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転生したらモブの隣国の姫でした〜地味だけど平和な国の外交官ライフ〜

作者: W732

 第一章:モブ姫、地味な国に転生する


 田中花子、30代、しがないOL。彼女の日常は、朝の満員電車から始まり、会社の冷たい蛍光灯の下での膨大な書類との格闘、そして終電間際の疲れ切った帰宅で終わる。上司のパワハラは日常茶飯事、夢も希望もない社畜ライフ。そんな彼女の唯一の楽しみは、家に帰って乙女ゲームやファンタジー小説に没頭することだった。華やかなヒロインが王子様と恋に落ちたり、最強の勇者が世界を救ったりする物語に、彼女はひたすら憧れた。自分もいつか、そんなきらびやかな世界で、特別な存在として生きてみたい――。疲労困憊で眠りについた、それが、田中花子の最後の記憶だった。


 次に目覚めた時、花子は困惑した。見慣れない天蓋付きのベッド。柔らかなシーツと、細やかな刺繍が施されたカーテン。豪華ではあるが、どこか生活感に欠ける部屋だった。自分の手を見ると、それは小さく華奢な子供の手になっていた。混乱と驚きに、花子は声を上げることもできなかった。夢か?悪夢か?


「ルーナリア様、お目覚めですか?」


 優しい声が聞こえ、見慣れないドレスを着た女性が部屋に入ってきた。彼女の口調から、自分が「ルーナリア」という名前で呼ばれていることがわかった。そして、メイドや侍女たちの会話を盗み聞くうちに、自分がこの世界の「アルカディア王国」の第四王女に転生したことを知った。


 アルカディア王国。花子の頭の中で、前世でやり込んだ乙女ゲームの地図が展開される。主要な国々――「勇者の国」レガリア王国、「魔法大国」アステリア、「魔王領」ヴァルキュリア――それらの間に、まるで隙間を埋めるかのように挟まった、本当に小さな、そして何の特徴もない国。それがアルカディア王国だった。歴史の教科書にも数行しか触れられないような、文字通りのモブ国だ。

 国の特徴といえば、「一年中穏やかな気候」と「農作物が豊作」くらい。特別な鉱物資源もなければ、強力な魔力を持つ魔法使いも、剣術の達人もいない。武力は最低限しか持たず、他国に侵攻する意思もない。ただひたすらに、平和で地味な国。


 鏡を見ると、そこに映っていたのは、まさしく「モブ」としか言いようのない少女だった。髪は栗色で特徴がなく、瞳は琥珀色で平凡。魔法適性も剣術の才能も「中の下」だと、侍女たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。憧れていたキラキラした転生ライフとはかけ離れている現実に、花子…いや、ルーナリアはがっくりと肩を落とした。

「マジかよ…。よりにもよってモブ国のモブ姫かよ、私…」

 しかし、次の瞬間、彼女は妙に納得した。

「でも、これなら、巻き込まれて死ぬ心配もないか…」

 前世の過労死寸前な人生と、ゲームで散々見てきたヒロインたちの苦労を思えば、この「地味で平凡」な境遇は、むしろ安全に思えたのだ。内心で、ルーナリアは小さく安堵の息を漏らした。うん、モブはモブらしく、平和に生きるのが一番だ。


 ルーナリアの日常は、姫にもかかわらず、驚くほど地味だった。朝は、宮廷の庭で咲く花々の手入れから始まる。次に、広大な図書館で古文書を読み漁る。その後は、侍女たちとお菓子作りを楽しんだり、時には城下町へ出て、領民とのおしゃべりに興じたりする。特別な教育や、将来への期待はかけられていないため、プレッシャーもない。むしろ、その「地味さ」が心地よかった。前世の激務から解放されたルーナリアは、この上ない安らぎを感じていた。


「ルーナリア様は、お庭の手入れがお上手ですわね」

 メイドの一人が、咲き誇る花々を見て感嘆の声を上げた。ルーナリアは、内心でニヤリと笑う。現代日本のガーデニングの知識と、この世界の「土壌に優しい魔法」を組み合わせた成果だ。彼女は、前世で培った知識を、さりげなくこの世界の生活に取り入れていた。

