帰郷 ゴ
「イルさん」
ダールと世間話をした帰り道。
「なんだ?」
ヨミヤはイルへ質問を投げかけた。
「ヴァルさんとのこと、聞いてもいいですか?」
「………………」
その瞬間、胡乱気なイルの瞳がヨミヤへ向く。
「………ダールさんに吹き込まれたな?」
「なんか流れで聞いちゃいました。―――気に障ったのなら………忘れてください」
「………」
深々とため息を漏らしたのち、イルは口を開く。
「ダールさんから………どこまで聞いたんだ?」
「えっと………イルさんが軍の候補生になるために王都に行ったと聞きました」
「そうか………」
イルは眩しい程、陽光に映える青空を眉をひそめながら見上げる。
「若い頃の私は、ずっとヴァルを目標にしていた。―――だが、アイツが王都に行ったとき………臆病者だった私はすぐに追いかけることが出来なかった」
語るのは、イルの気持ち。
「けれどな、アイツの名声がこの村まで届いたとき、私は初めてヴァルと自分の差がとんでもないことに気が付いた。―――だから、これ以上怯えていてはダメだと私は気づき………軍に入るべく王都に向かったんだ」
「………」
ここでの『差』とは、実力も名声も立場も………感情すら包括した全てのことなのだろう。
ヨミヤにも確かに覚えのある感覚である。
「王都に到着後、割と早めに軍の候補生になることはできた。けれどな、所詮は田舎者。―――やれ『剣の才能』だとか持て囃されても、国中から集められた才能たちの中では、私はその辺の石ころ同然だった」
イル曰く、座学でも訓練でも、イルは全てにおいて最下位だったそうだ。
「………最悪なことにな、その頃の候補生の教官がヴァルだったんだ。―――あの時ばかりは流石に絶望した。プライドをへし折られた挙句、そんな情けない姿をヴァルに見られるのだからな」
ちなみに、座学でも訓練でもヴァルはイルのことを特別扱いをしなかったし、なんならヴァルにしごかれて惨めな思いもしたらしい。
「………軍の訓練って容赦ないんですね」
「まぁ、そのことに関しては、帝国も魔国も変わらないだろうな。―――当時は辛かったが………今にして思えば当たり前のことだろうさ」
「………でも、結局イルさんって王宮で勤めてたんですよね? じゃあ―――」
「そうだな。―――結局私は諦めの悪さと、『ヴァルに負けたくない』という『負けず嫌い』だけで軍に入ることが出来た」
『ま、卒業成績も最下位だったがな』とイルはヨミヤにも分かるほど苦笑いを浮かべている。
ヨミヤからしてみれば、いつも頼りになるイルが軍の候補生の中では成績最下位なのが意外だった。―――そのことを素直に伝えると、『からかうな』とデコピンが飛んできたが。
「まぁ、そんな感じで無事に卒業し、何の因果かヴァルが司令官を務める第三大隊に配属された。―――部下として働かされるのが気に喰わなかったが………それでもそれから数年、帝国との戦いに駆り出されながらも日々を過ごした」
見上げた空の太陽がまぶしくて、イルは手をかざして目元に影を作る。
「そんなある日、第三大隊で私の預かっていた小隊と他にいくつかの小隊が敵の罠に嵌められてな―――」
今も魔族の間で語り継がれる『ヴェゲル響谷の悲劇』というものがある。
ヘイム・ヨヴルの麓地域で、深い谷になっている場所。音を増幅させる特殊な鉱石が多く取れるこの谷は、一つの物音が耳をつんざくほど大きくなることで有名な谷だった。
しかし、魔獣も少なく比較的安全な地域(人も魔族も、歩く音がうるさくなりがちなこの谷を好む者は居なかったが)で、当時、多くの魔族が囚われた戦いが、この近くで起きていた。
イル達は、その魔族たちを解放すべく救出作戦を決行。―――その侵攻にこの谷を使ったのだ。
魔獣が少なく、敵の野営地を後方から攻めることのできるこの谷を、イル達は音を消す魔法を駆使して進んだ。
しかし、敵の司令官がその作戦を看破していたのだろう。―――イル達は見事に待ち伏せを受けていた。
「過去、『ヴェゲル響谷』で戦った報告はない。―――ゆえに知らなかったのだ」
剣戟音、足音、怒声、悲鳴———ありとあらゆる音が増幅されて………近くのヘイム・ヨヴルを刺激したのだ。
大音響が雪山を揺らし、降り積もる雪を滑らせた。
あとはもう想像に難くない。
「雪崩が発生し―――麓にある『ヴェゲル響谷』に押し寄せた雪に………我々は埋もれた」
「っ………!」
前に雪山を登った時も、現実世界に居た時もヨミヤは『雪崩』を経験したことはない。―――だが、それでも今しがた語られた光景に対して、恐怖を感じた。
「その雪崩で何人死んだのかはわからない。―――だが、問題はここからなんだよ」
イル曰く、『魔族』で『能力』を持っていたため、運よく雪崩を生き残れたという。
だが、雪の中から這い出たイルは、絶句したそうだ。
「雪崩に巻き込まれた魔獣が―――人間を喰っていたんだ」
そう、本来ヘイム・ヨヴルを生息地とする魔獣が、数えきれないほど雪崩に巻き込まれて地上まで進出していたのだ。
「当時の私は、ただの兵士。―――お前にもらった『黒林檎』の力はない。故に、全く魔獣達に歯が立たなくてな」
地獄絵図だったそうだ。
人間も、魔族も、弱き者から蹂躙され、尊厳もクソもなく食い荒らされる。
ある者は悲鳴をあげながら逃げまどい―――その果てに殺され、
