零度の中の可能性
そっと手放された死せる氷の種子は、万物を凍てつかせる絶対零度の化身として爆ぜる。
刹那、音さえも氷結するほどの『白の世界』が、その空間にある全ての存在を分厚い氷で覆う。
豪華な装飾も、大きな鉄扉も、暗闇を映し出す窓も、破壊された玉座さえ問答無用に真っ白な景色の一部にしてしまったのだ。
―――そして、音が氷解した頃に残るのは、『霜の世界』を顕現した魔王のみ。
※ ※ ※
「フム………見所があると思ったのだがな………」
己が秘儀が成した光景を目の前に、魔王サタナエルは残念そうに息を吐いた。
「仕方がないか………———これはウチの第一階級達でも耐えることはできない。どこの誰とも知れぬ者が耐えれる道理もない」
まるでオモチャを取り上げられた子どもが、仕方なく別の遊びに興味を向けるように、魔王は静かに瞑目した。
「クソ、開かないぞ!!」
「どけてアベリアス。―――扉、破壊するから」
その時、サタナエルの後方のドアが盛大に破壊され———アスタロトを筆頭に、アベリアスとネヴィルス、アザゼルが玉座の間に入ってくる。
「こ、これは………!?」
アベリアスは開口一番、玉座の間の光景に絶句している。―――後ろのネヴィルスとアザゼルも同様だ。
「………王様、これは?」
壮絶な光景に、少しだけ笑みを浮かべているのはアスタロトだ。―――そんな冷静な彼に、サタナエルはポリポリと後頭部を掻いた。
「いやぁ、見所のある子が来たから………つい本気出しちゃった」
「魔王様がそこまで評価するとは………一体何者………」
魔王の言葉に、ネヴィルスは疑問を浮かべていると、戦っていた者を直接案内したアザゼルが口を開く。
「悪魔族だ。―――まだ少年のように見えたけど………魔王様の見立てでは、我ら第一階級よりも強いらしい」
ざわつく部下達に、サタナエルは大げさに手を振り、笑う。
「気にする必要はない。―――もう終わったことだ。それよりもアベリアスもアスタロトも、ネヴィルスも連日の任務で疲れてるだろうに、心配してきてくれたんだな」
「いえ、魔王城に襲撃者があったとなれば、任務帰りであろうと………いくらでも駆けつけます」
「アベリアスに同じー」
「私もです魔王様」
アベリアス達の言葉が申し訳なくもあり、嬉しくもあるサタナエル。
だが、部下の管理をする者として、任務から帰って来てすぐに此処に駆けつけてくれた彼らに無理をさせる訳にはいかない。
「………この通り、私は平気だ。今日はもう戻って休んでくれ」
「この部屋の掃除はどうするの王様?」
「………………責任もって私が片付けるとも」
「私もご一緒致します魔王様!」
アザゼルの提案に、少しだけホッとしたのは頑張って隠す魔王であった。
パキリ………
「………………」
その時、不意にそんな音がサタナエルの耳朶を揺らす。
「王様………?」
静かに振り向いたサタナエルに、不思議そうな顔をするアスタロト。
だが、サタナエルはアスタロトに言葉を返すこともなく、聞こえた微かな音を探り———
音源が、部屋の後方にそびえる氷の柱だと突き止める。
———あの位置は………
氷柱のある位置は、元々少年が拘束されていた場所だ。
その事実が、魔王の視線を強く集めてしまう。
「魔王様………どうかされましたか?」
「シッ………静かに………」
『まさか』という想いに、サタナエルは『強き戦士』を貴ぶ種族の一人として、その口角を吊り上げる。
そして、『パキリ』という音が先ほどよりも大きく響き―――今度は他の幹部たちにも届く。
「………へぇ」
強者との戦いを悦びとするアスタロトは、自分より遥かに格上である魔王———その秘儀を受けて、まだ生存の可能性を見せる者に興味を見せ、
「「「………」」」
他の幹部たちは、敬愛する魔王に再び刃が向けられぬように、各々が臨戦態勢になる。
そして―――
「ッッッ!!!」
氷柱の中から、少年が飛び出してきた。
「なッ………」
見知った顔の登場に驚愕を見せるのはアベリアスだ。
「っ———」
しかし、少年はまともに立っていることも出来ずに、凍てつく地面に派手に転がった。
「初めての経験だ………!!」
サタナエルは豪快に笑いながら、倒れた少年へ駆け寄る。
「アベリアス………アイツは………」
「あぁ………イルさんの連れていた人間だ………」
嬉しそうな魔王とは反対に、アベリアスやネヴィルス、『カナンの村』に居た者達は困惑の表情を浮かべていた。
「確かに人間だったよね?」
アスタロトの言葉に、アベリアスは強く頷く。
「確かに人間だった。―――国境近くの街では、魔法を使って魔族に擬態していたくらいだからな」
『カナンの村』の事件に関わった三人は、少年の頭部に生える角に疑問を隠せないでいた。
一方———
「………死にかけだが、確かに息はあるな」
回復の魔法を掛けながら、サタナエルは少年の全身をくまなく観察する。
というのも、サタナエルは疑問に思っていた。
あの『絶対の秘儀』をどうやって生き残ったのかを。
———あの技は、生身で受ければ血液から臓器から、細胞の一片に至るまで凍り付く。およそまぐれで生命が生きていられる技ではない。
そこで魔王の目についたのは、少年の全身に見える重度の火傷だった。
「………………低温火傷? いや、様子が違う………これは紛れもなく高温に焼かれたものだ」
『なぜ』という疑問を脳内に浮かべて―――それから、少年が使った魔法を思い出してみる。
「!!」
そこで、何かに思い至ったのか、魔王は顔を上げて氷柱を観察した。
———魔法を凍結させたとき特有の反応がある………ならこの少年は………!
「魔王様………この少年は一体どうやって助かったのでしょうか?」
すると、魔王が少年に回復の魔法を掛けているのを見て駆け寄ってきたアザゼルが、彼の隣にしゃがみ込みながら聞いて来た。
回復魔法の魔力消費が激しいためアザゼルに感謝しながら、サタナエルは彼の疑問に答える。
「簡単だ。―――間違えば消し炭になるほどの熱線を………自分に当てたのさ」
「………は?」
その言葉に、アザゼルは返す言葉を失う。
だが、そうしなければ生き残れないという『妥当性』が、サタナエルの言葉を否定しきれないでいた。
「イカれてるな。―――いくらそうしなければ死ぬかもしれない状況でも………実行できる者は少ない」
魔王は推測する。
おそらく少年は直前で最大火力の熱線を自分に当て———炎ごと凍る現象を前に、また別の熱線を当てて無理やり絶対零度の時間をやり過ごしたのだ。
「まるで『死ななければそれでいい』とでも言いたげな執念だ」
ある程度の回復を終え———未だに目を覚まさない少年を見下ろした魔王は、声を飛ばす。
「この少年を医務室へ運んでくれ」
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