 例えば、手をこまめに洗う習慣を侍女たちに勧めたり、食事の際に栄養バランスを考慮したメニューを提案したり。最初は奇異の目で見られたが、病気になる者が減ったり、料理が美味しくなったりする効果が出ると、周囲は驚き、少しずつ彼女の「妙な習慣」を受け入れていった。

 国の財政報告書を読み漁っているうちに、前世の事務処理能力やデータ分析能力が自然と発揮された。国の財政に潜む小さな無駄や、効率化できる点を次々と発見し、密かにメモを取る。時には、領民間の些細な揉め事や、商人との価格交渉の際に、感情的にならず、論理的に双方にとって利益になる落としどころを見つける才能も見せた。


 国王は温厚でややおっとりとした性格で、ルーナリアにはあまり干渉しない。王妃は優しく控えめで、姉の第一王女は武術に優れ、兄の第二王子は魔術の才能に恵まれているが、ルーナリアにはそれぞれの分野で口出ししてこなかった。家族との関係は良好で、特に期待されていない分、気兼ねなく過ごせた。

 争いがない平和な国ゆえに、武器の訓練は形だけ。魔法の練習も、せいぜい火を起こしたり、水を出す程度で十分だった。平和な日常の中で、ルーナリアは美味しい食事、穏やかな気候、そして温かい人々との交流を心ゆくまで享受した。


「はぁ〜、平和だなぁ…」

 ある日の午後、庭のベンチでうたた寝をしながら、ルーナリアはそう呟いた。

 時折、前世で憧れた「特別な存在」になりたかった気持ちがよぎることもある。ゲームの主人公のように、美しく、強く、多くの人々に愛される存在に。だが、ゲームの知識から、主人公たちのいる場所は常に危険と隣り合わせで、命の危険が常にあることを知っていた。

「いやいや、命あっての物種だろ。地味で何が悪い。平和が一番!」

 ルーナリアは、そうやって自分に言い聞かせ、この「地味で平和」であることの尊さを再認識し、深く納得した。


 しかし、その「地味」な日常の中で、ルーナリアの秘められた才能は、少しずつ芽吹き始めていた。

 図書館で古文書や国の歴史書、財政報告書などを読み漁るうち、前世で培った書類整理能力やデータ分析能力が自然と発揮される。彼女は国の財政の小さな無駄や、効率化できる点を発見し、密かにメモを取っていた。国王は気づいていないが、ルーナリアが提案した些細な改善案が、実は着実に国の財政を潤していたのだ。

 また、領民間の些細な揉め事や、商人との価格交渉の際に、相手の心理を読み、双方にとって利益になる落としどころを見つける才能を見せた。特に、感情的にならず、論理的に話を進める彼女の姿勢は、周囲を驚かせた。

「ルーナリア様は、あの頑固な商人さんをあっという間に納得させてしまわれたぞ!」

 そんな声が、少しずつ聞こえるようになる。


 そして、ゲームの知識から、将来起こるかもしれない「本編のイベント」(魔王の復活、大国の戦争など)に備え、アルカディア王国がどうすれば影響を受けずに済むかを漠然と考えるようになっていた。食料備蓄の重要性、自給自足体制の強化など、彼女が国王に進言する「地味な」政策は、実はすべて未来を見据えた危機管理だった。

 派手な力ではなく、日常の地味な幸せを守りたいという強い意志が、彼女の中で芽生えていた。これこそが、後に彼女を外交官へと導く、原動力となるのだ。

「ルーナリア様は、意外としっかりしていらっしゃる」

 そんな小さな評価の変化が、宮廷の片隅で囁かれ始めていた。モブ姫の地味だけど平和な転生ライフは、確かに始まっていた。


 ---


 第二章:外交官としての一歩、地味な国の底力


 アルカディア王国の平和な日々は、まるで穏やかな湖面のように静かに流れていた。ルーナリアは今日も、庭の片隅で珍しいハーブの育成に没頭している。そんな日常に、一石を投じる知らせが飛び込んできたのは、ある日の午後だった。


