『炎』は憎悪 復讐
『顔をあげて』
私は母の亡骸を抱きしめ、もう聞くことが叶わぬ母の声を想起する。
「………」
悲しくて、寂しくて、やるせなくて、勝手に溢れ出る雫が止まらない。
―――一歩も、動きたくない。
「………」
「………」
「………」
誰も、何も、言わなかった。
小さく、弱く、何もできなかった私を囲んで———誰も、口を開くことはなかった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
そのとき、獣のような雄たけびが村中へ響く。
「………?」
明らかに人間や魔族のものではない、怪物の声。
けれど、胸の中を掻き乱す感情により、感性が麻痺してしまった私には、どうでもいい出来事だった。
―――ただ、何となく、
「………」
何となく、大音響が気になり、視線だけを音源へ向ける。
———あれ………は………
右腕を肥大化させた怪物。―――その全身は異様なほど黒い。
左腕には見覚えのある剣。
そして刹那―――
「………!」
全てを焼き尽くさんとする程の熱線が、大地に向けて放たれた。
「なんだアレは………!?」
「………面白そうな奴だね」
「熱い………ッ!!」
熱線による熱は、離れていた私達にも伝わるほどだった。
あれが、誰かに向けて放たれたものであるなら、標的になった人は生き残れないだろうと思う。
「………」
けれど今、そんなことはどうでもよかった。
肥大化した黒い右腕、見覚えのある剣、熱線———
その全ての符号が、私の中で嫌な想像を思い起こさせた。
「っ………」
母の亡骸と、黒い怪物を交互に見て逡巡する。
いや、頭では理解していた。
死んでしまった母より——————この想像が現実どうかを確かめる方がきっと大事。
だって、もしも私の予想が正しければ、一刻も早くあの人の元へ行ってあげないと………止めてあげないと、あの人は苦しいままだ。
「お母さん………」
でも、心はこの場を離れることを嫌がっている。
母の、ほんの少しだけ残っている温もりを———感じて居たいと。
感じたことを無視して、頭で考えたことを実行することは———今の私には不可能だった。
背後から伝わる熱気に背を向けて、私は顔を母の身体にうずめる。―――その体温は既に冷たくなり始めていた。
その時だった。
『顔をあげて』
再び母の声が響いた気がした。
「………」
ただ、さっき聞いたことが頭の中で反響しているだけ。
だというのに、私は自然に顔を上げて―――再びあの怪物へ視線を向けた。
「………………………」
再びの逡巡。
―――しかし、今度は母の遺体をやさしく下す。
———動きたくない………
心は動くことを拒否している。
それでも、力の入らない足で無理やり立ち上がる。
「ヴェール………ちゃん………?」
アサヒさんが私を不思議そうに見上げるが、私は言葉を返すこともなく、フラフラとした足取りで、一歩を踏み出す。
———まだ、お母さんと一緒に居たい。
心は拒否を続ける。
―――それでも、私は走り出す。だって分かるのだ。
この想像の真偽を確かめ………もし想像通りの事態であったのなら、私はきっと後悔する。
「ヴェールちゃん!?」
だから、私は再び走り出すのだ。
※ ※ ※
「ウッ………!?」
獣の放った大熱線を打ち消し、獣に拳を入れた俺は獣と同時に地面へ激突する。
背中から落ちて、痛みに呻くが、転がると今度は焼けた皮膚が悲鳴を上げるので、不用意にのたうちまわることも出来ない。
———あっちいなクソ………ッ!!
熱を感じる感覚が壊れてしまったのかと勘違いするほどの暑さを感じながら、俺は殴り飛ばした獣———千間ヨミヤへ目を向ける。
「手ごたえは………あったがな………」
『芯を捉えた』とでも言えばいいのだろうか、そんな感触が確かに拳へ伝わった。はずなのだが———
「はっ………………タフネスお化けめ」
俺の視界には、必死に身体を起こそうとする千間———獣がいた。
「だが、脳みそでも揺れたか? ―――だいぶ効いてるみたいじゃねぇか」
激痛を無視して、震える足を叱咤。―――膝に置く手にもう頼りない腕力を込めて、俺も立ち上がる。
「まだ足んねぇなら———相手してやんよ千間」
剣はどっか落とした。―――だから、今の全力をもって殴りに行く。
『オォォッ!!』
千間も俺を迎撃しようと魔法を使うが———次の瞬間、意味の分からない方向へ熱線が飛んでいく。
「殴られて目の前揺れてんのかァ!?」
その隙に、俺は再び千間の顔面へ拳を入れる。
「おらおらおらおらァ!!」
顔面へ三発。最後の一発は下からのアッパーカット。
『ウウゥッ………』
浮いた千間へ、相手の右腕を狙った回し蹴りを打ちこみ———その巨体を遥か遠くへ蹴り飛ばす。
しかし、負けじと千間も着地。―――ダメージが溜まってるとは思えない程のスピードで俺につかみ掛かる。
「くっ………!?」
いつもなら避けれた掴み。
けれども、負傷した身体が上手く動かすことができず、俺はむざむざと掴まれてしまう。
―――握りつぶされるっ!?
『………!?』
しかし、死を象る圧力は―――俺を潰すことはできなかった。
俺が抵抗したからでは無い。
―――コイツ………!?
力を入れようとする異形の右腕は、震えていた。
「はっ………腕の筋でも痛めたか?」
先ほどの右腕を狙った回し蹴り。その一撃で腕を痛めたのだろう。
「そんなんじゃ………虫も殺せないぞ?」
すぐに怪我が癒えないところを見ると、回復力も落ちているのだろう。
『ゥゥゥゥゥゥゥゥ………オオオォォォッ!!』
「うッ………!!」
イラつたように唸る千間は、次の瞬間、無造作に俺を投げ捨てる。
「ガッ―――ァ!!?」
地面に叩きつけられた俺は、何度もバンドして、血反吐を吐きながら大地に転がった。
「ふざけ………やがって………」
内臓がぐちゃぐちゃになってる気がする。―――そんな錯覚があって、指先までくまなく痛い身体を動かして、自分の身体から内臓が飛び出していないかを確認する。
―――内臓は飛び出してないが………左腕が………折れてら………
自分の負傷を何となく把握した俺は、大の字になって迫る千間を見上げた。
「千間ヨミヤ………お前は俺を憎んでるだろうが………」
きっと、コイツは俺の事をまだ憎んでいる。
しかし、『メフェリト』で話した千間は―――憎しみだけで生きてはいなかった。
「そんな冷静じゃない時に俺を殺して―――お前は満足なのか?」
俺はコイツに殺されてもおかしくない事をした。だから、コイツがコイツの意思で俺を『殺す』というのなら受け入れる。
だが、今はそうではない。
意味の分からない奴のせいで、意味の分からない方向に暴走して、コイツは今、自分を見失っている。
きっと、こんなの不本意なはずだ。
「知らないうちに復讐が終わってて………お前はそれでいいのか?」
『………』
「答えてみろ………お前の意思はどうなんだ千間ヨミヤッ!!」
『………』
千間は、それでも俺へゆっくりと近づき………その右腕を振り上げる。
―――………まぁ、コイツとっちゃただの憎い復讐相手だよなぁ
俺の言葉に一切の反応を見せない千間に、俺は自嘲の笑みを浮かべる。
その時だった。
「ヨミヤッ!!」
とある女の子が、獣の名を呼んだ。
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