#28 再び繋がる細い糸
僕は、真夏が担当したインタビュー記事が掲載されていた月刊誌、『○△ミュージック』を編集している編集部を訪れていた。
編集部のある雑居ビルの受付で、インターホンを押すことに躊躇していた僕は、偶然編集長に声をかけられ、応接室に通されたのだが、僕の動揺は、まだ収まっては、いなかった。
「少しお待ち頂けるかしら」
そう言い残し部屋を後にした、編集長の板倉さんは、壁の向こうで、何やら人を探しているようだ。
突然、応接室のドアをノックする音が響いた。
「は、はいっ」
僕は、裏返るようなすっとんきょうな声を発し、立ち上がった。
「お茶でございます」
若い女性が、丁寧なお辞儀をしたあと、僕の前に静かに茶碗を置いた。
「どうぞ、お構い無く、ホントにお構い無く…」
そう話すと、その女性は、ニッコリ微笑み、優しい口調で、僕に伝えた。
「間もなく、編集長の板倉、副編集長の港が参りますので、大変申し訳御座いませんが、もう少々、お待ち下さいませ」
そう話終えると、また丁寧にお辞儀をし部屋を出て行った。
副編集長も?どうやら、先ほどの編集長は、ややこしいことになったことを想定しているようだ。僕は、沢井真夏がいるかどうかを確認し、出来れば連絡先を、と思っていただけだったのに、大袈裟なことになって、名刺まで渡してしまったことを後悔した。
ただ、電話だけでことを進めようとすれば、見ず知らずの相手を取り次いでくれない可能性もあったのだから、こうなるのは仕方のないことだと思った。
しばらくして、再び、ドアをノックする音が、響いた。
僕は、深呼吸し、今度は、落ち着いて返事をした。
「はい」
返事をしたのとほぼ同時にドアが開き、最初に僕に声をかけてくれた板倉編集長が入って来た。後ろには、同じく女性の、副編集長港さんが、一年分位の、雑誌『○△ミュージック』を抱えて付いて来ていた。
僕は、二人から名刺を受け取り席に着いたが、副編集長の港さんは、かなり警戒しているようだ。僕が、自分を落ち着かせようと、お茶を口に含んだ時、さっそく港副編集長が、口火を切った。
「今日は、どう言った御用件でしょうか?」
僕は、直ぐにお茶をテーブルに置いたのだが、想定外の展開にまだ戸惑っていた。
「いや、あの…、僕が今日お伺いしたのはですねぇ、この記事の…」
僕は、そう言いながら、バッグから2ヶ月前の『○△ミュージック』8月号を取りだし、松山由美のインタビュー記事を指差した。
「この記事を担当した、沢井真夏さんのことをお聞きしたくて来たんです」
「沢井さん?」
二人は同時に言葉を発し、顔を見合わせた。
「失礼ですが、沢井さんとは、どういったご関係で?」
それは、想定内の質問だった。僕は、小学校からの知り合いであること、高校まで手紙のやりとりがあったこと、真夏の薦めで松山由美のファンになったことなど、ウソがないように、かつ、余計なことを言わないようにして、二人の関係を説明し、もし編集部にいるのであれば、面会でも出来れば、と思って来たことを伝えた。
板倉編集長は、こめかみに人差し指を当てて、僕の話を聞いていた。
「港さんは、もう良いわ」
そう板倉編集長が言うと、港副編集長は、僕の顔と身なりを改めて確認するように見ながら退席した。
「渡辺さん。残念だけど、沢井さんは、もうここには居ないわ。彼女、昨年末まで、うちの編集部で、社員で働いていたんだけど…、退職して、今はフリーランスでライターやってるの。その記事は、フリーの彼女に、お願いして書いてもらったものだわ。うちの本では、それが最後の記事になるわね」
「そうですか…」
僕は、多分あからさまに、落胆した顔をしてしまったようだった。少し思案していた、板倉編集長が切り出した。
「怪しい方ではなさそうだけど、今ここで彼女の連絡先を教える訳にはいかないわ。彼女には、私から貴方、渡辺さんが来たこと伝えておくわ。そこで貴方の連絡先を彼女に伝えても良いかしら」
「もちろん構いません。面倒をお掛けして申し訳ないです」
僕は、また真夏と連絡が取れるかも知れないと思うと、自然に笑みを浮かべてしまった。 僕は、板倉編集長に渡した名刺に、携帯電話の番号と、メールアドレスを書き、真夏には、こちらを伝えてくれるようにお願いした。
