#7 遭難?
外は、猛吹雪だった。今日は和也が休みだと言うので、いつもとは違う、市役所側の通学路を通る事にした。市役所側のルートなら、途中グラウンドを突っ切れば近道にもなるからだ。
坂を登り、階段を上がりきって、少し走るとグラウンドがある。通学路はグラウンドを迂回するようになっているが、それではかなり大回りだ。グラウンドを突っ切れば、大よそ半分で済む。昨夜からの大雪でグラウンドには人が通った後がない。僕はどうしようか迷っていたが、もう時間がなかったので、思い切ってグラウンドを通ることにした。
吹雪は一向に収まる気配がなく、いつもはグラウンドの向こう側に見える校舎も殆ど見えなかった。グラウンドの周囲だけは、さすがに少しは雪が踏み固められていて、最初は調子よく進むことができた。だが、進むに連れて、足首までだったのが膝まで、膝までだったのが太ももまで、そしてついに腰の高さまで埋もれるようになってきていた。僕は急に不安になり、後ろを振り返った。
どうやらほぼグラウンドの中央にきていたようだった。
この日の吹雪は、僕もそれまで経験の無いような猛烈なもので、地面に叩き付けられた雪が、再度吹き上がり、視界は僅か数メートル程度だった。
僕は、少し前にテレビでみた『八甲田山』を思い出し、急に恐怖心が沸いてきてい。そして、遠くの方から始業時間を知らせる鐘の音が聞こえてきた。
遅刻・・・
まだ、僕は恐怖心とは裏腹に、自分の置かれている状況が良く掴めてなかったようで、まだそんなことを考える余裕はあった。しかし、それから十分くらいかけて、僅かに二、三歩しか進めず、もはや僕の体力で進める状況にはないことを、ようやく理解したのだ。
(もう、うごけねぇ)
校舎一階のグラウンド寄りに、職員室があった。誰か先生が見つけてくれれば‥、そう思い校舎の方を見やったが、そもそも校舎がぼんやり見えるだけで、猛吹雪のため、職員室に人がいるかどうかも確認できない。
長靴と足の間の隙間には、雪がびっしりと入り込んでいた。くるぶしの感覚が無くなり、手の感覚も無くなりつつあった。恐怖心が湧き上がって来たと同時に、先程まで殆ど感じなかった寒さが体の芯に伝わって来た。
僕ら北国の子供の服装には、しっかりとした防寒対策が施されている。だから、通学時間で、震えるような寒さを感じる事は滅多に無いのだが、その時はすでに限界を越えていた。僕は空を見上げた。ドス黒い厚い雲が空全体を包み、雪がおさまる気配も感じられない。僕は、ジタバタしても始まらない事を理解し、取りあえず足元にうずくまり、周辺を少しずつ掘ってみる事にした。簡易のかまくらでもできれば、少しはマシになるかもしれないと考えたからだ。
僕は激しい吹雪に見舞われながらも、必死に穴を掘り続け、掘った雪を周りに積み上げていた。やがて、足元には、深さ五、六十センチ、直径八十センチ程のミニかまくらが出来上がってきた。そして、取りあえずそこにうずくまり、体を休めて天候の回復を待つことにした。
しかし、これでは周りから見えなくなってしまうし、上が開いているので、掘った穴が降り注ぐ雪で直ぐに埋まってしまいそうだった。このまま埋まっちゃったら‥僕は気が付くと半べそ状態になっていた。このままでは本当に学校のグラウンドで遭難してしまう。
しばらくして、僕は意を決し立ち上がり、校舎に向けて大きく手を振った。校舎は相変わらず、吹雪に霞んでいるが、先ほどよりは少し収まって来ているように感じていた。
僕は必死に手を振り続けていた。
(誰か頼む、気が付いてくれー)
すると、僕が、手を振リはじめてから十分ほどした後、グラウンドの先から、深沢先生がやって来るのが見えた。
