閑話:勇者の目覚め ヨン
私は自分の理想を彼に押し付けてしまった。
『優しい彼が好き』。『彼が誰かを傷つけるところを見たくない』。
こうあってほしい。それを彼に押し付けて―――私は彼の気持ちを蔑ろにした。
彼の中で、その気持ちがどれほど大きかったのか………それを考えず、無理やり止めようとした。
代償は、彼との決別。―――絶対に離れたくない人との別れ。
胸の中に空いた孔をどうしていいのか、私には分からない。
※ ※ ※
コンコンコン、とドアをノックする。
「………………」
自分でも分かるほど、顔の表情は強張っていた。
アサヒの部屋の前に立ち尽くす俺は、緊張していた。―――それはそうだろう。率直に言ってしまえば、彼女に俺は合わす顔がない。
どの面を下げて会えばいいというのだ。
彼女の恋人―――千間ヨミヤが指名手配になる原因は俺だ。
もっと言えば、千間を止めるという目的を忘れ、俺は千間を殺そうとした。―――それに、タイガに聞いたことだが、今回の一件でアサヒと千間は別れたらしい。
全部、全部全部俺のせいだ―――
「………誰ですか?」
そのとき、扉の向こうからアサヒのいつもと違った低い声が聞こえた。
「俺―――剣崎。夜遅くにごめん。………話したいことがあって」
「………」
扉の向こうの声は、俺の名を聞いた途端に静まり返る。
それでも、どうしても話したい俺は彼女の返答をひたすら待つ。
「………………よく来れたね」
敵意も悪意も、その言葉には含まれてなかった。―――ただ無感情に淡々と、そう告げた。
「………どうしても謝りたくて。でも、アサヒが嫌なら………………戻るよ」
「………」
再びの無言。
しかし―――
「………入って」
扉の鍵が開錠され、俺はおそるおそる扉を開ける。
「………………とりあえずケガはもう大丈夫みたいだね」
あくまで義務的にそう告げるアサヒが、扉を開けると現れる。
白のキャミソールに白の短パン。腰にはなぜか剣帯をしていて、足元は裸足だった。
「………シャワーでも浴びてたか? ごめん、タイミング悪かったな」
「いいよ」
髪は濡れていて、首元にはタオルが掛かっていた。その様子から今まで部屋に備え付けられているシャワーを利用していたことが伺えた。
「………っ」
同級生の無防備な格好に少しドキドキせざるを得ないオレだったが、彼女の顔を見た瞬間に、そんな感情を抱いた自分自身を酷く呪った。
「………どうしたの」
感情の乗らない声で俺に声をかけるアサヒの―――その眼の下には酷い隈が刻まれていた。
それだけではない。
よく見れば、全体的に痩せ切ってしまい、身体が病的な細さをしていた。
―――俺のせいか………ッ
俺が悠々と寝ている間、アサヒが何をしていたのかはわからない。しかし、激変した彼女の様子から、俺のやったことが彼女に多大な負担をかけていたことは想像に難くなかった。
「………」
唇をかむ俺を見ていたアサヒは、無言で、空いていたバルコニーの扉から外へ出た。
俺も、拳を握りながらその後ろをついて行く。
「………」
「………」
頭上には憎らしい程の満月が見えていた。
燦然と輝く月のおかげで、お互いの顔がハッキリと見える。
「最近ね、魔法の練習もしながら、剣の練習もしてるんだよね」
「………」
俺の方を見もせずに語りだすアサヒの言葉を、俺は静かに聞く。
「『止める』にしろ、『寄り添う』にしても、自分が強くなきゃいけないかなって思ってさ」
「………」
「まぁ、でももう………『止める』ことはないかな。―――それが理想の押し付けだって思っちゃったから」
虚ろな目で暗闇の中で光る月に手を伸ばすアサヒ。
しかし、手が届かないことを悟ると、アサヒはそっと手を戻し―――
「ヨミ、どうすれば戻ってきてくれるかなぁ」
アサヒは手すりの上に組んだ自分の腕の中に顔をうずめた。
「………」
俺には掛ける言葉が思いつかなかった。
否、言葉など掛けてはいけない。―――彼女がここまで苦悩する原因を作った俺には。