僕は、丁寧にお礼をして編集部を後にした。 真夏と会えるかも知れない、そんな期待感に胸が踊ったのだが、板倉編集長が別れ際に僕に発した言葉が、頭をよぎった。
「渡辺さん、貴方、沢井さんの近況は、ご存じ無いのかしら?」
何か、悲しそうな目をしていたような気がした。
『○△ミュージック』の編集部を訪れてから、2日が経った日の夜、デスクの片付けをしていたときに、携帯が、メールの着信を知らせた。送信元は、真夏に僕の連絡先を伝えてくれると言っていた、編集長の板倉さんだった。
僕は、さりげなく廊下に出て、携帯を開き、メールの受信ボックスを開いた。真夏は、板倉さんからの連絡にどう反応したのだろうか。 僕の心臓が、胸の中で激しく鼓動するのが分かった。
『渡辺様
○△ミュージックの板倉です。
さっそくですが、先日お越し頂いた沢井さんの件についての御連絡です。
まず、先方に貴方の事を伝えた所、「それは、私の知り合いです」とのことでした。
そして、貴方の連絡先を伝え、念のために、沢井さんのメールアドレスを、渡辺さんに伝えても良いか尋ねた所、「伝えても良い」と返事があったので、メールアドレスを下に書いておきます。
沢井真夏メールアドレス:
manatsuーsawai●8_8●@XX.YYYY.ZZ.jp
彼女にしては、珍しく嬉しそうでしたよ。
良かったですね。
今後は、彼女に直接連絡を取って下さい。
今後とも、○△ミュージック共々宜しくお願いします。
それでは。
板倉 』
僕は、真夏のメールアドレスを目にしたとき、込み上げる喜びを押さえることが出来なかった。真夏が、自分の連絡先を僕に伝えて良いと言ってくれた。また、真夏と会話が出来るのだ。僕は、暫し喜びに浸った後、この後、どうすべきか、慎重に考えなければならないと思った。
高校二年の時に最後の手紙を受け取っているとはいえ、僕から何かを伝えるのは、中学三年以来だから、23年振りになる。話は、通じるのだろうか。
真夏の手元には、僕のメールアドレスがあるはずだ。もしかして、向こうからメールが来るかもしれないし、僕が慌ててメールを出すのも、粋では無いように思えた。僕は、3日だけ、真夏からのメールを待つことにした。
それから、3日の間、携帯の着信を異常に気にすることになってしまったが、結局、真夏からはメールは来なかった。真夏から見れば、僕が編集部を訪れて、メールアドレスを教えたのだから、僕からメールが、来るものだと思っているのかも知れない。
僕は、仕事を終えた後、行き付けのバーで、一人メールの文案を考えていた。話したいことは、山ほどあった。会いたい、という気持ちも、伝えたい。
23年振りにかける言葉を考えているうちに、どう言葉を繋いでも、足りないようでもあり、言い過ぎでもあるように感じていた。
『真夏へ
本当にご無沙汰です。
元気ですか。
どうして、また君に、こうして言葉をかけることになったのか、不思議な偶然と、その巡り合わせに驚いています。
小学校時代からの友人である和也が、君が松山由美にインタビューしている○△ミュージックの記事を偶然見つけたのが発端です。
その記事を和也が見つけたのは、僕が松山由美の大ファンであったことを知っていたから。
そして、僕が松山由美のファンになったのは、君が最後の手紙で、松山由美のことを僕に薦めてくれたからなのです。
君が頑張っている姿を見て、すごく感動したよ。
僕は、弁護士になりました。
赤坂のタワービルディングに入っている法律事務所で働いています。
また、少しでも話が出来たら嬉しいと思います。
良かったら返事下さい。
渡辺 』
結局、こんな文章になってしまったが、これで送信することにした。真夏は、僕からのメールをどんな顔で受けとるのだろうか。
それから、真夏からの返事が来るまでの一週間は、まるで一ヶ月もあったかの様に、長く感じた。
深夜2時。自宅で裁判資料の整理をしているとき、携帯の着信音が鳴った。直感的に、真夏からだと分かった。
メールのタイトルは、『貴方の姿』だった。