#40 真くんの苦悩
入道崎から男鹿温泉郷までは、車でゆっくり走っても、およそ15分の道のりだ。
「何か凄い入り込んだ感じですけど…こんなところに、温泉郷が、あるんでしょうか?」
「心配か?」
「いえ、冒険してるみたいで、何だかワクワクします」
「そうか!何だか頼もしいな」
そう言うと、真くんと僕は、声を上げて笑った。
「あっ、ナマハゲが立ってますね」
「あぁ、あそこだ」
僕は、ナマハゲが立っている角を左に入り、緩やかな坂道を下った。10軒近くのホテル、旅館と共に、ラーメン、居酒屋などの飲食店も軒を連ねている。
「思ったより、賑やかですね。それに何か、風情がありますよ」
「風情、なんて分かるのか?」
僕は、思わず茶々を入れた。
「渡辺さん、見てください、何か行列してます。凄い人ですよ」
真くんが指差す方向に視線を移すと、確かに、その時間、その場所には、不釣り合いとも言えるほどの、長い行列が出来ている。
「綺麗な建物ですね、ごかぜ? 五風って書いてある建物に並んでます」
「何だろう?ホテルに行ったら聞いてみよう」
僕は、五風と書かれた建物を右手にやり過ごし、温泉郷の奥にある目的のホテルの駐車場に車を入れた。
ホテルのロビーでチェックインの手続きをしている間も、宿泊客が、浴衣姿のままで、次々と外に出ていき、ホテルの中居さんが、「行ってらっしゃいませ」と見送っている。
「何か、イベントでも、やってるんですかね?何か長い行列が出来てましたけど…」
僕は、次々と出ていく宿泊客を見やりながら聞いてみた。
「あぁ、はい。今日は、五風というライブホールで、若者がなまはげに扮して、和太鼓のライブをやるんですよ。お客さんも、是非見て行かれたらいかがですか?」
僕が、後ろにいる真くんを見ると、にっこり笑いながら大きく首を縦にふっていた。
僕達は、無理を言って、食事を後にしてもらい、部屋に荷物を置いた後、行列が出来ていた、五風と呼ばれるライブホールに向かった。
先程の行列は、既に建物の中に吸い込まれていた。靴を脱いで、通路を進むと、天井が高い、バスケットコート程のホールがあり、既に観客で八割のスペースが、埋まっていた。
「凄いな、こんなに人がいるなんて…」
びっくりしていると、進行役の青年が、後方であっけにとられている僕たちに、もっと前に詰めるようアナウンスした。
結局、開始時間になる頃には、通路まで人が溢れかえり、満場の中で、なまはげ太鼓のパフォーマンスが、始まった。
「うぉー、うぉー、なぐこいねがー、おやのいうごどーきがねこいねがー、うぉー」
後方入口から、五人のなまはげが、雄叫びを上げて、観客の中をかき分け入ってくる。場内にいる小さな子供数人が泣き声を上げた。
それまで、ゆったりしていた真くんが、あっけにとられている。
「驚いた?」
「は、はい。す、すごい迫力ですね。驚きました」
その後、入場してきたなまはげ達が、勇壮な和太鼓を繰り広げる。一曲目が終わると、なまはげの衣装を脱いだ若者に、女性二人も加わり、迫力ある太鼓のリズムを刻む。
綺麗なホールに和太鼓のリズムが、響き、身体中が、鼓動する。宿泊客達は、少しお酒も入っているせいか、拳を振り上げ声援を送る。
「何か、ここは、深海を通り過ぎてたどり着いた、竜宮城みたいですね。まだ、夢を見てるみたいです…」
なまはげ太鼓のパフォーマンスを見終えた後、僕達は部屋に戻り、手早く食事を済ませ、温泉に入り、後は、寝るだけになっていた。
「今日は、疲れただろう。ゆっくり休むといいよ」
僕は、部屋の灯りを落とし、布団に入った真くんにそう声をかけ、和室と、窓際の板間を仕切る障子を閉めて、窓を少し開け、冷酒に口を付けた。
なまはげ太鼓のリズムが、まだ僕の体を揺らしていた。
10分位経った時だったろうか。障子の向こうから、声がした。
「渡辺さん」
「どうした?眠れないか?寒かったかな。窓閉めるよ」
「いえ。そうじゃないです。一つ質問していいですか」
「いいよ、何でもどうぞ」
「渡辺さんは、僕の父では…ないのですか…」
突然の、驚くような質問だった。僕は、黙っていた。
「僕は、母から、父が誰なのか、全然聞いてないんです。結局、亡くなるまで教えてもらえませんでした。がんセンターで、初めて渡辺さんを見た時、もしかして、あなたが、僕の父なのではないか、そう思ったんです。すいません、こんな事言って…」
真くんが、泣いているのが、障子越しにも分かった。真くんの本当の苦悩を、僕は、何も理解していなかった。