「ルーナリア!国王陛下がお呼びだ!」

 兄である第二王子、アルスが息を切らせて駆け込んできた。普段は滅多に慌てることのないアルスの様子に、ルーナリアは内心で首を傾げた。

 国王の執務室に入ると、そこには珍しく深刻な顔をした国王と、数人の大臣たちが集まっていた。

「ルーナリア、よく来てくれた」

 国王は疲れた顔で言った。

「実は、隣国で問題が発生したのだ。商国ヴァンダールと、鉱山王国ドワーフディアの間で、領土を巡る紛争の兆候が現れている」


 ヴァンダールは貿易で栄える大国、ドワーフディアは豊富な鉱物資源を持つ堅固な国。両国は長年の貿易パートナーだったが、最近になって、ヴァンダールの商人がドワーフディアの鉱山で違法採掘を行ったとされ、事態は泥沼化していた。既に貿易路が一部封鎖され、資源価格は高騰。このままでは、アルカディア王国にも経済的な影響が出ることは避けられない。

「アルカディアは、両国との関係がそこそこ良好だ。そこで、我が国が仲介役を買って出ることを検討しているのだが…」

 国王は言葉を濁した。アルカディア王国は、派手な武力も財力もない。誰もがこの仲介役を尻込みしていた。


 その時、国王の秘書官が口を開いた。

「陛下、先日ルーナリア様がご提出された財政改善案、大変有効でございました。また、先日発生した領内の小競り合いも、ルーナリア様が介入されて円満に解決されたとか…」

 ルーナリアは、国王に目を向けた。国王は目を細めてルーナリアを見つめている。そして、ニヤリと笑った。

「うむ、そうか!ルーナリア、お前、そういうの得意なんだろ?」

「…は?」

「それに、最近は庭いじりばかりで暇を持て余しているようだしな!」

「は、はい!?」

 国王は、なぜか確信に満ちた顔で頷いた。

「よし、決まった!ルーナリア、お前をヴァンダールとドワーフディアへの外交官に任命する!」


「え、私が!?」「モブなのに!?」

 ルーナリアは内心で叫んだ。トラブルに巻き込まれたくない一心で拒否しようとするが、この紛争が激化すれば、アルカディア王国にも影響が及ぶことは明白だった。平和な地味ライフが脅かされる可能性に、ルーナリアは危機感を覚えた。

「…かしこまりました。お受けいたします」

 しぶしぶながらも任務を引き受けるルーナリア。ただし、あくまで「地味に、目立たないように」をモットーに、と心に誓った。

 兄のアルスや他の貴族たちは、「ルーナリアが外交官?」「大丈夫なのか?」と半信半疑の目を向けていたが、国王の鶴の一声で決定した外交任務は、彼女の運命を大きく変えることになる。


 ルーナリアは、まず徹底的な情報収集に取り掛かった。図書館に籠もり、ヴァンダールとドワーフディア、両国の歴史、文化、主要人物の性格、経済状況、貿易品目、過去の紛争事例など、ありとあらゆる情報を片っ端から読み漁った。時には変装して、王都の情報屋から話を聞くなど、地味だが地道な努力を重ねた。前世のビジネスにおける市場調査や競合分析の経験が、この時大いに活かされた。

「ふむふむ、ヴァンダールは最新技術に貪欲、ドワーフディアは伝統を重んじる。ヴァンダールの国王は派手好きだが、大臣は実利主義者。ドワーフの族長は頑固だが、部下想い…よし、これで相手の性格は掴んだわ」

 彼女は集めた情報を分析し、両国の真の目的や譲れないラインを探る。


 そして、いよいよ交渉の場。ヴァンダールの首都、輝かしい商業都市に赴いたルーナリアは、ヴァンダール国王や大臣たちと対峙した。彼らは、アルカディア王国の使節が「地味な女官」であるルーナリアだと知って、侮った態度を取る。