(深沢先生・・・)
僕はその先生の姿を見たときに、思わず泣き出してしまった。恐怖心からやっと開放されたのだった。
「このばか者、こんなどごで何してるんだ」
先生は呆れて、そう叱りつけたものの、僕を優しく抱きかかえて引き上げてくれた。そして、おんぶしながら校舎内に運んでくれた。
玄関から入ると、そこには真夏が立っており、後ろにクラスメートがヤンヤの喝采を上げていた。
「わたなべ、沢井がおめの命の恩人だ。ちゃんと礼を言えよ」
深沢先生の背中から下りた僕は、事情がつかめぬまま、頭を掻きながら礼を言った。
「あ、ありがとう」
その時だった。
『バコ!』
真夏は僕の顔面にグーパンチを見舞っていた。
「バカ!」
そう言い残して、真夏は、一人その場を立ち去っていった。後ろにもんどり打った僕は、廊下のゴミ箱に顔をぶつけ、鼻血のオマケも付いて、しばらく保健室で待機することになった。
保健室には、おまわりさんも駆けつけ、事情を少し聞かれたが、大きな怪我もなかったので、今後は十分気を付けるように、と簡単に注意をして帰って行った。
山田先生は、保健室から僕の家に電話をしていた。
「‥いや、ですから怪我はないんだけども、本人は、大分ショックもあるようですし‥」
どうやら、先生は、僕を家に帰したいらしかった。
「おい、わたなべ、お母さんだど」
僕は、話すのが億劫だった。案の定、母は、騒ぎを起こした僕にカンカンだったのだ。
「怪我もしてないんならちゃんと学校で勉強してけ」
僕は、仕方なく頷きながら山田先生に母の意向を伝えた。
「しかだねぇなぁ、じゃぁ、服や靴下乾かしでがら、教室さ、戻ってこい」
そう僕に告げて、先生は教室へ戻っていった。
保健室の先生が、暖かい砂糖入りのホットミルクを入れてくれた。
「おいしい・・・」
僕の人生の中で、この時のホットミルクほど、体の隅々まで染み渡った美味しい飲み物はなかったのではないだろうか。僕はティッシュを丸めて鼻に突っ込み、ホットミルクを飲みながら話をしていた。
「先生、なして俺は殴られたんだべ?」
「殴りたかったんでしょ、沢井さんは」
先生は、クスっと笑っていた。
「なして殴らねばならねんだ?まったく、真夏のやつ・・・」
僕は、ホットミルクを飲み干した後、保健室のベットに横たわりながら、窓の向こう側のグラウンドに降り続く雪を見ていた。
「わたなべいだが?体は大丈夫がぁ?」
学年担任の米山先生が、僕の様子を心配して見にきてくれた。
「先生、ご心配お掛けしました、本当にごめんなさい」
僕は、心から詫びた。
「いやーまんず、最初におめを見つけたのは沢井だからな」
そう言って米山先生は、遭難騒ぎがあってからの、教室での顛末を教えてくれた。
(教室内)
「今朝、わたなべみだやづいねが?」
家を出て一時間が過ぎても登校せず、一向に連絡も来ない僕を心配した山田先生が、皆に尋ねた。
職員室では、まず、校長先生が警察に連絡を入れ、さらに、急遽、各学年の担任を一人ずつ残し、他の先生達で僕の捜索を行うことになり、慌ただしく捜索場所の相談を始めていた。
「わたなべが行方不明になった。先生達で探しに行って来るので、学年担任の米山先生の言うこと良くきいで、自習しとくように」
そう山田先生が告げると、後ろの方から歓声とも、心配の声ともつかない声があがり、グラウンドを臨む一番左側の後ろの席に座る真夏は、雪が吹き荒れる空を見上げていた。
教室では、米山先生が見回る中で自習が続けられた。自習が始まった後、しばらく経ってからの時だった。
外を眺め続けていた真夏が、突然、机を叩き立ち上がった。
