#13 僕の転校
小学校六年生の秋から始めた真夏との文通は、2週間おきくらいのペースで続き、そうこうしているうちに、僕たちは、各々の地元の中学校に進んだ。
真夏と会えるかもしれない、と大いに期待していた、中学一年生の夏休みに真夏が秋田を訪れることはなく、結局会うことは出来なかった。
そして、あっという間に中学一年の三学期も終わりを迎えようとしていた。
家族で夕食を終え、楽しみにしていたテレビ番組を兄弟で見ようとしていた時だった。
「ちょっとテレビ消してくれる?」
母が突然、そう告げた。
僕たち兄弟は、わざわざ食事を早く終わらせて、待ち構えていたテレビなのに、と不満げに母の方を見やったが、いつも晩酌でほろ酔いになっているはずの父が、酒も飲まずに、神妙な顔をしているのに気がついた。
「お父さんが話あるって」
僕は、嫌な予感がしていた。少し前に母が、スーパーのパートをやめなきゃね、とか、引越はどうするの?等と父と話をするのを聞いていたからだ。
案の定、父からは、春休みに、仕事の都合で岡山県の倉敷と言う所に引越すことが、僕らに告げられた。
「おれは転校なんていやだ。ここに残りたい。叔母さんちに下宿する」
僕は、思わずそう主張し、兄弟達も、口々に不満を漏らしたが、受け入れられるはずも無かった。僕は生まれてから、この町を出たことが無かったし、転校もしたことが無かった。
そして、何よりも、岡山なんかに引越ししたら、もう二度と真夏に会えなくなってしまう、そんな気がしたのだ。
それから数日して、終業式を終えた僕は、クラスのみんなや小学校時代の友達を家に招待して、お別れ会を開いた。
中学校では別のクラスになっていた和也も来てくれた。
「なんだが、寂しいなぁ、転校ってのは、ほんとやなもんだな」
小学校の卒業アルバムを眺めていた和也が、僕に呟いた。
「そういや、真夏のやつ、元気かな」
アルバムを見ていた和也が、小学五年生の時の遠足を写した写真を指差しながらそう言った。
僕は、真夏と文通をしていることを和也に告げていなかった。
「さぁ、どうかな。あいつの事だから、きっと元気にしてるべ」
「んだなぁ、あいつ元気だったもんな」
お別れ会も、無事終了し、僕は引っ越しの準備をし始めていた。そして、その転校を、真夏に伝えねばならなかった。
『真夏へ
こんにちは。
元気か?
そっちも終業式は終わったのかな?
こちらは無事、終業式が終わったよ。
今回の手紙には、大きなニュースがあるんだ。
良いニュースなのか、悪いニュースなのかは分かんねぇ。
今度、おれは岡山県の倉敷というところに引っ越すことになったんだ。
生まれて初めての転校。
とても不安だよ。
どうしよう。
真夏は、何度も転校しているんだよな。
初めて転校したときは、どんな気持ちだった?
一緒に入学した仲間と、一緒に卒業できないのはとても残念だと思うよな。
向こうじゃ、2年生からの転入になるんで、とても不安。
でも、新しいことにチャレンジするのも、大事な経験なんだよな。
なげいていても始まらないので、何とか頑張ろうと思ってる。
次の手紙は、次の岡山の方の住所にください。
〒○○○―○○
岡山県倉敷市○○町○○番地
では、返事待っています。
わたなべより』
僕は、そう手紙を書いて、秋田を出発する二日前に投函した。
当時、秋田から岡山に行くには、まだ東北新幹線がなかったので、特急を乗り継いで上野に出て、引っ越しの挨拶がてら、埼玉の叔母さんの家に一泊し、次の日東京から東海道新幹線に乗り換えて、岡山に向かうことになっていた。
出発当日、早朝にも関わらず、男鹿駅には多くの友人が来てくれた。僕だけでなく、父や母の友人、僕の兄弟の友人など、沢山の見送りで、駅はなかなかの賑わいとなっていた。
中にはカラフルなテープを渡してくれる人もいて、さながらテレビで見た、昔の軍人が出征するような、そんな雰囲気にもなっていた。
やがて、汽車は警笛を2度鳴らし、男鹿駅を、ゆっくりと出発した。
男鹿駅を出発すると、先ほどまでの騒ぎがうそのように、車内は静まり返り、母が、その抱えた不安の大きさを表すように、大きなため息をついていた。
僕は、窓から小学校がある高台の方を見上げていた。そこには、2年前、真夏を見送るときに自転車で駆けつけ、口笛を吹いた丘が見えていた。僕はその丘に、自分が見送った時の姿を重ねていた。
(あの時、真夏には、こういう風に見えていたんだな・・・)
そして、汽車は、小さなトンネルをくぐり、単調な音を立てながら、思い出が山ほど詰まった、男鹿半島を後にした。