「まさか、アルカディア王国が送り出すのが、このような若く、経験の浅そうな令嬢とは…」

 ヴァンダールの貿易大臣が、あからさまに軽蔑した表情で言った。

 しかし、ルーナリアは表情一つ変えなかった。

「確かに、私は経験が浅いかもしれません。しかし、私が持参いたしました資料は、貴国の経済状況とドワーフディアとの貿易における現状を、正確に分析したものです。まずは、こちらをご覧いただきたく存じます」

 ルーナリアが差し出したのは、緻密に練られた報告書だった。そこには、貿易路の封鎖がヴァンダールにどれほどの経済的損失をもたらすか、ドワーフディアとの関係悪化が将来的にどのような代替資源の確保問題を引き起こすか、具体的な数字とデータで示されていた。

 感情論ではなく、数字とデータ、そして論理に基づいて交渉を進めるルーナリアのスタイルは、ヴァンダール側を驚かせた。彼女は、単に貿易路の再開を求めるだけでなく、新たな貿易ルートの開拓案や、ドワーフディア以外からの代替資源の確保ルートを提案した。それは、ヴァンダールの国王や大臣たちが思いつきもしなかった、現実的で実行可能なプランだった。


 次に、鉱山王国ドワーフディア。彼らは頑固で、一度決めたことは曲げないことで知られていた。ルーナリアは、ドワーフの伝統や文化を深く理解していることを示すため、交渉の前に彼らの鍛冶技術や醸造技術を称賛し、彼らが誇る酒を心から楽しんだ。

「ドワーフの皆さんが丹精込めて作り上げたこの酒は、まさに芸術品ですね!我が国にはこれほど素晴らしいものはございません」

 ドワーフの族長は、最初は警戒していたが、ルーナリアの心からの言葉と、彼らが大切にする文化への深い理解に、少しずつ態度を軟化させていった。

 そして、彼女は交渉に入った。ドワーフディアの言い分を丁寧に聞き出し、ヴァンダールからの違法採掘による屈辱と、鉱山資源の保護に対する強い意志を理解した。ルーナリアは、ヴァンダール側に、ドワーフディアの採掘技術を導入することで、より効率的かつ環境に優しい採掘が可能になるという提案をした。そして、その技術導入の際に、アルカディア王国が一部技術支援を行うことで、双方に利益が生まれる仕組みを提示したのだ。


 ルーナリアが繰り出すのは、派手な魔法や剣術ではなく、徹底した情報収集、緻密な交渉戦略、そして相手の国の文化や慣習への深い理解に基づいた「地味だけど確実な外交術」だった。派手さゼロの駆け引き。魔法や武力による威嚇は一切なし。淡々と、しかし確実に、相手の弱点や共通の利益を見つけ出し、交渉を有利に進める。時には、相手の裏をかくような、しかし法に触れない「地味な罠」を仕掛けることもあった。例えば、ドワーフディアに、ヴァンダールが別の代替資源を探し始めているという「真実だが、タイミングをずらした情報」を流し、焦らせるなど。


 ルーナリアの外交手腕と、アルカディア王国の知られざる強みが相まって、両国の紛争は予想外の速さで収束へと向かった。

 これまで「モブ国」だと思われていたアルカディア王国は、実は豊富な農産物、優れた職人技術、高い食料自給率、そして何よりも安定した国力を持つ「平和で堅実な国」として再評価されていく。ヴァンダールはアルカディア王国から安定した食料供給を受けられるようになり、ドワーフディアはアルカディア王国の職人から技術支援を得られることになった。

 他国からは「あのアルカディアが…」「あんな地味な国が、まさか、こんなにも手強いとは…」と驚きの声が上がる。ルーナリアの外交官としての第一歩は、地味ながらも、確実に、アルカディア王国の国際的な評価を変えていったのだ。そしてルーナリアは、自分の能力が、ただの「社畜スキル」ではなく、この世界で「平和」を守るための確かな力になることを実感し始めていた。


