#38 キーホールダー
僕達は、鵜ノ崎海岸に向かう前に、男鹿市の中心とも言える、男鹿駅のロータリーに車を回した。
「明日、この駅から帰るんだよ、12:30分の汽車だから、覚えておいてね」
「汽車…ですか?」
真くんは、怪訝そうな顔をして僕に聞き返した。
「あぁ、そうだね、向こうじゃ汽車なんて言わないか。男鹿線は電化されてないから、未だに、皆が汽車、汽車って言うんだよ。今は、ディーゼル車だから、ホントは汽車ってのも可笑しいんだけどね」
そう言うと、真くんは、クスリと笑った。それにしても駅の周りの商店は、年末だと言うのに、シャッターを下ろしたままで、自分が子供だった頃の賑わいが全くなく、人通りも疎らだった。
また、車に乗り込むと、僕達はゆっくりと町中を抜けた。
子供の頃に急坂に見えた坂道は、車で走ればなんのことはない緩やかな坂道であり、真夏と自転車で登ったのは、この坂道だったんだろうか?と自信がなくなるほどだった。緩やかな坂道を下り、右に大きくカーブすると、一気に海が開ける。
気温は低いものの、幸いなことに、天気には恵まれ、青空が広がっていた。
「あー、気持ちいいですねぇ、窓開けていいですか?」
「もちろん。寒くて嫌になるまで開けると良いよ」
それまで、車のヒーターを強めにかけていたので、真っ赤に火照った真くんが、気持ち良さそうに、風を頬に当てた。
「やっぱり、来るなら夏ですか?」
「そうだなぁ。俺は、冬の日本海も好きだけど。今度は、是非夏にも来て欲しいな」
真くんは、また大きく頷いて海に目を凝らした。時計はもう、午後4時を回ろうとしていた。
「静か、ですね。」
「あぁ、そうだね。多分、普段は北風に煽られて、波が高いと思うんだけど…12月に、こんな穏やかな日は、珍しいね」
さらに海沿いの道を進むと、『鵜ノ崎海岸』と表示された案内板が見えた。僕は、海岸沿いの、広いガラガラの駐車場に車を入れた。
僕と真夏が、小学生の頃に遊びに来た時には、駐車場も、併設されているトイレもなく、往生したものだったのだが、様々な設備が綺麗に整備されている。
僕は、自動販売機で、ホットコーヒーとココアを買い、真くんにココアを手渡した。僕らが、海を望むコンクリートの段に腰掛け、真夏と遊んだ時の話をしていると、突然、真くんがココアを脇に置き立ち上がった。
「ちょっと、海に入ってもいいですか?」
いたずらっぽく笑うと、驚く僕が制する前に浜に降りて靴下を脱ぎ始めた。
「おいおい、12月だぞ、無茶するなよ」
「大丈夫です。前に寒中水泳した友人が、冬は、かえって海の中の方が暖かいって…」
そう言うと、ズボンをたくしあげ、波打ち際に、走り出した。一つ武者震いした後、恐る恐る足先を水につけた、真くんが、にっこり笑った。
「やっぱり暖かいですよ、渡辺さんも、どうですか?」
首を大きく横に振る僕を見て、直ぐに彼は、沖に進み出した。
鵜ノ崎海岸は、数十メートルも先まで、数十センチの浅い海が続く、子供達にとっての絶好の遊び場。バシャバシャと、波を弾きながらはしゃぐ真くんを見て、そう真夏に教えた時のことを思い出していた。
「おーい、もう、日が暮れるよ。風邪引くから、そろそろ上がりなさーい」
そう告げると、大きな返事をして、真くんが戻って来た。
「もうすぐ日が沈みますね。母とは、ここで夕陽を見たのですか?」
「いや、ここじゃ無いんだ。後ろの高台にある建物の脇から見たんだよ。さぁ、早く足を拭いて、上に行こう」
そう真くんを急かして、車に乗り込み、高台に向かった。高台にある白い建物には、『休業中』と大きな看板が掲げられていた。
建物の前の駐車場に車を入れ、車を降りて周りを見渡し、僕は、真夏と夕陽を見た位置を探した。
「あっ、あっちだよ、真くん」
僕が指を指すと真くんが、走り出した。建物の脇に出ると、白い金網のフェンスと、海が見渡せるベンチが有った。
「ここですね、渡辺さん」
真くんが息を弾ませた。
「あぁ」
そう僕が答えると、真くんが息を飲み、海に沈む夕陽を見つめた。そして、夕陽を見つめるその真くんを見ながら、自分の視線を錆びかけた白い金網に移した時だった。
ベンチの前にある金網に、キーホルダーが、くくりつけてあるのを見つけた。
「渡辺さん、母は、亡くなる前に、ここに来たんですよね…渡辺さん、渡辺さん…
どうかしましたか?」
「あぁ、君のお母さんは、間違いなくここに来たよ」
そう言いながら、僕は、金網の前に膝まづき、涙が溢れるのを押さえることができなかった。
金網には、真夏が男鹿を離れる時に僕が手作りして渡した、ナマハゲのキーホルダーが、かけられていたのだ。