暗闇を見つめる
「ん………?」
目が覚めると、見知らぬ天井だった。
身体が重くて起きる気にはなれなかった。
「………」
だから、首だけを回して周囲を見渡す。
———医療品………なんか………豪華な………部屋……
「………」
前後の記憶がハッキリしない。オレは———
「………………ぁ」
記憶の細いを糸を辿り———オレは思い出したことを後悔した。
「ぁ………ぁ………ぁぁぁ………」
そう、オレは………イルさんを———守れなかった。
「うっ………ぅぅぅぅぅぅ………」
裏切られ、孤独だったオレを鼓舞してくれたあの人は………もう———
二度と言の葉を交わすことの出来ない現実に、オレの身体は自然に小さくなっていた。
「クソっ………クソっ………クソクソクソクソッ………!!」
全部、全部全部オレが弱かったせいだ。
爪を立てる二の腕から何か生暖かいものが流れている気がするが………どうでもいい。
守りたいと思ったものは、全て手のひらから転げ落ちていく。―――オレ自身がどうしようもない無能で、どうしようもなく弱いから、守れない。
「ヨミ………?」
その時、懐かしい声がオレの名を呼んだ。
「アサヒ………?」
オレはゆっくりと顔を上げる。
「よかった………目を覚ましたんだね………」
アサヒは優しい笑みでゆっくりと歩み寄ると、オレのベッドの傍に腰掛ける。
「体調は大丈夫?」
「………あぁ」
オレは涙で濡れた目を隠すのが億劫で、そのまま彼女の言葉に答える。
「よかった………色々あったからね………ヨミの身体を心配してたんだ………」
そうして、彼女はこれまでのことを静かに語り始めた。
オレが暴走したこと、暴走したままエクセルを殺したこと、駆けつけた剣崎とヴェールがオレを止めてくれたこと、そして、イルさんが………亡くなったこと。
「………」
「………ごめんね。本当はヨミが目を覚ますまで向こうに居てあげたかったけど………魔族の人達が戻るっていうからさ………流石に人間だけでカナンの村には———居られなかった」
「………」
いや、きっと………それでよかった。
イルさんのお墓を見ると………受け入れたくない現実を直視させられて———正気で居られなくなる。
「今はね、ハーディさんに転移の魔法を使ってもらって、帝都に戻ってきてる。―――ここは帝城の医務室だよ」
「………そう、なんだ」
この現状に気にしなければならないことが、たくさんあった気がしたが………今は、全部がどうでも良かった。
「ぁ………」
だが、そこでオレはあることを思い出す。
「ヴェールは………ヴェールは………どこに………」
重たい首を頑張ってあげて、オレはアサヒへ視線を向ける。
「大丈夫だよ。―――ヴェールちゃんは魔王軍のアベリアスさんが保護したから」
「じゃあ………ヴェールは………」
「うん、今は魔族領の王都に居ると思う」
「………っ!」
あれだけ慕っていた母親を亡くして………何が大丈夫なものか………!
オレは、鉛のような足を懸命に持ち上げて、ベッドから立ち上がるとフラフラと歩き出す。
「ヴェール………!」
後ろからアサヒの静止する声を聞こえないふりをして、一歩、また一歩と動かす。
「どこ行く気だ」
そんなオレの前に、立ち塞がる男が居た。
「どけ剣崎………!」
「そんなフラフラした奴の外出を見逃せるか」
呆れたように肩をすくめる所作を見せる剣崎に、オレは怒りを抑えられない。
「ふざけてんのか………!」
腕に力が入りにくいが、それでも構わずオレは剣崎の胸倉を掴む。
「ふざけてる訳ないだろ。―――大体、転移の魔法も使えないのにこれから魔族領に行く気か? 無理だろ」
「それでも行くんだよ………! ヴェールは今………イルさんを亡くして………辛いはずだから………!」
「………」
歯を食いしばり、剣崎を睨むオレを、剣崎は哀れむような目で見つめてくる。
「っ………」
ふざけるな………
なんで………なんでお前なんかにそんな目で見られなきゃいけない!!
