降り止む雨に大樹の衰亡 イチ
「………」
「………」
睨みあうヨミヤとイル。
場所は早朝の広場。互いの手には木剣が握られている。―――もう見慣れたヨミヤとイルの朝稽古だ。
「………」
「………」
以前であれば、じれったくて突っ込んでいたこの睨みあいの時間も、今では無闇に突っ込むことはしない。
互いに重心を動かしたり、切っ先を僅かに動かすだけで、相手の動きを予測したり、逆に相手にフェイクを掛けたりしている。
「………」
しかし―――
「―――!」
イルの重心が、少しだけ後方に下がったのを見て―――少年は一気に踏み込む。
「………」
―――やばっ………!
だが、イルが僅かに口角を上げた所を見て―――重心を動かしたその行動こそがフェイントだと、遅まきながら気が付く。
―――クソ………! 切り替えろ………っ!
動き出した身体は止まらない。
ヨミヤは自分のミスを嘆きながら、瞬時に思考を切り替える。
「ッ!!」
上段からの刃を、半歩身体をずらして回避して見せたイルは、そのまま、持っている木剣の切っ先をヨミヤの喉目掛けて突き出してくる。
少年はそれを、右手の黒腕でギリギリ弾く。
「………ほう」
失敗した思考をすぐに切り替えて、イルの次の出方を予想した少年だからこそ出来たことだろう。
「―――だが、甘いな」
そして、それすらもイルの予想の範疇だった。
イルは二刀流。
「ガッ………!?」
弾かれた剣とは反対の手に握られている短剣型の木剣が勢いよくヨミヤの脇腹にぶっ刺さった。
「~~~!!」
試合終了である。
脇腹を押さえ、苦しみに喘ぐヨミヤを見下ろし、イルは告げる。
「まだまだ予測能力が足りないなヨミヤ。―――よく相手を観察しなきゃダメだろう?」
「すっ………すんません………いつもの戦いだとしっかり相手を観察できるんですけど………っ!」
地面に顔を伏せて『く』の字を作る少年は必死に言葉を吐く。
「そうか………そうだな。―――本来お前は魔法使い寄りの戦い方だからな。近接戦での相手の観察なぞ、慣れている訳ないか」
「そうです………ね………」
ようやく痛みが和らいできたのか、鋭く息を吐きながら、ヨミヤは立ち上がった。
「やっぱ………まだまだですか?」
「だな」
弱々しいヨミヤの声をあっさり肯定するイルだったが―――
「だが良かった点は確かにある」
同時に今の立ち合いを振り返り、イルは言葉を紡ぐ。
「最初の打ち合いで、お前は確かに読み間違えた」
「………はい」
「けれど、すぐに思考を切り替えてお前は私の攻撃を弾いて見せた」
「そう………ですね。―――じゃないと初手で負けちゃうので」
「そうだ。―――その切り替えの早さはどんな時も大切だ」
『それに』とイルは続ける。
「『予測能力がまだまだ』とは言ったが、お前は自分のミス直後………私の攻撃を確かに弾いた。これは今言った予測能力が確かに養われている証拠だ。―――そのまま様々な情報を頭に入れて、予測能力を磨いて行こう」
少年の確かな成長の証左をイルはハッキリと示した。
「まだまだ強くなれる。―――頑張ろうヨミヤ」
「………ハイっ!」
すっかり剣の師匠となってしまったイルに、ヨミヤは笑顔で声を返した。
※ ※ ※
カナンの村に到着して早一週間。
壊れていたイルの家の修繕もあらかた終了し、ヨミヤはイルの本来の仕事である『畑仕事』を手伝っていた。
ちなみに、畑は家の裏手にある。
カナンの村は雄大で広大な草原の真ん中にある集落。―――その有り余る土地を広く使い、それぞれの家の裏手に大きな畑を作って、作物を育てている。
「ふぁ………疲れたァ………」
