10.文化交流講座
文化交流講座の準備に追われ、あっという間に当日を迎えた。
まずは舞台づくり。華道の選択者が多いため、和室ではなく特別文化ホールで実施することが決まった。床が木材のため、違和感が出ないよう季節の掛け軸をかけるなどレイアウトを整えながら、華道の道具を並べていく。
外部講師との打ち合わせも行い、当日の流れを確認。進藤先輩と何度かシミュレーションをして調整した。さらに生徒向けに、講座の流れや内容をピックアップしたプリントの作成など。想定以上にやることは多かったが、何とか当日を迎えることができた。
「うん、着物似合ってるよ。」
「ありがとうございます。後ろも大丈夫です?」
「大丈夫。着付けできるんだね。」
補佐役ということで、先輩から借りた着物を着ることになった。進藤家の着物…いくらするんだろう。絶対汚せない。肌触りの良さにヒヤヒヤしながら、会場のセッティングと最終確認を進める。
「失礼します〜。生徒会ですけど、確認に来ました〜。」
「…あ、お疲れ様です。」
ホール入り口から声が聞こえ、手元の資料から視線を上げる。腕章には「生徒会」の文字。役員の先輩と、そして蓮がいた。…あ、そっか。蓮も生徒会役員だった。
ボードを片手に近づいてくる二人に、慌てて駆け寄る。
「わ〜、お着物なんですね。」
「そうなんです。補佐役で入るので、形だけでもと思って。」
「お綺麗ですよぉ。ね、黒瀬くん。」
ゆるい口調の先輩が隣の蓮に話を振る。まって、そこで彼に振らないで。
当の本人は黒い瞳でこちらを見下ろすだけで、何も言わない。
「…あ。各会場の確認に回ってるんですけど、大丈夫そうですか〜?」
「今のところ問題ありません。」
気まずさに耐えきれなくなり、業務の話題を振ってくれた先輩に返事をする。仕事の話になると、蓮も淡々と口を開く。最終確認を交えた質問に答えていくと、「それじゃあ本番よろしくお願いしま〜す」とゆるく言い残し、二人は去っていった。
「…それは。」
「それ?」
「着物は……家のものか?」
「いえ…進藤先輩にお借りしました。」
ぴくりと綺麗な眉が動く。えっ、なにかマズかった?!
物の貸し借りはダメとか…?
あっ、結月家が他家に借りを作ったらダメとか?!
そうこう考えている間に、周囲の空気がじわりと悪くなっていくのを感じた。ど、どうしよう。
「ちょっと蓮〜?どうしたの?」
「し、進藤先輩っ。」
救世主、現る。
後ろから現れた進藤先輩は、上品な色合いの和装に身を包んでいた。着替えられたんですね。髪も整えられていて、とてもお似合いだ。
先輩は蓮の肩に腕を乗せた。
「来てたんだね。何か問題でもあった?」
「……いや。何もない。」
「それなら良かったよ。ほら、安西さん待ってるよ。行かなくていいの?」
「言われなくても行く。」
あのゆるい口調の先輩、安西先輩って言うんだ。
肩に乗った腕をどかし、蓮と視線が合う。すぐに逸らされ、そのまま安西先輩の元へ向かっていった。
よくわからないけど……とりあえず大丈夫だった、のかな?
蓮の背中に手を振る進藤先輩に声をかける。
「…あの、ありがとうございました。」
「なにが?あ、色々対応ありがとう。」
「さ、俺たちも準備しよ。」と動き出す先輩。
先ほどまでの空気が何だったのかはわからないけれど、ひとまず講座に集中することにした。
ホール内には控えめな香が漂い、生徒達は静かに着席していた。
本日の外部講師である進藤家の方が挨拶をしているが、女子生徒たちの視線は進藤先輩のほうへちらちらと向けられている。
あ〜、そりゃそうだ。カッコいいもんね先輩。
いつもの制服じゃなく和装で、髪型も整えてある。そりゃギャップもすごい。
私は会場の隅で待機しながら、内心で頷いた。
「それじゃあ、一連の流れを解説していきましょうか。お手本で、おふたりともお願いします。」
講師の指示でステージに上がると、小さな「きゃあ」という声が上がった。
慌てて口を押さえる女子生徒を横目に、私も簡単に挨拶をして先輩と同時に動き出す。
「このとき、花鋏は高く構えません。膝の高さで扱い──。」
講師の声に合わせて体を動かし、花を生けていく。
静かな空間には講師の声と、花材を切るぱちんという音だけが響く。
華道は使用人研修や未来のメイド時代に先輩方から教わっていた。季節の花を飾るときにも習っていたから馴染みがある。一流の家に仕える時は、高価な花瓶に震えながら生けていたっけ。
…あっ。ここ、少し花と花の間が空くけど、どうしよ…。
うーん……このままでいいか。
「──以上、華道における一連の流れでございます。」
無事に実演を終え、先輩と二人、一礼する。
……あれ、なんだか静かだな?