 ---


 第三章:平和を守るための奮闘、時々巻き込まれ事故


 ヴァンダールとドワーフディアの紛争を解決して以来、ルーナリアの元には、様々な国から外交の依頼が舞い込むようになった。「アルカディア王国のルーナリア王女に頼めば、どんな難題も解決する」という噂が、水面下で広まっていたのだ。もちろん、その評判は「地味だが手堅い」「派手なことはしないが確実に成果を出す」という、なんともルーナリアらしいものだったが。


 彼女の仕事は、決して派手なものではない。しかし、常に危機に瀕している「本編」の物語を横目に、アルカディア王国の平和を守るための地道な奮闘を続けていた。


 ある時、北方の「魔法大国アステリア」で、原因不明の魔法暴走事件が多発しているという情報が舞い込んだ。このままでは、アステリア全土が魔法災害に巻き込まれ、その余波がアルカディア王国に及ぶ可能性がある。国王はルーナリアに助けを求めた。

 ルーナリアは、まず徹底的な情報収集を行った。アステリアの魔法研究の歴史、魔力の流れ、最近の気象変動データ、そしてゲームの知識を照らし合わせる。結果、彼女は、アステリアの魔法師団が、禁忌に近い強力な魔法を、国の防御のために秘密裏に開発しており、それが不安定な魔力暴走を引き起こしていることを突き止めた。

 ルーナリアはアステリアへ向かい、その魔法師団の長と交渉した。

「貴方方が開発中の魔法は、確かに強力でしょう。しかし、その副作用は甚大で、国民を危険に晒します。それよりも、我が国の地脈安定化の錬金術と、魔力吸収型防御結界を組み合わせれば、より安全かつ効果的に国を守れるのではないでしょうか?」

 彼女は、アルカディア王国が持つ、一見地味だが、実は非常に有効な技術を提示した。それは、彼女が「平和な地味ライフ」のために個人的に開発していた、魔力を利用して土壌を豊かにしたり、天候を安定させたりする技術の応用だった。アステリアの魔法師団長は、最初は鼻で笑ったが、ルーナリアが提示した緻密なデータと、その技術がもたらす安定性に目を見張り、最終的には彼女の提案を受け入れた。魔法暴走事件は収束し、アルカディア王国は間接的にアステリアの平和に貢献した形になった。


 またある時は、東方の「勇者の国レガリア王国」と、南方の「魔王領ヴァルキュリア」の間で、大規模な魔物侵攻の兆候が見え始めた。ゲームの知識から、これが「勇者と魔王の最終決戦」の前触れであることを知っていたルーナリアは、内心で「やっぱり来たか…!巻き込まれたくない!」と叫んだ。

 ルーナリアは、直接的な戦闘を避けるため、水面下で外交工作を行った。

 まず、レガリア王国へは、魔物軍の動きに関する偽の情報を流し、彼らがアルカディア王国とは異なる進路を取るよう巧妙に誘導した。これは、前世の経験で培った「誤情報をそれとなく混ぜ込む」スキルが役に立った。

 次に、魔王領ヴァルキュリアへは、間接的に食料と資源の供給を申し出た。もちろん、表向きは「友好国の支援」としてだが、実際には魔王軍の進軍速度を遅らせ、アルカディア王国に被害が及ぶ時間を稼ぐ目的があった。彼女は、魔王軍が人間界で物資を略奪する労力を減らすことで、アルカディア王国が襲撃される可能性を低く見積もっていた。

「…まさか、モブ国が魔王軍に食料提供するとか、本編には絶対にない展開よね…」

 ルーナリアは、自らのやっていることに内心でツッコミを入れながら、しかしその顔は真剣だった。


 時々巻き込まれ事故も発生した。

 ある日、ルーナリアは外交任務で訪れたレガリア王国の舞踏会で、うっかり「本編」の主人公たちと鉢合わせしてしまった。華やかなドレスに身を包んだ「ヒロイン」と、その隣に立つ「王子」。彼らの周りには、常に輝きとトラブルがつきまとう。

