出会ってからまだ数日しか経っていないけど、進藤先輩は笑いのツボが浅いのだろう。


それぞれ気になった本を取り、定位置となりつつある席へ座る。放課後に人が居ないのは相変わらず、助かる。連日じろじろ投げられる視線に疲弊しているのだ。


「何か目星はあるの?」

「それが全くで…。今まで、使用人になると思って生きてきたので。」


正確には、使用人になると思いながら、いつかは蓮を隣で支える存在になると自惚れ、結局は使用人として生きてきた。言葉にすると、本当に情けない人生である。


向かいの席に座る進藤先輩は何も言わない。本を開き、お互いのページをめくる音だけがする。しばらく沈黙が続いた後、彼は言った。


「まぁ、頑張ってね。」

「…はい。」


この人、あんまり興味なさそうだな、と内心思ったのは秘密である。



過去の蓮は、幼馴染として甘える私に対して優しかった。呆れた瞳で隣にいることを許し、結婚の約束も拒否しなかった。今思えば、相手にするのが面倒であしらっていただけだろう。


未来の蓮は、私という存在を気にも留めていなかった。ただ使用人として見る瞳、何の感情も伴わない声色。研修が終わり、蓮との面会が許された私は、彼の変わりように戸惑ったことを覚えている。


未来から帰ってきた私は、黒瀬蓮という存在が分からなくなっていた。ただひとつ言えるのは、私に興味も関心も一切ないということ。だから、予想外の展開だった。使用人研修を拒否した私に、お呼び出しがかかるなんて。


「………。」

「…なぜかと聞いている。」


ソファに深々と腰をかけた蓮。久しぶりに客人として入った彼の部屋は、変わらずきれいに整えられている。あの大きな窓掃除、最初は手間取ったな……なんて現実逃避していると、催促されてしまった。


そろりと蓮に視線を移す。黒々とした瞳が私を見据えていた。黒いVカットの服から覗く白い鎖骨が色っぽい。無地だけど、かなり高級なのは知っている……素材が良いのだ。


たらりと冷や汗が流れる。握った拳には爪が食い込み、痛みで意識を保っている。逃げられそうにない空気に、恐る恐る口を開いた。


「…し、使用人になりたくないので…。」

「つい先日までは、不満はないと見受けられたが。」

「さ、最近決心したんです…。」


形の良い唇から深いため息が漏れる。それに肩が跳ねたのは、未来の出来事が過ぎったからだろう。とん、と彼の指がソファの手すりで音を立てる。


「…結月家は代々、黒瀬に仕えているって知っているな?」

「分かっています…。」

「承知の上で、ということか。」

「…はい。」


震える手をどうにか止めようと力を込める。爪がさらに食い込む感覚。彼の瞳は深い闇のようで、目を逸らしたくなる。でもここで逸らしたら、駄目な気がした。


「…蓮様や黒瀬家には、今までたくさんのご迷惑をおかけしてきたと思います。大変申し訳ございませんでした。」

「…なら、」

「でも、」


今までなら、蓮の言葉を遮るなんてあり得なかった。謝罪と一緒に下げた頭を上げ、彼の瞳を真っ直ぐ見る。こんな時なのに、やっぱり綺麗な瞳だなぁと頭の片隅で思った。初めてかもしれない。真っ暗な瞳に私の姿が映ったのだ。


「このままじゃ駄目だと思いました。私はもっと色んな世界を知りたいし、経験したいんです。…私は、私自身が好きになれるような人間になりたい。」


黒々とした瞳が、少し見開かれたように感じた。瞬間、空気が重くなった。まるで何かが体に絡み付く感覚に、縮こまりそうになる自分を律する。


「…私以外の結月は、すでに黒瀬家でプライドを持って働いています。黒瀬家へ忠誠を誓えない私がここに来ることは、返って迷惑になります。」

「…やってみなければ分からないだろう。」

「いいえ、両親にもこの点は同意されました。」


「駄目だ、認めない。」

「1年間の猶予は、ご当主からも認めていただきました。」


未来では主人……黒瀬家当主であったとしても、今の蓮はまだご子息、後継者の立場。彼よりも上の存在をチラつかせると黙り込む。お願い、もう少し頑張れ、とソファから上げた腰を90度に折る。


