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『口笛』  作者: kachan
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#4 海

 僕らが住んでいた男鹿半島は、海に囲まれた、漁業と観光の町だ。駅のすぐ裏手には、その後埋め立てられてなくなったが、漁船を駐船するための港が広がっていた。


 港は本当は子供が近づいてはいけないと言われている場所だったが、僕らにとっては格好の遊び場だった。漁船が並ぶ岸には、船を付けるときに船が傷つかないよう、ちょうど海面の高さにタイヤが吊り下げられていて、そのタイヤを引き上げると、その中にカニや小さな魚が隠れているのだった。


 僕達は真夏を誘って、そんな遊びもしていた。


「真夏がいたとこには、海はあったのが?」


「広島だから海はあったけど、山口県よりじゃったから、海沿いには紙を造る工場なんかが広がっとって、近くには綺麗な遊べる海はなかったなぁ」


「そっかぁ、じゃ、砂浜の海なんかねぇのか?」


 和也は、少しからかうように聞いていた。


「近くには遊べるような海はなかったなぁ、お父さんはいつも仕事が忙しいって、海水浴も連れて行ってくれんかったし」


「じゃ、今度みんなで、海に遊びに行くか?鵜ノうのさき海岸さ!」


 僕は、唐突に海を見に行くことを提案していた。僕らの町からは、遊び場になっていた漁港はすぐに行ける距離にあったが、鵜ノ崎海岸には少し距離がある上、途中きつい坂を越えなければならず、小学生が自転車で行くには、かなりの決意がいる所だった。


 しかし、真夏と一緒なら、がんばって行く価値がありそうだった。僕らは和也と他の友人を誘い、五人で行くことになった。


 次の日曜日、メンバーは、午後一時に僕の家の前に集合した。まだ、七月初めの秋田は、それでも初夏の雰囲気に包まれ、とても良い天気だった。


「今日はいい天気だなぁ。きっと海も気持ちいいべ」


 和也が大きな声でうれしそうに話していた。少し遅れて真夏がやってきた。


「わりい、わりい、自転車、アネキから借りてきたけぇ、おそぉなったわ」


 自転車は、真夏の身長にしては少し大きめの、ピカピカのスポーツタイプの自転車で、明らかに僕らのオンボロチャリとは、違っていた。その自転車を、皆珍しそうに覗き込んでいた。


「さ、いぐべ、いぐべ」


 和也の号令で、皆が出発した。少しばかりの商店が立ち並ぶメインストリートを抜けると、やがてきつい坂が見えてくる。


「おー、凄い坂!」


 はぁ、はぁ、と息を切らしながら、真夏も驚いている。実は、自分もいつもは父が運転する車に乗って通るばかりだったので、自転車でこの坂を通るのは初めてだった  

距離にしておよそ二百メートル程度だろうか、一直線の急な坂道を登りきると、暫く平坦な道が続き、今度は曲がりくねった下り坂に入った。


 五人の編隊は、競うように、スピードを上げて、少し、順序を入れ替えながら下っていく。

肩まで伸びた髪を、気持ちよさそうになびかせながら、真夏が僕の脇をすり抜けて行った。海が近づいて来ると、道路脇の民家が増え、潮の香りが強烈に漂ってきた。おそらく海の匂いと言うより、近辺の漁師の軒先に干してある、網や漁に使う道具を干すときに香るものなのだろう。そうして、海沿いの道に出た。


「おー」


 皆で大袈裟に歓声を上げた。


 初夏の青空に映えた海は、どこまでも澄んでいた。海鳥が舞い、海水浴シーズン前の浜辺はとても綺麗で、静かだった。僕達は、海沿いの道をさらに三十分程走り、目的地である鵜ノ崎海岸に着いた。