「………何か言いなさいよ」
「………慰めの言葉なんか―――言えないよ」
「………そう」
「ただ………………ごめん。アサヒや千間に………酷いことをした」
「………―――ないでよ」
俺の謝罪を聞き、アサヒは握り拳を作りながら呟き―――
「ふざけるなッ!!」
次の瞬間には怒りを露わにした。
「誰のせいでッ………誰のせいでヨミはあんな傷ついたのッ!!」
叫ぶアサヒは、瞳に雫を貯めて―――抜剣した。
「誰のせいでッ………誰のせいで私は彼と決別したのよッ!!!!」
「………」
「返してよッ! 謝罪なんか要らない!! ヨミと二人で居れた時間を………返してッ!!」
きっと、込み上げた感情が勝手に身体を動かしてしまったのだろう。
剣を握った彼女の腕が薙ぎ払われ―――俺の頬を浅く切り裂いた。
「ぁ………」
頬から流れる赤い血。
俺はその血のことなど気にすることもなく、顔を再び彼女へ向ける。
「………俺は、君の恨みも、殺意も、全部受け止める」
自分の振った剣が誰かを傷つけた。
その事実に怯えていた彼女へ、俺はハッキリと告げる。
「ッ………!!!」
俺の言葉に激昂してしまったアサヒは、乱暴に俺を押し倒す。
「アナタさえッ、アンタさえいなければこんな殺意も何も、抱えず済んだのよッ!!」
「………だな」
俺の上に跨るアサヒは、目下の俺を虚ろな目で見つめる。
「………あぁ、そうだ」
そして、何かを思いついたように言葉を紡いだ。
「アンタの首、持っていけば………ヨミも受け入れてくれるかな」
「………」
俺の上で、月を仰ぐアサヒは、おもむろに剣を両手でつかみ………振り上げる。
俺も、その様子を確認し、目を瞑る。
―――報いだな。
ほんの少しの恐怖心を、諦めで塗りつぶし―――その時を待つ。
「………」
しかし、いくら待てど、刃は俺の心臓を穿つことはない。
「………?」
少し疑問に思って、目を開けて―――
「なんでよ………っ」
剣を取り落としたアサヒが、涙を頬から流しながら顔を伏せていた。
「なんでって………」
困惑する俺の胸板に、アサヒの拳が振り下ろされる。しかし、その力は少女そのもの。『存在強化』をもつ俺の痛覚を刺激することはなかった。
「なんで抵抗しないの!? 『殺してもいいんだ』、『死んで当然のクズ』だって、そう思わせてよッ!!」
嗚咽を漏らし泣きじゃくり、無茶なことをいうアサヒ。
「―――君には、俺を殺す権利がある」
アサヒの、その向こうに見える月を見つめながら、俺は呟く。
「自分の心に―――欲望に負けて、君たちに酷いことをした。だから―――」
その言葉に、アサヒは顔を曇らせる。―――当然だろう。彼女は俺の気持ちを千間から聞いている。
恨んでいる相手に好かれるのを良しとしないのは当たり前だ。
「なんでアンタみたいな奴に好かれなきゃいけないのよ………なんで、なんで私なの………私はだたヨミとっ………」
「………ははっ、同情するよ」
「ッ!!」
俺の皮肉たっぷりな言葉に、今度こそ怒りを表したアサヒは、俺の胸倉をつかんで俺の頬を思いっきり殴りつけた。
「ふざけるなッ!! アンタなんか………どの世界でも一番嫌いよッ!!!」
「………ああ」
何度も、何度も拳を振り下ろすアサヒに、俺は抵抗することもなく殴られ続ける。
やがて、殴り疲れたのか、アサヒは俺の胸倉を両手でつかみ、顔を伏せる
「………わかってんのよ。アンタを殺してもヨミはきっと受け入れてくれない」
呟くように、独白するように、そっとアサヒは言葉を紡ぐ。
「―――アンタのせいで私たちは終わったの」
俺の上から降りたアサヒは、俺に背を向けて座り込む。
「………出て行って。………もう話しかけないで」
「………わかった。―――悪かった」
縋るように、夜の闇に顔を向けるアサヒに、俺は背を向けて部屋を後にした。
閲覧いただきありがとうございます。
あと小話を二話ほど投稿して、無窮の記憶編前半終了となります。