「どけっ………」
イライラと、やるせなさが込み上げ、オレは投げ捨てるように剣崎の胸倉を放すと、ヤツを置いて医務室を出ようとする。
「………ヴェールちゃんから伝言があるの」
「………!!」
不意に、零れるようにアサヒの口から出た言葉に、オレは足を止めた。
「………ヴェールは………なん………て?」
なんだか、暗闇の中に、自分だけが立ち尽くしている気がして、
なんとなくアサヒの言葉を聞きたくなくて、
―――それでも、オレの口は勝手にヴェールの言葉を待っていた。
『ありがとう、またね!』
彼女は笑っていたそうだ。
頬にいくつもの涙の後を遺し、それでも彼女は笑顔だったそうだ。
「でも………………でもきっと無理をしてる………行かないと………」
誰から見ても無理をしているのは分かった。―――彼女の様子を聞いたオレにも分かる程度には。
だから、オレは再びを歩を進めようとする。が———
「ぐ………ぁ………!!」
オレの服の襟を引っ張り———剣崎はオレを部屋の中に引き戻した。
「クソ野郎………! なにしやがる………!」
「いや、あまりにお前が滑稽で可哀そうになってな。―――つい引き留めちまった」
「なにを………!?」
瞬間的に沸点を超えた怒りに突き動かされ、オレは足に力を込めて駆け出そうとするが———
「ぅあ………!!」
盛大に医療器具をひっくり返しながら転倒してしまう。
「ダメだよヨミ………! 三週間も眠ってたのに………そんなに急に動いたら………!!」
「くっ………そ………」
アサヒに肩を支えられて立ち上がるオレは、剣崎を睨む。
そんなオレの視線など毛ほども気にしてない剣崎は口を開く。
「そりゃヴェールちゃんは『無理してる』に決まってるだろ」
剣崎は手近な椅子に座り、アサヒに肩を貸してもらってるオレへ視線を向けている。
「けど、ヴェールちゃんは無理をしてでも笑うことを『決めたんだ』」
足を組んで、膝を自分で支え、剣崎は瞑目する。
「母親失くして———それでも、そう『決めた』んだ。彼女の中では相当な覚悟だろうよ。それを『無理してるから』って慰めに行くってか?」
『ハッ』とヤツは鼻で笑う。
「―――むしろ、お前はヴェールちゃんに慰めてほしいようにしか見えないけどな」
「お前っ………!!」
アサヒの肩を離れ———オレは飛びつくようにして剣崎の胸倉を掴んでヤツを地面に組み敷いた。
「そんなわけないだろッ!! オレは………オレはただヴェールが心配で!!」
何度も、何度も何度も何度も剣崎の顔面を殴りつける。
「大体………! お前なんかに………お前なんかにオレの………ヴェールの何が分かる………ッ!!」
「………」
怒りに任せ、何も考えず剣崎の頬を殴打し続ける。―――拳から出血があるが関係ない。
「ヨミッ!!」
そのとき、アサヒがオレを止めに入る。
「はァッ、はァッ、はァッ、はァッ………!!」
「………」
オレから解放されると、剣崎は『ブッ………!』と血の塊を地面に吐き捨てる。
「お前のことなんて何も知らないし、知りたくもない。―――けど、ヴェールちゃんの瞳なら確かに見た」
その時、剣崎は初めてオレの胸倉を掴み、アサヒから無理やり引きはがす。
「悲しみに埋め尽くされて———それでも『決意』があった!!」
刹那―――剣崎の重たい拳がオレの顔面に突き刺さり………オレは地面にひれ伏す。
「お前はどうなんだ千間」
「………っ」
地面に転がり、オレは剣崎を見上げる。
「………チッ」
そんなオレを見下ろしていた剣崎は、イラついたように舌打ちをして、背を向けた。
「―――真道、ソイツの治療終わったら謁見の間に頼む。………陛下目が覚めたら呼ぶように頼まれてる」
「………分かった」
そうして、剣崎は医務室出ていく。
「………」
周囲が暗い気がする。
何も見えない暗闇の中。―――それでも周囲の人間は明るく、それでいて………遠い。
隣で治療してくれているアサヒですら、遥か遠くにいるような気がする。
オレは………暗闇の中で、ただみんなの背中を見上げることしか………出来ない。
「………ヨミ」
「………」
