#39 星の海溝
「渡辺さん、いったい、どうしたんですか」
心配そうに、真くんが、僕に声をかけた。僕は、立ち上がり、コートの下に着ていたブレザーの胸ポケットに右手を突っ込み、手にしたものを真くんに見せた。
「見てごらん。これは、僕が真夏に最後に会った時に渡した、手作りのキーホルダーなんだ。僕が青のなまはげ、真夏のが、赤のなまはげ。今日の夜、この僕が持っている青のなまはげのキーホルダーを君に渡そうと思って持って来たんだ。そのもう一方の、真夏に渡したはずのキーホルダーが、このフェンスに付けられてる」
「ホントですか?」
真くんは、しゃがみこみ、フェンスに付けられた、なまはげのキーホルダーを覗き込んだ。
「じゃあ、間違いなく、母はここに?」
僕は、大きく頷いた。気が付くと、既に陽は落ちて、辺りは薄暗くなってきていた。
「真くん、どうする?そのフェンスに付けられたキーホルダー、君が持ってかえってもいいと思うけど…」
真くんは、少し目を閉じ、思案していた。
「いえ、このキーホルダーは、ここに付けて行きます。母もそれを望んでるんじゃないかと…」
「じゃあ、この青のナマハゲのキーホルダーを君にあげるよ」
「それも、渡辺さんが、持っていて下さい、渡辺さんが持ってるべきだと思います」
そう言うと、真くんは、にっこり笑った。
「渡辺さん、この度は、本当に有り難う御座いました。母の遺言がこんなにも早く叶えられました。母も喜んでいると思います」
そう言うと、深々とお辞儀をした。その後、二人でフェンスに付けられたキーホルダーを、何度も撫でて、僕達は、鵜ノ崎海岸を後にした。
「ここから、何処に行くんでしたっけ?」
「これから、今晩泊まる、男鹿温泉郷に向かうんだけど…せっかくだから、君に見せたいものが、あるんだ」
「何ですかねー」
そう、いたずらっぽく笑う真くんは、窓を開け、外を眺めた。
「うわっ、もう真っ暗ですね、怖いです」
「ここからは、少し時間があるんだ。休んでいてもいいよ」
そう言う僕の言葉に、首を横に振り、続いて窓から外を眺めていた。しばらく走ると、『入道崎』の案内板が見え、さらに車を走らせた後、僕は、車を止めた。
「どうしました?」
「さぁ、車を降りるんだ」
僕は、そう言うと僕の車のライトを消して、エンジンを止め、キーをオフにした。ドアを開け外に出た真くんが、息を飲む。
「真っ暗だ」
西の空に、上弦の月が輝き、時折、回ってくる灯台の灯りだけが、辺りを照らす。それ以外に、全く光は無かった。
「少し、空を眺めていよう」
そう言うと、僕は、車のフェンダーに身を預けた。
「あぁ…」
真くんが声を上げた。
「見えてきたかい?」
「はい。満天の星…ですね。こんなに沢山の星、見たこと無いです」
「晴れてくれて良かった。これで月が出てなきゃ最高なんだけど、そればっかりはしょうがないね」
そう言うと、二人で空を見上げた。入道崎は、ほぼ360度を海に囲まれ、近くに町灯りも、街灯もない、絶好の天体観測スポットだ。
「僕が子供のころ、晴れて月の無い夜に、何度か父に連れて来てもらったんだよ」
「そうですか…、あっ、あれは、天の川ですか?」
「そうだよ、初めて?」
「はい。凄いですね、川と言うより…、星の海の中にある、星の海溝、そんな感じです」
星の海溝、それは、真夏が見せてくれた、真くんへのプレゼントだと感じた。
「さぁ、冷えて来たよ、宿に行って、温かい温泉に入ろう」
真くんは、元気に返事をして、車に乗り込んだ。
こうして、僕たちの短い旅は、終わりに近づこうとしていた。