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『口笛』  作者: kachan
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#16 美観地区

 五月に入り、倉敷は、既にかなりの陽気となっていた。三月の末に、秋田から引っ越して来た時もそうだったが、秋田の感覚とは、季節感がかなり違う。それは、自分の感覚で言えば、もう完全に初夏の陽気だった。そんな5月の日曜日に、一人で出かけることにした。


 倉敷の駅から程近い所には、全国的にも有名な、古い倉屋敷が立ち並ぶ美観地区がある。僕は、そこを目的地とした。倉敷に来てから、初めての一人の外出であったので、家で倉敷の地図を見ながら行く道をメモに写し、自転車で出かけた。自宅を出て、高梁川沿いの道を走ると、倉敷駅には、およそ三十分で着いた。

 

 駅前には、三越デパートがあり、大きなライオン像が迎えてくれた。その三越デパートに自転車を止めて、デパート内をぶらりと歩いた。デパート内の本屋では、週刊誌を買ったりした。その後、バスロータリーを渡り、駅前商店街のアーケードに入った。


 今思えば、それ程でも無かったのかもしれないが、全体が真っ白で、アーケードの屋根の部分がとても高く、明るくて、お洒落な作りに、僕は感嘆していた。


 少なくとも自分が住んでいた男鹿半島には、そんなものは無かったし、秋田市内の繁華街に行っても見たことが無いような、立派なものだった。


 商店街を抜けて行くと、観光地らしい、おみやげ屋が軒を並べ始め、やがて綺麗な白壁と重厚な瓦屋根の倉屋敷群が見えてきた。倉屋敷の間には小さな川が流れていて川沿いには、柳の木が植えられている。なるほど、その空間は、子供の自分から見ても、まるで江戸時代にでもタイムスリップしてきた様な、異様な雰囲気を醸し出しており、子供心に、軽い興奮を覚えた。


 倉屋敷を一通り見た後、アーケード街に戻り、お腹が鳴るのを聞いた。ちょうど昼前に家を出た僕は、何か食事でもとろうかと思ったのたが、中学生が気安く入れそうな店は、そうは無かった。


 そもそも僕はそれまで一人で外食をしたことが無く、どうしようか思案していると、うどん屋の看板が見えた。


 そばやうどんなら、秋田にいた時にも、近所に店があったので、何とかなりそうな気がした。アーケード街の、さらに細い路地内にあったその店の入口から中を覗くと、近所にあったそば屋とはだいぶ雰囲気が違っていて、中学生の自分が一人で入れそうな雰囲気に感じられなかった。


 僕は、その狭い路地を一旦出て、ふらふらとアーケードを歩きながら、取りあえずジュースで喉を潤す事にした。販売機の前でコインを投入し、お目当てのジュースのボタンを押そうとした時だった。


 後ろから不意に肩を叩かれた。


 驚いて振り向くと、頬に鋭い指先の爪が刺さった。


「いてて‥」


 そこには、熊谷が立っていて、僕の肩を叩いた手の人差し指が、僕の頬に突き立てられていた。


「あ、ゴメン、ゴメン。急に振り向くからだよ。バカじゃなぁ」


 熊谷はお腹を抱えて笑っていた。


「そっちが肩叩くからだろ」

 

 僕は、驚いたのか嬉しかったのか良く判らない反応をしていた。見ると熊谷は、肩に何やら大きな黒いケースを背負っていた。


「何それ?」


「これ?エレキギター。あたし女の友達とバンドやっとるんよ。すぐそこに楽器屋さんがあって、そこのスタジオで今日練習じゃったんよ」


「ふーん‥」


 僕は、驚いていた。まだ中学の二年生なのに、しかも女の子がバンドなんて、と思ったのだ。それに加えて、彼女の格好は、学校で見る制服姿と違い、当時流行っていた、黒いヘビイメタル調のTシャツに、黒のデニムのタイトスカートを履いていた。そして、さらに幅広の黒皮のベルトに、金属のピンがビッシリ付いたものを身に着けていて、ちょっとカッコ良かったのだ。


