その『炎』の名は ナナ
「ぐっ………!!」
胸の奥から不快な感覚が押し寄せる。
腹の奥底が勝手に渦巻いているような嫌な感覚だ。
「ふっ………ふっ………ふっ………」
同時に目の前の獣に、異様に苛ついて仕方がなくなる。
「ッ………」
そして、苛つきはいとも簡単に『殺意』に変貌していく。
通常、人間は相手に怒りを覚えたとしても、それがすぐに『殺意』に変わるわけではない。
もし仮に『怒り』から『殺意』に感情が容易く変異してしまう人間が居たのなら、きっとそれは外的要因のせいで感情が変異しやすくなっているのだろう。
じゃなければ、他の動物に比べて高度な知能がある人間は、集団生活というコミュニケーションの場に出た瞬間に殺し合いが発生してしまうだろう。
しかし、ヒカリに芽生えてしまった能力はそんな人間としての自制心を、簡単に殺してしまう。
―――落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け………!!
下唇を血が流れるほど噛み締め、必死にウジの如く蠢く負の感情を抑えつける。
『ォォォォォォォォオオオッ!!』
その時、漆黒の獣の咆哮に呼応するように、ヒカリの周囲に火の玉が浮かび上がる。
魔法『火球』発動前のタメというやつだ。―――この火球より、絶死の熱線が放たれるのだ。
「っ………」
八つの方向から、ヒカリを穿つように迫る熱線。―――超人的な反射神経で、限界まで引き延ばされた世界でヒカリは腹部を強く抑えながら、剣を水平に構えて、
「はァッ!!!」
一度に全ての熱線を斬り払った。
『オォォッ!!』
しかし、想定内とでも言わんばかりに獣はヒカリの頭上から熱線を発射する。
「………」
ヒカリは頭上を見上げると、手のひらをかざして―――迫った熱線を握りつぶした
―――意識を緩めれば………『殺意』に………飲まれる………!!
己の奥底から込み上げる『気持ち悪いもの』を抑えつけるのに精一杯で、ヒカリは攻撃も出来ず、その場から動けない。
だが、動けない割に、『深き光』は確かに役割を果たしていた。
一つは『領域』の制限。―――オーラの出ている範囲の魔法発動を無効にする効果にて、少なくとも中距離からしか魔法がくることがないため、ヒカリにとっては魔法への対象が楽になった。
一つはオーラ内の魔法威力の大幅減衰。―――この効果により、熱線がヒカリ皮膚を貫くことがなくなり、威力の劣る風の魔法に至っては完全に威力を無効化できるようになった。
動くことの出来ない現状を鑑みれば、さしずめ今のヒカリは『城砦』のようなものだろうか。
『オオオオォォォォォォォォ!!』
獣は魔法で死なないヒカリに、業を煮やしたのか、城砦と化したヒカリに突撃する。
―――クソ………もう手一杯だっつーの………ッ!!
心の中での悪態ですら暴走しそうなのを抑えつけて、ヒカリは能力の手綱を放さないように意識しながら迎えうつ。
「っ!!」
剣と剣が激突し―――衝撃波が周囲の建物を崩して、地面を盛大に砕く。
幾度かの剣戟。常人には耐えられない衝撃波を何度も発生させる一人と一匹。
やがて、獣の剣が大きく弾かれる。が、獣は今度はその異形の手でヒカリに掴み掛かる。
「クソが………!」
この場にいてはむざむざと掴み殺されてしまうことを悟ったヒカリは、暴走しなかった己を褒め称えながら、一歩踏み込む。
「だらァッ!!」
そうすることで掴みの圏内の内側に入り込み、右足で異形の腕の手首を踏みつける。
「流石に………手より………足の方が………つえー………だろ………ッ!!」
今にもひっくり返りそうなほどの膂力を片足で押さえながら、ヒカリは頑張って不敵に笑う。
その瞬間、背後より熱線の迫る音をヒカリの耳がキャッチする。
「オラッ!!」
裏拳で熱線を打ち消すヒカリ。―――刹那、ほんの少し力が抜けてしまった右足が、ありえない力で浮き上がる。
「これが狙いかよ………!?」
このまま体勢を崩される訳にはいかないヒカリは、右足に力を入れて―――上空へ大きく跳躍した。
―――………体勢をっ!!
