#35 真夏の遺言
真夏の息子だと言うその少年、真くんは、初めて会ったばかりの僕に「男鹿半島に連れて行って下さい」と泣きながら懇願した。
僕は、その彼の肩を擦りながら、尋ねた。
「真くん、なぜ僕じゃなきゃ駄目なのか話してくれないか」
真くんは、時間をおいて、深呼吸をした後、困惑している真夏の姉を見やりながら、静かに語りだした。
「母は、亡くなる1週間前に、突然ここから姿を消しました。病院の先生には話していたようですが、僕達には行き先を告げずに。
ただ、『大丈夫です。二日で帰るので待っていて下さい』って、メモを残しただけでした。
その時の母は、もう杖をついて、やっと歩けるような状態でしたから、僕や叔母は、とても心配して、あちこち探し回ったんです」
それから真くんは、真夏が、末期がんの痛みを緩和すれために、沢山の薬によって、やっと落ち着いていた状況を僕に説明した。
「母がいなくなった次の日、夜遅くに、ここに帰って来たときは、もうほとんど、意識が無いような状態で、その後、もう、母がはっきりとした意識を取り戻すことは、無かったように思います」
僕は、あまりに痛々しい真夏の終末を聞き、かぶりを振った。
「母は、いなくなっていた二日間、秋田に行っていました。バッグから、秋田行きのキップと、男鹿温泉郷のホテルの領収書、それに…」
そう言いかけた、真くんは、言葉を飲み込んだ。
「それに?」
僕は、思わずそう聞いた。
「それに…、母のバッグからは、渡辺さん、あなたが母に宛てた手紙が、40通も出て来たんです」
僕は、思わず目を閉じ、天井を仰いで、両手で顔を覆った。
「母は、多分、渡辺さんとの思い出の場所を回ったと思うんです。だから…」
僕は、不意に、鵜ノ崎海岸で真夏と見た夕陽を思い出していた。それにしても、こんな真冬の男鹿半島に行っても、あんな綺麗な夕陽を望むのは難しかっただろうに。僕は、胸が締め付けられるのを感じた。
「母が亡くなる前の晩でした。もう、目もほとんど見えて無かったと思います。ベッドの傍にいる僕の手を握って、言ったんです。『鵜ノ崎海岸の夕陽、綺麗だぁ。今度、息子連れてくるよ』って。だから、だから…僕は、母が渡辺さんと一緒に夕陽を見た場所に行きたいんです」
「分かったよ、真くん。僕は、年末に、秋田に帰るんだ。その時、一緒に行こう。お母さんが行った場所、全部連れて行ってあげる」
僕は、年末に、老人ホームにいる祖母に会うため、一人で秋田に行く予定を立てていた。
「渡辺さん、それじゃ、あまりにご迷惑じゃ…」
真夏の姉がそう心配した。
「お姉さん、真くんを少しお借りしていいですか。必ず、ちゃんとお返しします。それに、これは…僕のためでもあるんです」
最終的には、真夏の姉も了解してくれた。その後、僕達は、お互いの連絡先、日程の確認をして、都立がんセンターを後にした。