「所で、こんなとこで何しとん?」


 下から覗き込むように、そして少し茶化すように僕に尋ねた。


「いや、倉敷初めてだし、駅の方に遊びに来た事無かったから、美観地区とか見たいかなと思って」


「うそ、まだ見てなかったんか?いいじゃん、あたしも最近いっとらんかったんよ!一緒にいこいこ」


そう言うと、僕の袖を引っ張って歩きだした。


(いや、僕はさっき行ったばかりなんだけど‥)


 そう言いかけたが、彼女がどんどん進んでしまったので、黙ってついて行く事にした。だが、ついて行って正解だった。彼女は、さすが地元民らしく、僕がメインストリートしか通っておらず、何があるのかもわからず、ぼーっと通り過ぎていたのを知っているかのように、大原美術館や、アイビースクエア、重厚な酒蔵、お洒落なカフェのある裏通りなどを案内してくれた。


 途中、ギターが重い、と言って僕が担ぐことになったが、その時の彼女は、学校で見せるクールな表情ではなく、一人の可愛い女の子だった。


(ぐぅー)


 不意に僕のお腹が鳴った。そう言えば、僕は昼食を何にしようか思案している時に彼女に会ってそのままついてきていたのだった。


「なに?お腹すいとん?」


「昼めしまだなんだ」


「なんだー、はよそれ言わんと」


 彼女は、また、なぜか大笑いしていた。


「何にする?美味しいうどん屋さんがあるからそこ行こか?」


 彼女は、何でもサクサクと決めていった。


 彼女が連れて行ってくれたのは、さっき僕がのぞき込んでいた、アーケード街にあるうどん屋さんだった。


「ここのうどんメチャ好きなんじゃぁ。初めてなら『ぶっかけ』がオススメじゃなぁ」


「『ぶっかけ』ってなんなん?」


 怪訝そうな顔をする僕を、逆に彼女が覗き返してきた。


「ぶっかけを知らんの?」


「うどんって言ったら、きつねとか天ぷらとか‥」


 彼女は、プッとふきだした。


「そっかぁ、ここのうどんは、秋田には無かったんじゃな。ゴメンゴメン」


 僕は、仕方無くその『ぶっかけ』を注文した。ぶっかけは、この地方独特の食べ方で、冷たい濃い目の汁に、艶やかで、コシのある麺が入っており、うずらの卵や、刻み海苔なんかがのっていた。僕にとって、はじめて口にするタイプのうどんだったが、存分に楽しむ事ができた。


「美味しいよ、これ」


 僕は、素直に感想を言った。


「じゃろー」


 彼女は、思いっきりの笑顔と岡山弁で反応してくれた。


「そういえば、ノートありがとう。助かったよ。もうならっとらん、って言い訳できんくなったけど。」


「別にえーよ。毎日暇じゃけぇ」


 考えて見ると、休みの日に女の子と二人で町を歩いたり、一緒に食事をしたりしたのはこれが生まれて初めてだった。真夏とはこんなデートさえしたことが無かったのだ。


 僕は、不意に真夏の事を思いだし、急に切なくなってきて、女の子と二人で食事をしている事に罪悪感さえ感じてきていた。熊谷と話す事がつまらなくなかっただけに、余計そう感じたのかも知れない。


 少し黙っていた僕の間を察したのか、彼女は「そろそろ帰る」と言って立ち上がった。うどん代は僕が払い、店を出て別れる事になった。


「岡山弁、少し話せる様になってきとるよ。その調子じゃな。じゃ」


 そう言うと彼女は軽く手を振り、僕と反対方向に向かって歩きだした。僕は、その日の夜に、倉敷について真夏に手紙を書こうと思っていたのだが、取りあえず翌日にすることにした。



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