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『口笛』  作者: kachan
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#1 赤坂


「渡辺先生、もうお帰りですか?来週の裁判資料、まだ見てもらえてませんけど・・・」


「あぁ、それなら大丈夫だよ。君が作った資料、いつも完璧だから。僕が作るより、説得力あるもん。それに、今から大事な打ち合わせだからさ」


「もう‥、今日は、どなたと打ち合わせなんですか?」


「いや、その・・・大事なクライアントだよ・・・」


「‥その領収書、私が処理するんですからね。この間も、副所長の決済通すの大変だったんですから‥」


 僕は、僕の秘書になって、もう七年になる彼女、中山悦子に完全に甘えていた。彼女は、弁護士の資格こそ持たないが、とても優秀で、最近の僕の仕事は、彼女無しでは成り立たない程だ。だが、少し世間知らずなところと、口うるさいのが玉にキズだ。


「分かった、分かった。いつも君のおかげだよ。食事したら、すぐに戻るからさ。資料、デスクの上に置いといてよ」


 そう彼女に告げると、足早に事務所を後にした。


 その晩は、久しぶりに小学校時代からの友人、和也に会うことになっていた。和也が秋田の高校を卒業して、東京に出てきてからは、半年に一度くらい会うようなペースでの付き合いが続いている。


 特に何か、大切な話があるわけではない。時々会って、自分達の近況報告と、何度も話した昔話に花を咲かせるだけだ。だが、日頃の仕事、あるいは生活で疲れている僕にとっては、ガス抜きとなる大切な時間だ。


 待ち合わせの場所に指定した、赤坂のビルの最上階にあるバーに着いたときには、既に約束の時間から15分が過ぎていたが、和也はまだ来ていなかった。


 僕は、カウンターに座り、軽めのジントニックを頼み、ラークマイルドに火を付けた。窓越しの、ビルとビルの間に、東京タワーが見える。


 僕の大好きな景色だ。


「よっ、敏腕弁護士。早いじゃん」


「おぃ、それは止めろって・・・」


 いつもの和也の軽口から、会話は始まった。


「そっちの会計事務所は、順調なのかよ?」


 和也は、東京に出てきてから、会計事務所に勤め、公認会計士の資格を取り、三年前に事務所を開いていた。独立する気が全く無い僕にとって、和也の独立は驚きだった。


「まぁね。何とか食い繋げてるよ。そっちこそ、そんなに脱力した顔して大丈夫なのか?まぁ弁護士先生なら、左団扇なんだろうけどな」


 まだ大して会話も交わして無いのに、キツイ一言だった。確かに最近、僕は弛んでいる。


「ばか言え。左団扇な訳ないだろ。‥でもなぁ、確かに、最近脱力してるんだよなぁ。秘書にも色々と言われちゃうし・・・」


「そもそも、渡辺は、何で弁護士になったんだっけ」


「なんでかって? そりゃ、世の中で困ってる、弱い人達を助ける為に決まってんじゃん?」


 和也が、吹き出していた。


「そこ、吹き出すとこじゃないだろ。んー?でも、ホントはなんでだっけなぁ?何故、俺は弁護士に‥」


 和也は、ついにはゲラゲラ笑いだしていた。


「そういや、沢井真夏、覚えてるか?あいつ、今頃どうしてっかな?」


 僕は、ドキッとした。


「なんだよ、急に」


「いや、お前の顔見てたら不意に思い出したんだよ。そりゃあ、知らなねぇか。でも、お前って、彼女のこと好きだったんだろ?」


「んまぁ、そうだったけど‥小学校以来、会ってもねぇしなぁ」


「そりゃそうだよな」


 そんな、会話を交わしながら、僕らは酒を酌み交わした。確かに、沢井真夏は、僕の初恋の相手だった。そして、小学校以来会っていないことも本当だった。だが、沢井真夏に関して言えば、和也に話していないこともあった。


 僕たちは、軽い食事も済ませ、「次はまた、三年後な」なんてアバウトな約束を交わし、十時過ぎに、赤坂見附の交差点で別れた。


 事務所に戻ると、秘書の中山がまだ残っていた。


「あら。中山さん、まだ残ってたの?」


「先生、すぐに戻るっておっしゃいましたから」


 彼女は少し怒っているようだったが、僕は、頭でも掻くしか無かった。


「資料のチェック、どうなさいますか?」


「あぁ、ちょっとひと休みしてから見ておくよ。そこにおいといて」


「ソファで寝たら風邪引きますから、ちゃんとご自宅にお帰りになってくださいね。あと、チェックはちゃんとアルコール抜けてからにして下さい。じゃぁ、今日はこれで失礼します」


 最後は、呆れたのか、少し優しい口調になっていた。彼女は、サッと荷物を片づけ、帰宅の途についた。僕は、遅くなった日は、自宅に帰らず、事務所の喫煙スペースにあるソファで休むクセがあった。そしてその日は、ほぼ間違いなく、事務所にお泊まりするコースだった。


 僕は、赤坂の新しいタワービルに居を移したばかりの中堅法律事務所で、もう十六年働いている。都内の国立大学の法学部を卒業して四年目のとき、この法律事務所にお世話になりながら、ようやく司法試験に合格し、司法修習を経て、そのままここで働いている。


 事務所の片隅に追いやられている、一畳半程の小さな喫煙スペースでタバコを吹かしながら、ライトアップされた東京タワーを眺め、大きく息を吐いた。


「わたなべちゃん、今日も遅いじゃないの」


 十七歳年上の先輩弁護士の篠田先生だ。僕が大学を出て、この事務所に入ったときに最初に付いた先生で、弁護士二十人を擁するうちの事務所では、副所長に次ぐナンバースリーの存在となっており、実務上のトップに立つ大先輩だ。


「なに溜息ついて。厄介な裁判でも抱えてんの?」


「いえいえ、そんな事はないですよ。ただ、さっき会った古い友人と、久しぶりに話をしたんで、昔のことを思い出してたんですよ」


「あぁ、そう。わたなべちゃん、田舎、どこだっけ?」


「秋田です。中学からは岡山の倉敷でしたけど」


「そうかぁ、秋田に倉敷かぁ、じゃ、今ご両親は?」


「今は千葉に住んでますね。昔、転勤族だったんですけど、定年のときに千葉に住んでて、そのまま気に入って、マンション買っちゃったんですよ。木更津に」


「あら、そう・・・。さぁて、ま、今日はあまり、遅くならないうちに帰ったら?帰れない日は帰れないんだから。じゃ、お先に」


 そう言い残すと、篠田先生は喫煙スペースを後にした。


 僕は、また東京タワーの方に目をやった。


「沢井真夏覚えてるか?」


と、和也に言われた言葉に触発されたのか、僕はその後も、東京の夜景を見ながら、故郷の秋田や、中学・高校時代を過ごした倉敷での出来事に思いを巡らさずにはいられなかった。




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