#24 ライブハウス
僕は、明かりが落とされた場内に目を凝らし、自分が何故ここにいるのか考えねばならなかった。
六本木交差点から、麻布十番方向に向かい、やや下った所にその小さなライブハウスはあり、僕は長年ファンだった、松山由美のライブを聴きに来ていた。
そのライブの二週間前の事だった。
僕が、翌週に控えた裁判の資料を纏め終え、事務所がある、赤坂タワービルの喫煙ルームから、東京タワーを眺めている時に携帯が鳴った。時計は、もう十時を回っている。
その電話は、小学校時代からの親友、和也からだった。
「もしもし、渡辺か? 今、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だけど、どうした?」
「いや、ちょっと見せたいものが有ってさ。まぁ、メールで送ってもいいんだけど…、今日、これから会えない?」
「これから? おいおい、もう十時過ぎてるよ。それに、この間、飲んだばっかりじゃん。何なんだよ?」
「いやー、駄目なら、明日でもいいんだけど…」
「何だよ、要件を言えよ」
「それ言っちゃうと、つまんないと思うんだけど…」
「えー、何なんだよ。・・・仕方ないなぁ。
いいよ、じゃあ、いつものバーに、十五分で来てくれよ」
「オーケー!、そうこなくっちゃ。すぐにタクシーで向かうよ」
僕は、溜め息をつきながら、荷物をまとめ、外に出た。
十分足らずで、待ち合わせのバーに着き、ジントニックをオーダーした。
そのジントニックを飲み干し、三本目のラークマイルドに火を着けた頃に和也が現れた。
「おい、三分遅れだぞ」
「まぁ、そう堅いこと言うなって、どうせこの後何も無いんだろ?」
笑いながらそう言うと、和也は、バーボンをオーダーして、バッグから、B5サイズの小さなノートPCを取り出した。
「見せたいものって何なんだよ?」
「まぁ、そう焦るなって」
そう言うと、PCに電源を入れ、ブラウザを開き、どこかのサイトにアクセスを始めた。
「お前さ、松山由美のファンだったよな」
PCの操作をしながら和也が、そう言った。
「それがどうかしたか?」
僕が画面を覗き込むと、どこかのサイトが立ち上がった。
「おぉ、ほら、ここを見て欲しいんだよ」
そう言うと、PCの画面を僕に向けた。その画面には、松山由美のインタビュー記事が掲載されていた。
「ここはさ、『○△ミュージック』って言う音楽雑誌と連携しているウェブサイトなんだよ。
この記事、先々月号のインタビュー記事の要約版なんだけど、松山由美が六年ぶりに活動を再開する、って言ってる」
80年代にアイドルとしてデビューした彼女は、確かな歌唱力と、その愛くるしい笑顔で人気を博したが、結婚、出産等を経て、一線からは退く格好になっていた。
「…デビュー25周年…十月に六本木のライブハウス『スピード』で六年ぶりに活動再開記念ライブ…と…」
『有り難うございました』、そう締め括られたインタビュー記事を読み終えた僕は、まだ和也が、何故このサイトを僕にわざわざ見せに来たのか、理解出来ずにいた。
「最近、活動を再開したのは、もう知っているよ。六本木のライブは、知らなかったけどな。でも、これなら、URLをメールで飛ばしてくれれば済む話なんじゃないか?」
和也は、バーボンを喉に流し込み、画面の下を指さして言った。
「お前、ちゃんと最後まで読んだのか?」
「読んだよぉ」
そう言いながら、僕は、もう一段下にスクロールした。その行が、表示されたとき、僕は、左手に持ったジントニックを落としそうになるほど動揺し、続ける言葉を失った。