みっともなく地面に転がるオレに、アサヒは言葉をかけてくれるが………もう、オレには返答することはできなかった。
「実はね、モーカンさん………帝都に帰ってくるまで一緒だったんだ」
「………モーカン………さん………」
出てきた名前にかろうじて反応することが出来る。
「でも、帝都で別れたの。―――なんでも、『やることができた』って言ってね………街を出て行ったの」
アサヒの魔法で、赤く腫れた頬から少しずつ痛みが引いて行く。
「ヴェールちゃんも………モーカンさんも………やることを………見つけたみたい」
「………」
あぁ、そうか………
オレだけ………オレだけが………何も決められず………亡くした過去に———縋りついているんだ………
「………」
だから………
だから何だと言うのだ………
亡くしたものを乗り越えて………前を向くことなんて………簡単にできるものか………
「私も———ヨミに、そうなってほしい」
「ははっ………」
かろうじて口から出たのは、生気の抜けきった乾いた笑いだけだった。
「―――無理だね」
頭を伏せ、両手で顔を覆う。
「無理なんだ………頭でわかってても、理屈でわかってても………………身体が動かないんだ。心が、何もできなかった自分を罵り続けるんだ」
無能、愚図、約束を守れない負け犬。―――お前のせいでイルさんが死んだ。
―――シュケリとイルを、殺した。
暗闇の泥が、鎖がオレを縛り付けていた。
「………だよね」
そっと、アサヒはオレの頭に手を置く。
「―――でも、きっと………みんなヨミのこと………そんな風に思ってる人はいないよ」
温かな手は、そっと、オレの頭を撫でる。
「君の優しさに救われた一人として―――保障する」
「………」
「………そうだね、だからさ———まずは顔を上げてほしいかな」
『顔を上げろ』
「っ………!」
イルさんの声がアサヒの声と重なって聞こえた気がした。
「ゆっくりでいいの。―――『前を見てほしい』なんて言わない。立っていて欲しい」
「アサヒ………」
顔を上げれば、いつまにか場所を移したアサヒが上からオレの顔を見下ろしていた。
「『メフェリト』で、イルさんについて行くって………やることを見つけて………頑張ろうとするヨミ———カッコよかったから」
オレの頭を膝の上に乗せて、彼女は穏やかに笑う。
「って、ダメだね………また私、自分の理想をヨミに強要しちゃってる」
「………」
『なしなし、ごめんね変なこと言って』と彼女は、焦ったように言葉を取り消す。
だが、オレは自分の額の上に乗っているアサヒの手に———自身の手を重ねた。
「………ヨミ?」
「………正直………まだ———まだ自分を許せないし………胸の中、グチャグチャだけど………」
そうやって、オレは自分の頭をもたげて―――ゆっくり………ゆっくりと、鉛より重くなった自分の身体を持ち上げる。
左腕の肘を地面につけて、右手を床に押し付け、力の入らないお腹に精一杯力を込めて―――座位を形作る。
「イルさんが………ずっと言ってたんだ」
「………」
震える唇が上手く言葉を出してくれない。
だが、それでも、目の前の女の子はオレの言葉を静かに待ってくれる。
「『顔を………上げろ』って………」
『どんな選択をするにしろ、周りを見ないことには始まらない』
『正しく『今』と向き合え』
全部、イルさんが教えてくれたことだ。
「守れなかった………守れなかったんだ………」
優しく見つめてくれるアサヒに、オレは涙を流して独白する。
「ヴェールとイルさんが………安心して暮らせるように………守りたかったんだ………!」
「そうなんだね」
「励ましてくれたイルさんに………辛い目にあって来たヴェールに………オレ………幸せになって欲しかったんだ………!!」
「………うん」
「なのに………全部………全部奪われた………守れなかったッ!!」
縋りつくオレの腕を、アサヒは最後まで掴んでいてくれた。
閲覧いただきありがとうございます。
お久しぶりです。新作書いてて更新できなくてすいません。
土日は基本的にこっちのほうを更新する予定ですのでよろしくお願いします。
あ、あと新章です。