 舞踏会の最中、ヒロインを狙う刺客が放った魔法が、ルーナリアの方向へ飛んできた。

「え、私!?モブなのに!?」

 咄嗟にルーナリアは、前世で鍛え上げた「危機回避能力」(会社の理不尽な要求や上司の視線から逃れるスキル)を最大限に発揮し、優雅なフリをして、ごく自然に隣の柱の陰に隠れた。魔法は柱を直撃し、ヒロインと王子は刺客と戦い始めた。

「あー、危なかった。巻き込まれなくてよかったわ…」

 ルーナリアは、そのまま誰にも気づかれずに舞踏会を後にした。


 別の機会には、勇者一行がアルカディア王国の国境を通過しようとしていた。彼らは魔王討伐の旅の途中だった。

「お前も、魔物と戦うのか?」

 勇者が、ルーナリアに声をかけてきた。ルーナリアは、一瞬ひるんだが、すぐに平静を装った。

「いえ、私はただの旅の者でして…(内心:戦ったら死ぬわ!)」

 彼女は、当たり障りのない返答で早々に立ち去り、勇者一行と距離を取った。

「巻き込まれて死ぬなんて、モブのすることじゃないわ。平和に、地味に生きるのが、私のモットーよ!」

 ルーナリアは、そうやって「モブ」としての矜持を死守し、華やかな主役たちの物語から、見事に距離を取り続けた。


 ルーナリアの活躍が直接表に出ることは少ない。しかし、結果として紛争が早期に解決したり、疫病が収束したりする。これにより、他国からは「アルカディア王国は、なぜかいつも平和だな」「あの国に相談すれば、いつの間にか問題が解決している…?」と、戦略的に警戒される存在へと変わっていった。

「アルカディア王国は侮れない」「あの国の外交官は、表情ひとつ変えずに相手を丸め込む」といった噂が、水面下で広まる。


 国内では、ルーナリアの地味な手腕が、国の平和にどれだけ貢献しているかを国王も理解し始めていた。彼女への信頼を深め、より重要な外交を任せるようになる。国内では平和な日常が続き、民衆はルーナリアの存在を「国の縁の下の力持ち」として、静かに、しかし深く尊敬するようになっていた。彼女が街を歩けば、温かい挨拶や感謝の言葉がかけられる。

 ルーナリアは、自分の能力が、ただの「社畜スキル」ではないことを確信していた。それは、この世界で「平和」を守るための、確かな力なのだと。そして、彼女は、今日も地味な国の平和を守るため、密かに奮闘を続けるのだった。


 ---


 第四章:地味だけど最高の外交官ライフ


 ルーナリアの外交手腕は、もはやアルカディア王国を単なる「モブ国」から、国際社会において無視できない存在へと押し上げていた。彼女の粘り強い交渉と、アルカディア王国の地味だが確かな国力(豊かな農産物、安定した供給、信頼できる中立性)が評価され、周辺国との間に強固な平和条約や経済協定が次々と結ばれていく。


 かつて争っていた商国ヴァンダールと鉱山王国ドワーフディアは、今やアルカディア王国を介して安定した貿易関係を築き、相互に発展していた。魔法大国アステリアは、ルーナリアが提案した技術のおかげで、安全かつ効率的な魔法運用を確立し、国の防御力と生活水準を向上させていた。


 ルーナリアは、決して表舞台には立たない。しかし、国際会議の裏で意見を調整し、紛争の火種を消し、経済的な架け橋となることで、「平和の守護者」として、各国の要人からひっそりと尊敬を集めるようになっていた。彼女の意見には耳を傾けざるを得ない、という状況が生まれていた。他国の要人たちは、アルカディア王国の地味な第四王女が、実は最も厄介で、最も頼りになる存在であることを知っていた。