顔を上げると、生徒たちも講師も、二つの作品に釘付けになっていた。
「…えっ、すごい…綺麗。」
「進藤先輩、さすがよね。」
「でもまって。もう一人の……。」
「皆さん、お静かに。……おふたりとも、作品についての解説をお願いできますか。」
ざわついていた空気が静まり、講師の凛とした声がマイクを通して響く。
先輩にマイクが渡り、落ち着いた声で解説が始まった。
「こちらは、淡雪の調べと名付けます。こだわりといたしましては──。」
誰かがうっとりと息を漏らした。
華道家元の跡取りである先輩の作品は、素人目にも美しい。講師も生徒も感嘆して頷いている。
解説が終わり、先輩からマイクが渡された。
……この後に話しづらい!
こんなことならアドバイス貰ってから作品を作ればよかった…。
後悔しつつも、講師の評価が怖い気持ちを抑え、話し始める。
「私の作品は、緑雨の記憶と名付けます。こちらの枝を少し寝かせて、呼吸をしている様子を表現いたしました。また、寝かせることで花と枝の間に空間を作り、余白を生み出しています。」
これで評価がボロボロだったら恥ずかしい。
不安になり横を見ると、先輩は何やら笑っている。ちょっと、何で?
「結月さん、解説ありがとう。……そうね。とても良く生けられています。お二人とも、私から伝えることはありません。」
えっ。
驚いて講師を見ると、講師も驚いた様子で私の作品を見ていた。
先輩はおかしそうに笑っている。
え……いいの?
なら良かったけど……。
胸を撫で下ろし、一礼してステージを降りる。
生徒たちは講師の合図で活動を開始していた。
「凄いね。良かったよ、動きも花も。」
「ほ、本当ですか…?」
「うん、本当。講師も言ってたでしょ。あれ、予めどう生けるか考えて来たの?」
先輩と袖の裏へ引き上げ、少し休憩する。
水を飲んでいると、先輩が不思議そうに言った。
「いえ、全然です。当日のお花の状態もわかりませんし…何とかなる精神で行きました。」
「……へぇ。」
「おふたりとも、お疲れ様でした。」
ステージから降りてきた講師が声をかけてきた。先輩とは親戚筋のようで、親しげに話している。
「結月さん。」
「あっ、はい。」
意識を飛ばしていたのを戻し、慌てて講師を見ると、興奮気味に手を掴まれた。えっ、なに?
「貴女、とても素晴らしい作品を作るのね!華道、経験者だったの?」
「あっ、ありがとうございます…。経験者というほどではないですけど…。」
「まぁ。ならどこでお勉強を?」
未来で、とは言えない。
迷って魔法の言葉で切り抜ける。
「…母から、少し習いました。」
「そうなんですか。とても良いお母様に習われたのね。」
ハハッ、そうですねぇ。
遠い目をしつつ、心の中で母に謝る。最近うちの母の評価がうなぎのぼりだ。本人の知らぬところでハードルが上がっている。……許せ、母。
そんな私の心情も知らず、講師は両手を合わせて言った。
「これから生徒たちを回って指導していくのだけれど、お二人にもお願いできるかしら。」
「エッ。」
「自分たちで良ければ。」
ね、じゃないです。
しかし講師にも先輩にも逆らえず。
でも私が指導するのはおこがましい。
そう思い、私は参加者たちに「こうしたほうがいいかもですネ〜」とさりげなく伝えつつ、
指導に回る二人のサポート役として、そそくさと動き続けた。
*
「お疲れ様。」
「お疲れ様でした……。」
講座も無事に終了し、片付けもすべて完了した。
着物を脱いで制服に戻った私は、すっかり何もなくなったホールで項垂れていた。疲れ切った体は「もう指一本動かしたくない」と言わんばかりに、立ち上がることすら拒否している。ホールの片隅で座り込んで脱力していると、先輩がこちらへ歩み寄ってきた。
「教師のチェックも終わったし、あとは僕らが撤収するだけ。」
「すみません……もう出ます……。」
そう言いながらも、体はピクリとも動かない。体力はもちろん、心労も相当あったようだ。メンタルがごりごりに削られているのを、自分でも感じる。それを見た先輩は「まだいて大丈夫でしょ」と言い、私の隣に腰を下ろした。
「今日までありがとう。想像以上の働きぶりで、本当に助かったよ。」
「とんでもないです。先輩こそ、お疲れ様でした。」
講座が終わったあと、和装姿の先輩のもとには多くの生徒が押しかけていた。一人ひとり丁寧に対応していた先輩だって、相当疲れているはずだ。
私の気持ちを察したのか、先輩は制服姿で大きく伸びをしながら言う。
「みんな元気だったよね〜。」
「本当に……。」
そして、ふと思い出したように顔をこちらへ向けた。
「君、今度うちの行事にも参加しない?あの腕前なら歓迎されるよ。」
「遠慮します。今日のは偶然ですし……私には荷が重いです。」
「え〜、残念だなぁ。」
講師の方も最後まで勧誘してくれていた。ありがたいけれど、あの緊張感はどう考えても自分には合わない。思い出しただけでソワソワしそうになる体を、なんとか落ち着かせる。
「まぁ、本当にありがとう。おかげで無事に終わったよ。」
「……蔵書、楽しみにしてます。」
「ん、何冊か持ってくるから。」
しっかり念押しして約束を確認し、なんとか立ち上がってホールを後にする。鍵を返すため、蔵書の内容について話しながら歩き出す私たちを見つめる視線に――最後まで気づくことはなかった。