今は、長い期間放置された畑を整理し、耕している所だ。
ヨミヤは、想像以上の重労働に、家の裏手にあるベンチに腰掛け、休憩をとる。
「………日本の農家とは、きっと色々違うんだろうけど………農家の人って凄いよなぁ」
まだ耕している段階の作業しかしていない若者は、ぼんやりと『仕事』って大変だと天を仰いだ。
「………」
そのまま、目を閉じ、周囲の音に意識を向ける。
―――村の中から賑やかな声。畑ではイルさんが黙々と作業している音。………あとは頬を撫でる風。
穏やかで、ゆったりとした時間が流れる。
同時に、時間の流れを意識する暇すらなかった今までの出来事を思い出す。
『目的』を持ち、ひたすら走ってきた今までを。
―――少しだけ、ゆっくりしても………いいのかな
「ヨミヤ」
いつまでそうしていただろうか。
不意に耳朶をそっと刺激する声に、少年はゆっくりと目を開けた。
「ヴェール………」
暗闇から解き放たれた視界を、声の方へ向けると、木製のカップを二つ持ったヴェールがヨミヤを覗いていた。
「畑の整備、ありがとね」
「いーよお礼なんて。―――実際、バテてここで休んでるだけだしね」
「あははっ、畑仕事って大変だよね」
「ヴェールも普段やってるの?」
「時々ね。―――そのたびに私もヒーヒー言ってるよ」
「だろうねぇ………でも、その年でお手伝いは関心するよ」
「そう?」
「そうだよ。―――オレなんてヴェールぐらいの年のころは親の手伝いなんて一切しなかったもん」
「そ、そうなんだ………」
「だから、オレはヴェールに頭上がんないよ。ホント凄い」
「私だってやりたくない時はあるんだよ? ―――でも、お母さんお手伝い断ると怖くて………」
「………確かに怖そう」
他愛もない会話をしながら、ヴェールはカップを一つヨミヤに渡す。
「はいコレお水。―――体調崩すと大変だから、たくさん飲んでね」
「あぁ、ありがとう。―――本当に気が利いて凄いよ」
「そんなに褒めてくれてありがとう! ―――お母さんにも持ってくから、まっててね!」
大人顔負けの気が利くところを見せられ、ヨミヤは心の中で白旗を振りながら、イルへ水を持っていくヴェールを見つめる。
―――最初の頃とは大違いだなぁ………
ヴェールとの出会いは『フレースヴェルグ』の地下牢。
奴隷として酷い目にあっていたヴェールを助けたヨミヤだったが、意識を取り戻したヴェールにシュケリが誤解を招く状況説明をしたところ、警戒心マックスで睨まれた。
「よくまぁ、あの好感度の低さから、ここまで穏やかになったよ………」
これが乙女ゲーやギャルゲーだったら、初手から詰んでいるシチュエーションだ。
一人の女の子………その心をここまで解きほぐせたのなら、それはヨミヤが頑張った証なのだろう。
母に頭を撫でられて嬉しそうにするヴェールをみて、少年は少しだけ自分に自信が持てた気がした。
「………戻ってきた」
やがて戻ってきたヴェールは、ヨミヤから飲み終わったカップを預かると、おもむろに口を開いた。
「ごめんねヨミヤ、蓄えていた水がもうないから、近くの川まで一緒に汲みに来てくれない?」
故郷まで送ってくれたヨミヤをさらに頼ってしまうことに、ヴェールは少し抵抗があるのだろう、申し訳なさそうにしている。
少年は、そんなヴェールに笑顔を返す。
「もちろん。―――暗くなる前に行こうか」
「ありがと!」
笑顔を返してくれる少女と共にヨミヤはその場を離れた。
閲覧いただきありがとうございます。
ちなみに、収穫した作物はまとめて街に卸しに行くらしいです。
道中の荷物護衛にイルさんはよく駆り出されていたとかなんとか。