 そして、ゲームの「本編」――勇者と魔王の戦い、ヒロインと王子のロマンス――は、ルーナリアの意図しない間接的な影響も受けつつ、無事に終結を迎えた。レガリア王国と魔王領ヴァルキュリアの間で、熾烈な戦いが繰り広げられたが、ルーナリアが巧妙に誘導したおかげで、アルカディア王国はその影響を最小限に抑えることに成功した。ルーナリアは、その結末を遠く離れたアルカディア王国から静観し、心底安堵した。

「ふぅ、これでようやく、心置きなく庭いじりに集中できるわね」

 そう言って、彼女は大きく伸びをした。


 外交官としての地位を確立し、その手腕は国際的にも認められた。それでも、ルーナリアは決して派手な生活はしなかった。相変わらず地味だけど、充実した日常を送る。外交の仕事は増える一方だが、それは彼女にとって苦痛ではなかった。むしろ、自分の得意分野を活かせる喜びに満ちていた。


 彼女の毎日の日課は変わらない。朝は、アルカディア王国でしか採れない特産品を使った新しい料理を研究したり、庭で珍しい植物を育成したり。特に、前世の現代知識とこの世界の土壌改良術を組み合わせたルーナリアの野菜は、驚くほど甘く、栄養価が高く、市場で大人気だった。

 領民とのおしゃべりも欠かさない。彼らとの交流の中から、地域の小さな課題や、新しい産業のアイデアのヒントを得ることも多かった。前世で「社畜」だった反動か、ルーナリアはプライベートの充実を最優先した。

 王や王妃、兄姉たちも、今ではルーナリアの能力を全面的に信頼している。彼らは彼女に敬意を払い、外交に関する重要な決定は、必ずルーナリアの意見を求めるようになった。そして、外交を通して出会った他国の地味な要人たち――派手な主役級ではないが、実務能力の高い有能な人物たち――との間に、ルーナリアは信頼に基づく深い人間関係を築いていた。


 彼女が直接命令することはなくとも、彼女の提案やアドバイスは、常にアルカディア王国の進むべき道を決定づけている。彼女は、影の指導者として、確実に国をより良い方向へ導いていた。

「私がやっていることは、ただの『国を良くするための地味な作業』なんだけどね」

 そう謙遜しながらも、ルーナリアの心は満たされていた。


 アルカディア王国は、ルーナリアの外交手腕によって築かれた平和と安定を維持し、着実に発展を続けていった。食料自給率は常に高く、災害や疫病への対策も万全。他の大国が、未だに政治的混乱や魔物の脅威に直面している中、アルカディア王国だけは、まるで別世界のように穏やかだった。

 ルーナリアは、自身の知識や経験を後進に伝え始める。次世代の外交官たちを育成し、アルカディア王国の平和が永続的に続くための基盤を築いた。

 もう、誰に強制されることもない。自分の好きなように、地味ながらも充実した日々を送り続ける。


 ある日の午後、ルーナリアは庭のベンチに座り、穏やかな日差しの中で、自ら育てたハーブティーを飲んでいた。あたりには、彼女が手入れした色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りを漂わせている。彼女の隣には、可愛らしいリスや小鳥たちが集まり、啄んだり、さえずったりしている。

 彼女は、前世の社畜生活を思い出した。あの頃は、毎日が苦痛で、ただ時間が過ぎるのを待つだけだった。でも今は違う。一つ一つの行動に意味があり、それがこの国の平和に繋がっている。そして何より、心から「楽しい」と思えるのだ。

「まさか、転生してモブ姫になって、こんなにも幸せになれるなんてね」

 ルーナリアは、優しく微笑んだ。


 彼女は、王国の平和を守りつつ、自身のささやかな幸せを追求する、最高の「モブ外交官ライフ」を満喫していた。

 派手な物語の主役でなくとも、自分らしい幸せを見つけ、充実した人生を送ることができる。ルーナリアの穏やかな未来は、この平和なアルカディア王国で、永遠に続いていくことだろう。

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