 皆で自転車を止め、海岸沿いの護岸コンクリートに腰掛けて、コップに注いだ水筒の水を一気に飲み干した。


「でぇれぇ、きれいじゃ」


 真夏も感動しているようで、広島弁が全開となっていた。もちろん、僕も最高の気分だった。


 海を見ながら不意に真夏が口笛を吹いた。普通の口笛ではなくて、人差し指と親指で輪を作り、口の中に指の輪を咥えて吹く奴だ。とても大きな音で、みんなびっくりしていた。


「なんで、そんなおっきい音するんだ?」


 僕は、見様見真似で吹いて見たが、全然音がしなかった。どうやるのか、しばらく教えてもらっていたが、全然鳴らなかった。


「わたなべ、下手じゃなぁ」

 

 真夏は僕の口笛が、スースーするだけの様子を見て大笑いしていた。僕は少しへそを曲げて、立ち上がった。


「さぁ、さぁ、海で遊ぶべ!」


 鵜ノ崎海岸は、浜から百メートル以上沖合いまで、50センチ程度の深さで遠浅の海が続き、子供だけでも危険なくカニや小魚、ウミウシ等、様々な生き物を捕まえたり、観察したりする事が出来る場所で、僕らにとっては、絶好の遊び場だった。僕達は、思い思いに海に入り、遊んでいた。


 ズボンを膝上まであげた真夏のはしゃぎ様は、存分に楽しんでいる様子で、僕はとてもうれしかった。やがて夕刻も近づき、帰り支度を始めようかと相談しているときに、真夏が少し不安げな表情を浮かべているのに気が付いた。怪訝そうに見ている僕に真夏が近づき、耳うちしてきた。


「笑わんで。トイレ、帰りまでもたないかもしれん‥、どうしよ」


 僕は、ハッとした。そう言えば僕らは、何の気なしに、物陰で用を足していたが、真夏がそうは行かないのは、当然だった。少し思案していたが、周りを見ても、トイレは無かった。


(その辺でするしか・・・)


 喉まででかかった言葉を、取りあえず踏みとどめたものの、妙案が浮かばない。


 ふと山側を見上げると、数十メートル程度道を登った高台に、見覚えのある白い建物が見えた。前の年に出来たばかりで、その年の夏に家族で泊まった宿泊施設があったのだ。自転車を押しても、せいぜい十分程度だろう。


「あそこに行けば、トイレが借りられるよ」


 僕はすぐに真夏にそう伝え、皆に声をかけて、そちらへ上がる事にした。少し坂がきつく、思ったより時間がかかったが、真夏も無事トイレを借りる事が出来て、事なきを得た。


 時間は既に五時半を過ぎ、急いで帰っても、完全に門限を越えることになっていた。僕は焦っていた。


「さぁ帰ろう」


 僕が皆に声をかけ、帰ろうとした時だった。


「おーい、みんなぁ、こっち来てみぃー!」


 それは建物の脇の方から聞こえて来た、真夏の声だった。


(もう、暗くなっちゃうよ)


 そう思ったが、声のする方に皆で取りあえず向かった。


「ほらぁ、見てみぃ、これ見んと帰ったらもったいないけぇ」


 真夏が海の方を、指さした。そこからは、僕らが、先程まで遊んでいた海を一望出来たのだ。遠浅の海は穏やかに波打っており、とても静かだ。

そして、その海の果てに、まさにに太陽が沈もうとしており、空と海が一体となって、オレンジ色に輝く絶景となっていた。


「みかんみてぇな色だぁ!」


 和也が呟いた言葉には、皆吹き出していた。


「あたし、この景色、一生忘れんよ。連れてきてくれてありがと」


 真夏がゆっくりと実感を込めて僕に耳打ちした。


「一生」だなんて、なんて大袈裟な、僕は、そう思いながら、夕日に見とれ、オレンジ色に輝く真夏の横顔と、海を見ていた。


「わたなべ、やべーど、くらぐなってしまうど!」


 一緒に来たヤスが叫んだ。我に帰った僕らは、慌てて自転車に飛び乗り、帰路に付いた。五時半だった門限を、一時間半もオーバーし、皆それぞれこっぴどく親に叱られたのだったが、あの夕日と、それに感動している真夏の横顔は、僕の脳裏にこびり付いて離れなかった。



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