第2話_白
ぽたり――。
水音だった。
どこか遠くで、水滴が落ちる音がする。
規則的に、何かの拍子のように、そして永遠に繰り返されていた。
不自然なほど静かな空間に、その音だけが、生き物のように響いている。
「……っ、ん……」
かすかにうめき声を上げながら、田中はゆっくりとまぶたを開けた。
すぐに、肌に触れる冷たい感触――ぬめりのある床――に顔をしかめる。
服がじめっと湿っている。
背中から伝ってくる不快な冷たさが、肌の奥へと染み込んでくるようだった。
思わず身をよじらせて、肘で体を支えようとした――が、手がわずかに滑る。
ぬるりとした感触に、さらに嫌悪感が募る。
「……なんだ、ここ……?」
視界はまだぼやけていた。
遠くが白く滲み、光が全体を均一に照らしている。
白昼夢のような感覚――現実味が薄く、思考がうまく働かない。
ようやく上体を起こし、腰を軋ませながら起き上がる。
その拍子に、革靴のかかとがタイルに当たり、コツン、と小さな音が鳴った。
見渡す。
視界が徐々にクリアになってくると、そこに広がっていたのは――
異常なまでに白い空間だった。
床も壁も天井も、すべてが白のタイル張り。
規則的に並んだ照明が、10メートル以上ありそうな天井から無機質に光を投げかけている。
正面には、波ひとつ立たない長方形の水面。
プールだった。だが、そこに人の気配は一切なかった。
「は?……どこ、だよ……ここ……?」
田中は眉をひそめ、口元を歪める。
言葉にしてみても、頭の中は混乱したままだ。
見覚えがあるようで、ない。
現実のようで現実でない風景。
理解が、まるで追いつかない。
胸の奥が、きゅっと縮こまる。
冷気ではない、孤独そのものが、じわじわと心に染みてくる。
「……夢、か。そうだよな……疲れて、変な夢見ちまってるだけだよ……な」
声に出してみる。
それはまるで、自分の存在を確かめる儀式のようだった。
けれど――
自分の声が、異様なまでにクリアに反響する。
壁や天井、タイルの一枚一枚にぶつかって、何倍にもなって返ってくるようだった。
耳に届いた自分の声が、まるで他人の声にすら感じられる。
喉がごくりと鳴った。
視線を彷徨わせながら、無意識に立ち上がる。
湿ったスーツが、関節にまとわりつく。
身体が重い。だが、動かなければならない気がした。
「……少し、歩いてみるか……」
つぶやきと同時に、彼は一歩踏み出す。
革靴の底が濡れたタイルを踏みしめ、コツ、コツ、と足音が空間に響いた。
その音だけが、自分がここに存在していることを証明してくれる。
それでも――
その音が、どこまでも不気味に、どこまでも深く、
どこか“別の何か”を呼び起こしているように感じた。