「なんだ?沢井?」
「米山先生!外!グラウンドだよ!」
そう叫んで、教室を飛び出した真夏は、廊下のフックに掛けてある、アノラックを羽織りながら階段を駆け下りようとしていた。
「待て、沢井、どごいぐ?」
そう叫んで、先生も外を見やると、確かにグラウンドの中腹で誰かが手を振っていた。
「ありゃあ、わたなべが?」
そう言うと教室は、大騒ぎになった。階段を駆け下りた真夏は、下駄箱の前にある職員室の入り口に駆け寄った。
「先生!グラウンド、グラウンド!」
そう告げると、今度は下駄箱で長靴に履き換え、玄関を飛び出し、グラウンドに向かって走り出した。
「待てぇ、沢井、いぐなぁ!先生だちでいぐがらー!」
後から追いかけて来た先生達が、グラウンドに入りかけた真夏を制して、抱き抱えていた。
そうして、深沢先生が僕を救出してくれたのだ。
米山先生からの話を聞きながら、ようやく事情を察することが出来た僕は、真夏が怒っていた意味を少し理解することが出来た。
(心配かけたんだな・・・)
そうこうしているうちに、教室に戻る時間になっていた。また、みんなにからかわれる、そう思うと憂鬱になったが、仕方がない。覚悟を決めて、教室のドアを開けた。
教室のドアをおそるおそる開けると、シーンと静まり帰った教室が突然、沸き上がった。黒板には、
「遭難から、無事帰還、おめでとう!」
「わたなべ、奇跡の生還!」
等と書いてある。
目を丸くしている僕は、皆に手荒い祝福を受けながら、席に着いた。その後、先生から全員がしっかり注意を受け、通常の授業が始まった。
僕は、視線を感じて、一つ間を挟んだ窓際の席にいる真夏を見た。すると真夏はプイと視線を外してまた窓の外を見ていた。
(そうか、あそこから俺を見つけてくれたんだな)
僕は、真夏が見つけてくれた状況を理解した。
その日の昼前には、先程までの猛吹雪が大分おさまって、小康状態になっていた。とは言え、僕の遭難騒ぎもあり、給食を食べた後、皆一斉に帰宅することになった。
帰る際に、周りの友達からも声をかけられたが、保健室に荷物があったので、友人達に、先に行っててくれるように告げて、一人保健室へ向かった。保健室では、僕のアノラックや靴下長靴が既に乾いていた。それらを身につけた後、保健の先生に丁寧にお礼を言い、保健室を後にした。
保健室を出た後、さらに職員室の先生達にも頭を下げて、廊下に出た。皆帰宅したのか、校舎は、既に静まりかえっていた。僕は、下駄箱に向かい、真夏に殴られた場所にきた。
そこには、ひっくり返って、僕がぶつかり、ずれたままのごみ箱があった。僕は、(ちぇっ)と舌打ちしながら、そのごみ箱の位置を直して学校を出た。校門を出ると、陰からひょっこり人が現れた。
「遅いじゃない。今度は、私が遭難しちゃうよ」
真夏だった。
「さっきはごめん」
先に謝ったのは真夏の方だった。
「俺もごめん」
「なんであんたが謝るのよ?」
「いや、なんか怒らせちゃったかな、と思って‥」
「怒ったよ。行方不明とかいっちゃって‥、ばっかじゃないの」
僕はその真夏が発した言葉の微妙な抑揚と、僕を校門でずっと待っていてくれた行動に、子供ながら、真夏の気持ちを感じとっていた。
また、少し雪が強くなってきていた。
僕らは、その後、ほとんど言葉を交わすことなく、二人で並んで歩いていた。そして、隣のクラスの琢己達と、とっくみあいの喧嘩をした畑に差し掛かった時だった。分厚い手袋をした僕の右手に何かが触れた。真夏の左手だった。
僕は、自然にその行為に応える様に彼女の左手を握り返していた。
何繋がった、そんな瞬間だった。