「な、驚いただろ? 」
実の所、そんな和也の言葉さえ耳に入らない程、僕は驚いていた。 その記事の最終行には、
(インタビュー 沢井真夏)
そう記されていたのだ。
驚いた僕は、そのインターネットの記事をもう一度上方にスクロールし、最初からあらためて読み始めた。
「んー、渡辺。おかしいな。俺は、そんな反応期待してたんじゃないんだけどな・・・。もっと、こう・・なんていうか、『まじかよー』とか、『ほんとかよー』、『懐かしいなぁ~』とかさ・・・そういう風になんないわけ?」
「あーっと・・・・」
僕は、そんな和也の声が頭に入らず生返事をするしかなかった。
「なんだかなー。・・・おつ、そうそう、そこの写真、真夏写ってるべ、右半身と、右側頭部だけだけどな、ははっ」
インタビュー記事には、松山由美の写真はもちろん、インタビュー風景、という感じで、インタビュアーの後方から松山由美をフレームに収めた写真があり、確かに、イスに腰掛けるインタビュアーの姿の一部が、端の方に写っているものがあった。
僕は、思わず、その写真を凝視していた。
「真夏・・・」
「渡辺、なんか、おかしいよ。その顔。なんか、昔別れた恋人の写真を見ているようだよ。どうしたの? 好きだったって言ったって、所詮小学校時代の話でしょ?」
僕は、小学校時代からの付き合いの和也にも、真夏との交際は伝えていなかった。でも、こうなった以上は、話さなくてはいけないと感じた。
僕は、和也に、真夏と小学校の6年の夏から文通を始め、中学3年まで続けたこと、好きだったまま、真夏との文通を止めたことを話した。
和也は、えらく驚いていた。
「・・・なんだよ、そうだったのかよ。確かに、小6の夏休み、俺たちが、市役所の裏の中川公園で野球しているとき、真夏のやつ、公園にきたけど・・・。
そのとき、おまえだけを呼び出して・・・。
でも、おまえ、俺たちに、ちょっと話をしただけだ、って言ってたじゃないか。
あのときに、気持ち確かめて、文通を始める約束したってのか・・・。真夏も大したやつだよな。
で、その中3の最後の手紙の後は、まったく付き合いなしか?今東京にいるなら、いつでも会えるんじゃないのか?」
「いや、その後一度だけ、『最後の手紙』はもらったけど、まったくその後は付き合いはないよ。だから、結局、小六以来、そう、二十六年会ってないんだ」
「最後の手紙?それは、どんな内容だったんだ?」
和也は、思いがけない僕の告白に、軽い興奮を覚えているようだった。
僕が真夏に、「文通はこれで最後にしよう」と書いた手紙を送ったのが、中3の時。その後、すぐに電話が真夏からあり、最後の会話を交わした。落ち込んだ真夏の声が痛々しく、僕は謝るばかりの、しんみりとした切ない会話だった。それから二年近くが経った、高校二年の十弐月に、真夏から手紙が届いた。
「渡辺へ
お元気ですか。
あれから、もう、一年と九ヶ月が経ちました。
渡辺から「もう、文通は終わりにしよう」って言われて、同意したのに、こうして手紙を書くこと、許してください。
でもね、渡辺、貴方はずるいよ。
渡辺は、考えて、考えて、最後の思いを思い切り手紙に託せたのに、私にとっては突然だったんだもの。
私は、貴方に対する総括ができてない、そう思ってきたの。
こうして時間が経って、やっぱりそのことに納得できなくて、手紙を書かせてもらうことにしました。
実はね、私にも、渡辺には、話せなかった事があったんだ。
中3の夏に、返事を一ヶ月くらい書けなかったことがあったの覚えてる?
