#5 大晦日
男鹿半島は、長い冬に入り、大晦日を迎えていた。男鹿半島では、大晦日の夜に、全国的にも有名な『なまはげ』が町内の各家庭を練り歩く。
そうして、親の言う事を聞かない子供や、働かない嫁などを脅かしながら、悪事に訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えるという行事であったが、僕は、日ごろから、むしろ、母親や子供達より、毎日酒ばかり飲んでいる大人の男たちが叱られるべきなのではないか、と子供心に思っていたものだった。
だが、そんな事は当の本人たちが扮するなまはげに伝わるはずがなかった。
その年は、僕の父親が久しぶりになまはげの役をやることになっていて、持ち回りの関係で、隣の吉住町にも顔を出すことになっていた。
さすがに僕らの年齢にもなると、なまはげには慣れていたので、姿を見ただけで泣くようなことは無くなっていたが、あの真夏はどうなのだろう、そんな興味が僕には沸いてきていた。
大晦日ということで、いつもよりゆっくりの夕食を取っていると、遠くの方から、地の底から響くような雄叫びが徐々に近づいてくるのが分かった。
「泣ぐ子いねがー、親の言うごどきがね子いねがー、ウォーウォー」
一番下の弟はまだ幼稚園だ。すぐに涙目になり、母の背中に隠れガタガタ震え出していた。やがて家が不気味な振動を始めた。
なまはげが玄関の柱を叩き出したのだ。片手で拳を打っているだけのはずだったが、その時、すでに築三十年を超えていた我が家を震えさせるには充分な力だった。母の背に隠れていた弟はもう号泣を始めていた。
家に上がり込んできたなまはげは、既に事情を察している我々に軽く脅しをくれた後、標的を母の背に隠れている弟に絞ったようだ。
「ウォー、親の言うごど聞いでるがー」
「きいでるー」
弟はそう号泣しながら答える。
「ピーマンや人参、まずいってわがまま言って残してねーがー、言うごど聞がね子は、山さ連れでいぐぞー、ウォーウォー」
一瞬、弟が号泣しながら凍り付いた。まさに今日の昼ご飯で、人参とピーマンを食べる事が出来ずに母から散々叱られていたのだ。
(なんでそんなことを知ってるんだよー)
とでも訴えるように、また号泣を始めた。そして母は、弟を諭すように、なまはげに訴えた。
「明日から必ず食べますから、今日は許しで下さい。ね、明日から食べるよね?」
そう母が弟に言うと、弟は
「食べるぅー」
と絶叫。見事な決意表明だった。
その後、二階に逃げた弟をよそに、なまはげは御神酒を飲んで我が家を後にした。
「今日は、となりの町も周るんだべ?」
そう母に尋ねると、やれやれといった表情で答えた
「そうみたいだね」
僕は、夕食を切り上げ、母親に内緒でなまはげに付いて行くことにした。
「ちょっと、和也の家に行ってくるよ」
「年越しそば食べるんだから、さっさと帰って来なさいよ」
そう母に言われたが、返事もそこそこに僕は玄関を飛び出した。
外はシンシンと雪が降っていた。なまはげの雄叫びとともに、秋田の大晦日らしい静かな夜だ。なまはげは、もう二軒先まで進んでいた。恐らくあと二、三軒済めば、隣の吉住町へ移るはずだ。なまはげには、世話人の大人が、数人付いて回っていた。
僕は、なまはげや、世話人の大人達に見つからないように距離をおいてついて行った。すると、向こうから和也がにやにやしながら現れたのだ。
「なんだ、何してるんだ?おめの町内のなまはげは、こっちでねーべ?」
「今年は、おめんとこのなまはげ、となり町まで回るんだべ?」
「なして、そんたごと知ってんだ?」
「おめこそ、何でついで回ってるんだ?見つかったらおごられるべ?」
「いや、俺は・・・今年、おれの父ちゃんなまはげだからよ‥どんなもんかと思ってさ」
和也がまたニヤニヤしながら頷いていると、突然、小声で囁いた。
「なまはげ、真夏の家もまわるんだべ?」
お互いの興味の矛先は一致しているようだった。
父が扮したなまはげは、僕から見てもなかなか迫力ある威勢を張り上げていた。各家庭で御神酒も入り、大分酔いも回っているようでさらに勢いが増してきていた。
「西村さん、いいがぁ」
真夏は、真夏の母親の実家である西村さんの家に住んでいた。世話人が、西村家の了解を取り付けた様だ。世話人のゴーサインを受けて、父ともう一人のなまはげが家の中に入って行った。
「ウォーウォー‥」
「真夏のやつびびってるかな?」
和也が、遠巻きに中の様子を伺いながら呟いた。
「さぁどうかな‥」
正直、いつも強気の真夏が、しおらしくびびっている姿も見たかったが、それは見てはいけないような気もしてきていた。
「おら・・・帰るかな」
そう和也に告げると、僕は真夏の家に背を向けようとした、その時だった。
「ウォーウォー、こや娘は、山さぁ連れでいぐぞー」
そう叫びながら、なまはげが、真夏を肩に担いで家の中から出て来たのだ。和也が思わず叫んでいた。
「うおー、わたなべ、見ろ、真夏がなまはげ、叩いでるどー、うひょっ、すげぇ、さすが真夏だぁ」
見ると確かに真夏がなまはげの肩の上で、何か叫びながら足や手をバタバタさせて暴れていた。
大体外に連れ出されるのは、なまはげに反抗した場合だ。恐らく真夏は、言うことを素直に聞かなかったのだろう。そして、肩の上の真夏が少しおとなしくなったの見計らい、なまはげが、彼女を下に下ろして家に帰そうとした時、真夏と僕は目が合った。
真夏は、こちらを睨み付け、大きく
「あっかんべぇー」
と、舌を出し怒った様に家に入って行った。
「おぃ、真夏のやつ今、泣いてたんでねーか?なっ!」
和也がびっくりして、それでもうれしそうに叫んでいた。僕の視力は当時2.0あり、彼女の顔もはっきり見えていた。でも僕は、見てはいけないものを見たような気分になり、思わず答えていた。
「いや、泣いてねーべ、おら帰るわ、じゃな」
「おーい、なしたのよー?」
そう、呼び止めようとする和也を振り切り、何だかすっきりしない気分を抱え、僕は、帰路に着いた。