「…今まで、ありがとうございました。」


それは私なりの決別の言葉だった。

過去の蓮と、未来の蓮へ。







蓮へ言い逃げしたあの日から数日。

私は人生で初めて、平和な生活を送っていた。


「えっ、美味しい…何これ、すごく美味しい!」

「でしょ〜!ここ、今流行ってるんだよ!」

「ふふ、美味しいよねぇ。」


休日。カフェのテラスで爽やかな風を感じながら、優里と雪ちゃんとお茶をしていた。テーブルには色とりどりのスイーツが並び、目の保養にもなっている。そしてもちろん、味も美味しい!コーヒーも美味しい!ええ、どうしよう〜幸せ〜!ゆるゆるに顔が緩んだ私を見て、二人も笑った。


「初めてじゃない?こうやって三人で遊ぶの。」

「京子ちゃん、お休みの日は会えなかったもんねぇ。」

「本当にスミマセンでした…。」


穏やかな笑顔を浮かべる雪ちゃんには、時折チクリと人を刺す一面がある。それも、一緒に過ごすうちに発見したひとつ。そんな雪ちゃんにメロメロな私。


「ふふ…嬉しいな。京子ちゃんと一緒に遊んでみたかったの。」

「雪ちゃん…。」

「目がハートになってるぞ〜。」


自然に生まれた笑い声。美味しいスイーツをシェアしながら、おしゃべりをしてゆっくりと過ごす。ああ、幸せだなぁ。目の前で笑い合う友人の姿を見て、あの時決心してよかったと思った。


「将来の夢かぁ。まだ高校に入学したばかりなのにね。」


頬杖をつきながら優里は言った。右手ではフォークをぷらぷらと持ち、「お行儀悪いよ」と雪ちゃんに咎められている。

そう、今はまだ6月。義務教育を終えたばかりの私たちには、具体的な将来の目標は見えていない。


「今までは使用人になると思って生きてきたから、余計に分からなくて。」

「それで良いんじゃないかな?」

「雪ちゃん…。」

「狭い世界で生きてたら、分からないのも当然だよ。期限はあるから焦っちゃうと思うけど…これから見つかるよ、絶対に!」

「優里…。」


ありがとう、と伝えると、私に笑いかけてくれる友人。不安な時には支えてくれる存在が、こんなにも力をくれるなんて。過去に戻らなければ知らないままだったなと思った。…良かった、戻って来れて。


その後はショッピングをして、お別れ。「また明日ね!」と手を振れることの、なんと尊いことか。余韻に浸りながら最寄駅の改札を通った。

この後は勉強しないといけない。あと少しで期末試験が控えているから。条件を提示されてから、初めての試験。気を引き締めて臨まないと。


「ーーー遅い。」


現在の同級生と比べると低い声。決して大きくはないはずの声が、不思議と耳に届く。道の側に停まっている見覚えのある車。後部座席でこちらを見据える蓮が、そこにはいた。


「…え、どうして…。」

「家に連絡した。どこに行っていた。」


下げた窓から見える彼は、そう言った。聞いた、ではなく言ったのだ。それはきっと、疑問系にする必要がないから。全ての人間が、自分に逆らうはずがない。天性の人たらしな彼が望めば、問いかけなくてもみんなが答えを言う。今までの私も、全て話していた。予定から関係のない話まで、全部。…今思うとうるさかっただろうなぁ。


「…出掛けてました。」

「どこに。誰と。」

「プ、プライバシーなので、これ以上はお伝えする必要はないかと…。」


ぴくりと、彼の眉が動いた気がした。嗚呼、きっと気に障ったんだろうな…うう…。未来の経験もあり、胃がキリキリとする。生まれた無言に恐ろしくなった私が取った行動はというと……


「そ、それでは家に帰るのでっ、し、失礼いたします〜!!」


全速力で彼の前から消えることだった。


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