あのとき、私には、とても気になる人がいた。
私を傍で見守ってくれて、色々悩んでた私を、とても心配してくれたの。
私は、とても迷っていたわ。
どうしよう、って。
私は、渡辺が好きだった。
とっても。
でね、私が始めた大好きな渡辺との文通、私はちゃんと最後まで続けるんだ、って、そう決めて、渡辺を選んだんだよ。
でも、こうして、時間が経って、今は、やっと思えるの。
私が選択できなかった、苦しい選択を、渡辺がしてくれたんだって。
『
おれの方は、岡山に来て、物凄く世界が広がったよ。
恐らく高校に入れば、もっと世界が広がると思う。
それは、真夏にも同じことが言えるはずだ。
おれ達は、この4年間、結局会うことが出来なかった。
そして、多分これからも、当分会えそうにない。
だから、おれが真夏を縛り付けることが真夏のためにならないような気がするんだ。
おれ達は、そろそろお互いから卒業するべきじゃないだろうか。』
今、貴方の最後の言葉を思い出します。
貴方に、重い荷物を背負わせてしまったのは、私だったんだって。
ごめんね。
そして、本当に、ありがとう。
感謝しています。
私は、今、前に文通の中でも書いたことがあったと思うけど、将来、音楽関係の仕事に就きたくて・・・がんばっています。
それと、今は、松山由美の音楽に夢中です。よかったら、貴方にも聴いて欲しいです。
渡辺は、どんな夢を持っていますか。
きっと、貴方は立派な大人になるのでしょう。
そんな大人になった渡辺に、どこかで会えたらいいな。
これが、私からの最後の手紙です。
読んでくれて、本当にありがとう。
それでは、お元気で。
そして、さようなら。
沢井真夏」
僕は、久しぶりに思い出した、沢井真夏からの最後の手紙の内容を、和也に話し終えたときには、もう涙を抑えることとができずに、泣いていた。
そんな僕を、和也は、呆然と見つめるしかなかった。
「なんだか、おかしいよな。」
僕は、自嘲気味笑い、ジントニックを喉に無理やり流し込んだ。
「真夏は、音楽関係の仕事に就きたいと言っていたけど、そのとおり頑張ったんだな。
それに、最後の手紙で、「松山由美」を俺に薦めて、その松山由美を通して、こうして目の前に現れたか思うと、なんだか不思議な感じがする。そういや、和也。前に会ったとき、“何でお前は弁護士になったんだ?”って、俺に聞いたよな」
「ああ、そのとき、お前は“なんでだっけなぁ”なんてとぼけてたけど・・・」
「今、思い出したよ。俺さ、最後の手紙で真夏に『きっと、貴方は立派な大人になるのでしょう。そんな大人になった渡辺に、どこかで会えたらいいな』って言われたんだ。だから、俺、真夏にどこか街角でばったり会っても、恥ずかしくないような大人になろう、って。そう思ってさ」
「それで、弁護士にか?」
和也は笑った。
「まぁ、職業は何でもいいんだよ。何でもいいから、中途半端は止めようって。とりあえず、目の前にあることは一生懸命やったんだ。俺、取り立てて運動神経良かったわけじゃないし。理系科目も苦手だったからな。文系で、必死に勉強して、気が付いたらこうなってた。
だから、弁護士になったのは、あいつの言葉を胸に、必死にやれることを頑張った結果なんだな、多分」
和也は、バーボンの氷をグラスの中で回しながら、バーの照明にかざして言った。
「行けよ。松山由美のライブ。インタビューで、真夏が“高校時代からファンだったので、復活ライブ、必ず行きます”って書いてある。
会場には、多分、沢井がくるよ」
僕も、インタビュー記事を読んで、そのことは考えていた。
「うん、そうなんだけど・・・どうなのかな。今更俺に会って、うれしいのかな。もう、俺たち40近いんだぜ。すっかりオッサンだよ、俺は。ここまできたら、むしろお互いのイメージぶっ壊さないで・・・とっとくべきってこともあるんじゃないか」
僕は、真剣にそう考えていた。
「あはは、馬鹿だなお前。お前は、小学校から何も変わってないよ。そのまんまだ。俺が保証する。心配するな」
「その言葉、信用できねぇよ」
「行くんだろ?」
「わからん」
僕は、迷っていた。結局、僕は結論を出せないまま、その日は、和也と別れた。帰りのタクシーの中、六本木の賑やかな人通りを眺めながら考えていた。ライブ会場に行けば、真夏がいるかも知れない。
相手は、僕が来てるなんて思いも寄らないはずだ。でも、僕は真夏が来ていることを知りながら会場を訪れる。なんか、騙してるみたいだ。
ネットのインタビュー記事に写る真夏の姿では、どんな容姿なのかまでは判らなかったあいつは、僕との再会を素直に喜ぶだろうか。
翌々日、僕の勤める法律事務所に封書が届き、秘書の中山が、僕に差し出した。
「速達が届いていますよ、後ろには、“米田会計事務所”としか書いてませんけど」
急いで封を切ると、中には、ライブのチケット1枚と、簡単なメモが入っていた。
「必ず行けよ。 和也」