#34 僕を男鹿半島へ・・・
真夏が亡くなったことを聞いた後の30分ほどの間、放心状態になった僕は、談話ルームの椅子に座ったまま、真夏の担当だったという看護師に肩を叩かれるまで、一体何を考えていたのか記憶がなく、悲しんだのか、そうでないのかさえ分からない状態にあった。
「渡辺さん、渡辺さん…、大丈夫ですか?
沢井真夏さんのご家族が、いらしてますよ」
気でも失っているように見えたのだろうか、看護師の鈴木さんが、僕の肩を軽く叩き、そう告げた。僕が、談話ルームの椅子から力なく立ち上がり、廊下に出ると、ナースステーションの前に、女性と、中学生位の少年が立って、僕に向かって深々とお辞儀をしていた。
僕も、お辞儀をして、二人に駆け寄った。傍に近づくと、その女性が、真夏の姉であることが、直ぐに分かった。
「ご無沙汰してます。真夏さんと、秋田の小学校で一緒だった、渡辺です」
そう言うと、僕は、もう一度頭を下げた。
「まぁ…、あの渡辺くんなの?よくここが…」
彼女は、口元に手を当てて、言葉を詰まらせた。
僕は、真夏の姉の涙を目にして、初めて自分の瞼から涙がこぼれ落ちるのが分かった。 その後、僕と彼女は、談話ルームに移り、椅子に腰掛けた。
少年は、隣のテーブルの椅子に腰掛け、こちらの様子を窺っていた。
僕は、その病棟を訪れるまでの経緯を彼女に話した。
「まぁ、そんな偶然があるものなのねぇ。
きっと、真夏が貴方を呼んだんだと思うわ」
そう言うと、また、ハンカチで目頭を押さえた。
「彼は、お姉さんの?」
僕は、横でじっと話を聞いている少年が気になり、真夏の姉に尋ねた。
「真ちゃん、彼ね。彼は、真夏が残していった、一人息子なの」
「えっ、真夏の息子さん?」
僕は、驚いて、彼の顔を改めて覗き込んだ。確かに、よく見ると、少し張った頬の辺りや、二重の瞼が、真夏とよく似ていた。
「では、真夏は結婚を?」
僕は、深く考えもせず、そんな質問をぶつけてしまった。
「それがねぇ・・・」
彼女は、そう言うと、少年を見つめ黙ってしまった。一瞬の静寂が訪れた、その時だった。
「渡辺二郎さんですよね」
突然、少年が、僕のフルネームを口にした。
「渡辺さんにお願いがあります。僕を、男鹿半島に連れて行ってくれませんか」
彼は、そう言うと、さらに床にひざまづき、手をついて、僕に何度も何度も、頭を下げた。
「真ちゃん、それは、あとで、おばさんが連れて行ってあげるって…」
そう言うと、彼の肩を抱きしめた。
「駄目なんだ。渡辺さんじゃなきゃ駄目なんだ…」
彼は、真夏の姉に肩を抱かれながら、それでも僕に懇願した。それは、彼からの、唐突な、そして切実な願いだった。
「真くん、どうして、僕じゃなきゃ駄目なのか、話してくれないか?」
僕は、彼の肩を抱き上げ、椅子に座らせ、そう諭した。