悲劇の前に休息を ニ
―――身体が軽い。
平原を疾駆する中、イルはそんなことを考える。
魔王の配下の戦士として、戦っていたイルは、能力として、『身体能力補正』を持っていたが、ヨミヤからもらった黒林檎を食べて以来、現役のとき以上に、身体が動いていた。
風のように駆け抜け、イルは魔獣の群れの中に突っ込む。
そして、すれ違いざまに馬車近くの魔獣を瞬きの間に、すべて切り刻んだ。
「あ、あなたはっ………――――――気をつけて! まだ後ろにいます!!」
馬車を駆る商人は、自分を助けてくれた謎の人物に、心底ホッとした表情を作り―――そして、後方からさらに迫る魔獣に、叫び声にも似た言葉を投げる。
しかし、彼女に動揺はない。
「心配ない―――」
そして、刹那。
熱線が、すべての魔獣の頭部に、無駄なく、取りこぼしもなく、無慈悲に貫通した。
「な………あ………」
その光景に、商人の男は言葉を無くした。
※ ※ ※
「いやぁー、本当に助かりました! なんとお礼を言えば」
狐目の商人は、イルとヨミヤが魔獣を片付けると、すぐに馬車から降りてきた。
「私、ウラルーギ・ベイズと申します。以後、お見知りおきを………」
さらさらな茶色の頭髪、汚れのない緑のジャケット、丁寧な言葉遣い、頭を下げる所作までもが流麗な男は、自分のことをそう名乗る。
「お二方には、大変お世話になりました。―――――――護衛も雇っていたのですが、この辺の魔獣が、こんなに活発化しているとは知らず………いやぁ、全くリサーチ不足でした!」
「いやぁ、でもなんともなくてよかったですよ」
「本当ですね!! これも何かの縁です! お二方に何かお礼をさせてください!」
朗らかに笑う男は、『何かご希望のものがあれば用意致しますよぉ』なんて調子のいいことを言いだした。
「………………」
そんなウラルーギの様子を見ていたイルは、やがて静かに口を開いた。
「………礼はいい。その代わり、この少年を馬車に乗せてほしい」
「えっ?」
イルが指さすのは、ヨミヤ。
一方で、ウラルーギはなぜか納得のいった顔をしていた。
「なるほど………覆面の方は何かしら要求があると思ったのですが………………それぐらいならお安い御用です。どちらまで?」
いきなりの話の流れで、ヨミヤは一人慌てている。しかし、そんな彼の背中を、イルは優しく叩く。
「ほら、急ぐんだろう? どこに行きたいか言ってみろ」
「イルさん………」
人の温かさに触れた少年は、胸が苦しくなるのを感じながら、はっきりと目的地を口にした。
「帝都まで………帝都までお願いします!!」
「承知いたしました」
かくして、ヨミヤの帝都までの移動が決定した。
しかし、その日はもう日が傾き始めており、一同はその場で野営をすることになった。
ヨミヤはそういったことにまるで知識がないため、イルや、ウラルーギの指示に従い、野営の手伝いをした。
ちなみに、モーカンも終始おびえながらも、野営の準備をしていた。
そして、その夜――――――
「見張り、大丈夫ですか?」
モーカンの見張りもかねて、馬車の外で夜を明かしていたイルに、ヨミヤは声をかけた。
「あぁ、何もないよ」
「それはよかったです」
「………」
「………」
「もしかして、オレを帝都まで向かわせるために、わざわざウラルーギさんを助けたんですか?」
ヨミヤは兼ねてから感じてたことを口にする。
「お前は変なところで鋭いな」
イルは、そんな少年の言葉に、あきれたように首を振った。
「そうだな。ずいぶんと小奇麗な奴が馬車を引いてたからな。商人だとすぐにわかった。―――だから恩を売れば、移動の足など買って出てくれると踏んだわけだ」
「ハハっ、意外と計算高いんですね」
「そうだぞ。一児の母は計算高いんだ」
そうやって二人は笑いあう。
やがて、二人の笑いが収まると、ヨミヤは少しだけ口を開閉して―――
「イルさん、『勇者』って知ってます?」
不意に、そんなことをヨミヤは彼女に訪ねていた。
「………あぁ、魔王領で少し前から話題になってたな」
「オレ、その『勇者』の一人なんですよ」
「あぁ………………驚かないよ。そんな出鱈目な力――――――お前が『勇者』というなら納得がいく」
イルは納得がいったのか、魔族にとっての絶対的な敵である『勇者』であることを知ってもなお、静かに空を見上げていた。
「『勇者』………………お前じゃなければ、殺していたかもな」
「こわっ………」
「だが、『勇者』という異世界人がこんな辺境に居るんだ? 魔族と人類はまだ戦争中だろう?」
「それは………………」
少しの逡巡。
そして、少年は初めて自分の事情をイルに打ち明けた。彼女のまるで母のような温かさが、ヨミヤにそうさせたのだ。
魔族との戦争に参加したこと。魔王軍幹部の策にハマり、遠くへ転送されたこと、その魔王軍幹部が恋人を狙っているかもしれないこと、そして―――――――一緒に転移した勇者に裏切られ、奈落に落とされたこと。
その話を、彼女は静かに聞いていた。
ヨミヤ自身は、生き残るのに必死だったこと、イルとの出会いで、緩和されていた焦燥や恐怖、勇者の裏切りで芽生えた憎悪が再び膨れ上がり、気づけば、血がにじむほど拳を握りこんでいた。
「落ち着くんだ」
そんな少年の拳を、イルは静かに持ち上げた。
「辛かっただろう、痛かっただろう、苦しかっただろう、怖かっただろう………………よく乗り越えた。普通なら折れても仕方ない苦境の中を、お前は歩き通したんだ。それだけは確かに誇れ」
そうして、少年の拳を彼の膝にゆっくりとおろすと、不意にイルは少年の頭に手を置いた。
「―――よく頑張った」
彼女はそうして、少年の頭を子を思いやる母のように、優しく撫でた。
―――ああ、こうして母に撫でられたことはあっただろうか。
思い出すのは幼い日々。両親が仕事で帰らない『家』と、友達のいない『学校』を往復した日々。―――彼の記憶の中の母はこうやってヨミヤのことを思いやってくれたことはなった。
ダメだった。
恥ずかしさから、必死にこみ上げるものを抑え込んでいたものが、結局は崩壊し、瞳からみっともなく流れ出した。
「不安なことも、嫌なことも大丈夫。ヨミヤならきっと、立ち向かえる」
少年の涙を責めるものなど、今はどこにもいなかった。
閲覧いただきありがとうございます。
二話同時投稿の二話目でございます。お楽しみいただけたら幸いです。