暗闇の中の灯 ニ
イアソンは死んだ。
かつて、フォーラムに追い詰められ、降りしきる雨の中息を引き取った。
既に現実には存在しない。
「あぁ………そうか………私のやったことは………無駄じゃなかったのか………」
しかし、ハーディの居る場所は『ウーズ・ブレイク』と精神的に繋がった世界。
記憶に色濃く左右される世界。
手紙に着いた血を取り込んだウーズ・ブレイクは、『イアソン・スライ』を知る人間の記憶によって、かつての賢者―――『悲劇の男』イアソン・スライを形作ったのだ。
「師匠………お願いです。力を貸してください」
ハーディの呼びかけによって本格的に意志の疎通が可能となったイアソンは、開口一番ハーディにそんな言葉をかける。
「イアソン………」
しかし、次の瞬間には、イアソンは何かを思い出したかのように『ハッ!?』と我に返ったような表情を見せて―――ハーディから目を逸らしてしまう。
「………すいません、僕に貴女を頼る権利なんか………」
それはイアソンが抱える、昔日の罪。
自分を育てて、支えてくれた『母』にも等しい人物へ行った恩知らずの行為を思い出し、イアソンはハーディの顔を見ることが出来なくなってしまう。
「………」
ハーディは、そんなイアソンを少し微笑みながら見つめ―――
「―――いいから。何があった? 話してみろ」
優しく、子どもを諭すようにイアソンへ言葉の続きを促した。
「でもっ………僕は………師匠に………」
「いいんだ。気にしてない。―――それに、こんな状況でイチイチ昔のことを恨みがましくつつく陰険なエルフじゃないぞ私は」
ハーディの言葉に、イアソンは胸をギュッと握り顔を俯ける。そして、
「―――………ありがとうございます師匠」
感謝の言葉と共に、イアソンは力強く顔を上げた。
「実は、今シューリが危ないんです………」
イアソンは、柳眉を吊り上げて、今の状況をハーディに伝え始める。
「シューリ………? なぜ今あの子の名前が出てくるんだ」
「シューリは………死んでなんかいなかったんですよ………」
イアソンは状況を正しく把握しきれていなかったハーディへ、シュケリのこと、シューリのこと、今のハーディとヴェールの状況―――そして、ヨミヤの決断について言葉を紡いだ。
「そうか………あの子はずっとシュケリちゃんの中に………」
「そうです。―――今はシューリの人格と、大量に流し込まれた『魔獣の記憶』が混ざり合って精神的にかなり不安定な状態です」
「それをヨミヤ君は、『シューリを殺す』ことで収拾しようとしている」
そんなことを聞かされれば、ハーディにとって、『自分たちがウーズに飲み込まれる一歩手前』なんて情報はどうでもよかった。
「ずっと介入しようかと思っていたんですが………シューリからの拒否反応のせいでこの空間から抜け出すことが出来なくて」
イアソンはハーディ立ち寄りもっと近くで状況を観察出来ていたそうだ。しかし、ハーディ達と同じく『保護』という名の防御反応のせいで一向にシューリに接触することが出来なかったそうだ。
「でも、私もこの空間を出ることが出来なくて困っていた所だ。残念だが………」
しかし、ハーディも現在、イアソンと同じことで困いる。
いくら人数がそろっていた所で―――
「多分、方法が一つだけあります」
イアソンは、ハーディの言葉を覆す。
「この空間の精神的な繋がりを辿ったことで、現実に肉体を持つ師匠たちはたどり着いた。―――ならもう一度繋がりを辿ってこの『保護』を突破するんです」
「………できるのか?」
具体性の欠片もないイアソンの言葉に、ハーディは困惑の表情を浮かべる。
だが、イアソンには彼の言った言葉が可能である事象を知っている。
「………以前、シューリをウーズに喰われた時、『娘を案じる想い』がウーズに情報を逆流させて―――奇跡を起こした」
「――――――………なるほど。御伽噺の最終局面のように『熱い想い』をもって当たれということだな」
「―――我々研究者が数量的でないことに命運をかけるのも不思議な話ですけどね」
『強く願う』ことで、シューリのかけた『保護』を突破する。―――およそ研究者らしくないことに望もうとする自分たちに少しだけを笑いを見せるイアソン。
しかし、ハーディは『どうかな』と言葉をかける。
「魔法が数量的だったことなんて一度もないさ」
※ ※ ※
「わかったヴェールちゃん?」
「わ、わかったけど………そのおじさんは………?」
「僕のことは気にしなくていいよ。―――師匠の言っていたことだけに集中するんだ」
魔族であるヴェールに対して、至極微妙な顔をするイアソン。―――そんな彼の雰囲気を察してか、ヴェールもハーディの影に隠れながらおずおずとイアソンについて尋ねる。
「大丈夫よヴェールちゃん。年頃の女の子にちょっとノンデリケートなおじさんだけど、ちゃんといい人だからねー」
「………」
ハーディの紹介に不服でありながらも、どこか心当たりがあるイアソンは形容しがたいほど微妙な表情を浮かべる。
「………わかった」
ヴェールはとりあえずイアソンとハーディが親しい仲であることを察して、今しがたハーディに言われたことを復唱する。
「えっと………とにかく『ヨミヤの心配しながら』埋まってる腕を引き抜けばいいの?」
「ええ、そうよ。―――この空間は、きっと『強い想い』に影響される可能性がある。だから、ヴェールちゃんの場合は、ヨミヤ君を強く心配する気持ちを持って事に当たりましょう」
「わかった―――!」
力強く頷くヴェールは、やがてウーズに取り込まれている腕を引き抜き始める。
「………私も」
ややあって、ハーディも同じように腕を引き抜き始める。
―――肝心な時に傍にいてあげられなかった。
腕は抜ける様子はない。
―――肝心な時に支えになりきれなかった。
それでも、ハーディは力を込めて腕を引き抜き続ける。
―――だから、今度こそ………イアソンの傍に………シューリの傍に………!
大事な時に傍に居られなかった自分に、支えになりきれなかった自分を呪い………それでも、居なくなってしまった彼らに、ハーディは決意を秘める。
そして、
「きゃっ!?」
ヴェールの可愛らしい悲鳴と共に、ヴェールとハーディはウーズより腕を引っこ抜く。
「や、やった………?」
「まだよヴェールちゃん!!」
しかし、休む暇もなく、今度は分身体のはびこる大地を見据える透明な膜へハーディは駆け寄る。
「イアソンも早く!」
「はい!!」
固いガラスのような膜に向かって、三人で力の限り押し込む。
少々不格好なその光景に―――けれど、誰もそんなこと気にも留めなかった。
―――シューリ………! 今行くね………!!
そして―――
ガラスの割れるような音と共に、三人は空中に投げ出された。
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ちなみに、ハーディさんがイアソンの血がついた手紙を投げ入れたのは、「イアソンの血をとりこんで、記憶を強く想起できたらいいな」程度の理由でした。