地面に激突することはヒカリにとって致命傷にはなり得ない。だが、今は些細な衝撃で『深き光』に制御が途切れる。―――そんな確信があった。
よって、制御の意識を手放さず、ヒカリは必死に空中で身を捻り、何とか地面に着地する。
「クソ野郎が………強くなり過ぎだ………!!」
自然に荒くなってしまう口調に気づくこともないまま、暴走しかける感情を懸命に抑える。
―――このままだとラチがあかないが………自分から動くのは………キツイ………!
剣を受けた衝撃、腕を押さえつけた力、着地の衝撃………それらの刺激で制御を手放さ無かったことに気がつかないままヒカリは作戦を立てる。
「こうなりゃ………カウンター狙いで組み立てるしか………ない、か………!」
『オオオオォォォォォォォォッ!!』
今度は熱線と共に攻めにくる獣に対して、慎重に力の制御をしながらヒカリは相手をよく観察する。
そうして二度目の剣戟。
今度は時折迫る熱線と、異形腕も連携している。
「ッ………!!」
ヒカリは魔法の微かな音や視野の端に現れる熱線に注意しながら、剣を弾き―――頭上や真横から腕が迫れば、一歩踏み込んで手首を殴りつけたり、蹴り付けて、その軌道を逸らす。
一歩間違えば、全てが己を飲み込む『死』となるか―――はたまた制御を手放して、性懲りもない二度目の悲劇となるか。
強制された理不尽が、剣崎ヒカリの集中力を極限まで高める。
己の能力、存在、全てを賭けた戦いの中、やがてその集中力はある領域に突入する。
「―――」
一歩、
二歩。
確かに踏み出したヒカリは、獣の懐に入り込む。
『!!?』
獣からしてみれば、不可思議なオーラを纏ってからのはじめての接近。第三者から見ても獣は分かりやすく驚愕している。
だが、それだけでは終わらない。
「―――」
刹那―――ヒカリの拳が獣の腹部に突き刺さった。
『――――――!?』
あり得ないほど衝撃が走ったのだろうか、獣の巨体はわずかに地面から浮き上がる。
「―――」
ヒカリは、その場でくるりと回転し、跳躍。
次の瞬間、強烈な回し蹴りが獣の顔面に突き刺さり、遥か遠くの民家まで獣を吹き飛ばす。
「―――」
ヒカリは止まることなく駆け出す。
人外の膂力はいとも簡単に遠くにいた獣に追いつき、ヒカリは剣を振り上げる。
『オォォォォォッ!!!!』
瓦礫を巻き上げて、獣もその剣を打ち返す。
三度目の剣戟。―――しかし今度はヒカリの高速の剣捌きに獣が押されていた。
『ォォォ!!!』
「―――!?」
その状況を嫌がったのか、獣は斬られることに構いもしないまま、異形腕でヒカリを殴りつける。
ヒカリはまさかの行動に驚愕を見せるが、難なく獣の拳を防御。
大きく後退させられるが、ダメージもなく再び獣に視線を送る。
『ゥゥゥゥゥ………』
獣も忌々しそうにヒカリを見つめ―――
「………」
漆黒の獣は大きく跳躍する。
風を使い、遥か上空へ。
「………ふっ」
獣の意図に気がついたヒカリは、思わず笑い出す。
「―――お前ならそうするよな」
ヒカリは魔力の奔流を感じる上空へ顔を上げる。
『ゥゥゥゥ………………』
そこには―――巨大な火球が浮かび上がっていた。
「皮肉だよ全く………」
魔法の威力は減衰する。
近接戦も不利。
そんな状況に獣は―――大技でオーラの上から相手を殲滅する方法を取った。
あの帝都での戦いのように。
「上等だ」
剣を真正面に構えて、ヒカリは魔法を殺すオーラへ意識を集中する。
「―――リベンジさせてもらうぜ」
閲覧いただきありがとうございます。
めちゃくちゃ久しぶりにこんなに戦闘シーンを書いた気がします。