ある者は勇敢に戦い―――あっけなく殺され、
ある者は人間も魔族も関係なく手を組み―――それ以上の数の暴力で殺された。
「みっともなく逃げ惑った。―――候補生の頃からの知り合いを見て捨て、仲間に庇われて………『生きたい』と………その想いだけで逃げた」
『ヴェゲル響谷の悲劇』。人間と魔族が起こした皮肉で………凄絶な事件は、生存者一名という結果で幕を下ろした。
「イルさんしか………生き残らなかったんですか?」
「そうだな………———当時は罪悪感や情けなさ、恐怖に縛られてしばらく部屋から出ることができなかった」
王宮の戦士の中には、逃げ帰ってきたイルを軽蔑する者もいた。―――そんな声もまた、イルを深く一人の世界に閉じ込める要因になっていた。
「………いや、正直に言えば、当時は自ら命を絶つことも考えていたな」
「イルさん………」
当時のイルの辛さは、ヨミヤには分からない。―――『辛い』とは分かるが、どこまでいっても『想像』でしかなく、そこに『共感』はない。
「そんな折にヴァルが見舞いに来てくれてな」
荒んでいた当時のイルは、何度もヴァルを追い返した。―――が、何度断られようと、彼は根気よくイルの部屋までやってきたのだ。
「あまりにしつこすぎてな………つい口走ってしまったんだ。『お前も私をバカにして、あざ笑っているんだろう!』………とな」
「………………ヴァルさんはなんて?」
「………扉越しに怒鳴る私に、奴は言ったよ。『顔を上げろ』とな」
彼はこう言った。
『戦場もここも、君の心を揺さぶるものはたくさんあっただろう。………それを受けて、どんな選択を取るのも君の自由だ」
『けれど、まずは『顔を上げろ』!! 周りを………僕の顔を見ろ!!」
「扉を開けて―――顔を上げてみた奴の顔は………泣いてたよ」
辛い過去の話のはずなのに、ヴァルの表情を思い出しているであろうイルの顔は―――どこか穏やかだった。
「『こんな泣いてる奴が、君を嘲笑っているように見えるのか!!』って言われたあの顔は………今でも忘れられん。なんせ、泣いてる顔なんて、後にも先にもそれっきりだったからな」
『顔を上げろ』。
その言葉に、ヨミヤは覚えがあった。
「イルさん、その言葉って………」
「ふふっ………お前も覚えてるか」
それは、『桜色の少女』を守れなかったとき、ヨミヤを優しく支えた言葉だった。
「これはヴァルの受け売りなんだよ。―――私はこの言葉が好きでな」
この言葉に人を振い立たせる力はない。
―――けれど、今にも折れてしまいそうな心を………確かに支えてくれる言葉だった。
まるで、折れてしまった手足を支える『添木』のような。人を支え、傷が癒えるまで寄り添う『添木』
「その時からだったな。―――ヴァルとより親密になったのは」
「はは………それはホレてしまいますね」
「………ホレてなどない」
ヨミヤの言葉に、少しだけ目を見開き………すぐにイルは顔を背ける。
「………」
「イルさん?」
けれど、不意にその手を胸の上に置き―――イルはその視線を落とした。
「だがその数年後に―――ヴァルは死んだ」
なんてことはない。―――帝国との大きめの戦い。
両者共に真正面からの戦闘。
しかし、帝国側には筆頭魔導士エイグリッヒと、帝国近衛騎士団エクセル。―――対して魔国側に第一階級魔族は誰もいない状況だった。
「帝国はどうやら第一階級の魔族を誘導していたようでな―――魔国の戦力を削るべく、最大戦力を二人も投入してきた」
結果は惨敗。
エイグリッヒの超広範囲殲滅魔法に、エクセルのありえない突破力にあっという間に戦線は崩壊。司令官をしていたヴァルはあっさり討ち取られたそうだ。
「………当時ヴェールを身ごもっていた私は、戦場にはいかず、王都でヴァルの帰りを待っていた。―――が、帰ってきたのは簡素な『戦死報告書』のみ」
どこにでもある、ありふれた戦死。―――死んだ者の夢も、家族も、すべてを奪い、絶望させる『普通の死』。
「………そんな」
劇的な物語もない、たった一人の魔族の最後にヨミヤの顔が歪む。
「何も悲観することはない。―――すべては終わったことで………今更なんだよヨミヤ」
子どもに言い聞かせるように優しい声色で言葉を紡ぐイルの表情は―――痛ましかった。
「それにな………この話は『どちらを恨む』という問題ではないんだ」
「イルさん………」
「お前は今、私に同情して………きっと帝国に怒りを覚えた―――いや、『覚えてくれた』のかもしれない」
「………」
黙り込むヨミヤの肩に、イルはそっと手を置いた。
「でもな。『戦争』はそうゆうものなんだよ。―――得るのは国の利益のみ。個人の感情など道端に転がる石ころ以下」
「………」
「『戦争』で起こったことで感情を揺さぶられるな。―――それは終わらない憎しみの連鎖が始まるだけだ」
「………………わかり………まし………た」
「………お前が優しい奴だってことはよくわかったよ」
ヨミヤの頭を優しく撫でるイルは、とても慈愛に満ちていた。
「さぁ、戻ろう。―――昼がとっくに出来ているんだ」
「………はい。―――イルさんのこと、教えてくれてありがとうございます」
そうして、二人は再び雲の漂う青空の下を歩き出した。
閲覧いただきありがとうございます。
『ヴェゲル響谷』の作戦を指示した帝国側の人間は皆さんご存知のあの方です。




