過去回想:悲劇はそれでも無窮と共に 終幕
「い、イアソン様!! 今、治療を………!!」
イアソンの研究室。
強敵との戦闘の末、大ケガを負ったイアソンは、何とか自分の研究室まで戻ることが出来ていた。
すぐに目を覚ましたシュケリが、治療を試みようとするが………
「いい。―――時間もないし………道具もないだろう」
傷は、左肩から、右の脇腹まで一直線に走った切り傷。
傷口は深く、今も流れてはいけない量の血液が流れ続けている。
しかし、イアソンは『時間も道具もない』とシュケリの治療を断り、立ち上がった。
―――これは………もう………
一歩下がり、相手の攻撃を、最小限に抑えたつもりだった。
だが、現実はコレ。
最小限のダメージが、人間をいとも簡単に死の淵まで追い込むほどの『力』。
―――せめて………
心配そうな目で見つめてくるシュケリを横目で見ながら、イアソンはバックパックを机の上に置いた。
「シュケリ―――今から指示する手順で………引き出しを開けるんだ」
「し、しかし………イアソン様………」
今も自分を心配してくれるシュケリに、
「いいから、頼む」
イアソンは微笑んでお願いをした。
「………わかりました」
シュケリはも、イアソンの傷が命に係わるものだと理解している。しかし、現状、イアソンを癒せる手段は存在しない。
―――ゆえに、自分の想いを飲み込み………イアソンの指示に従った。
―――師匠なら………
いくつもの隠された引き出しを経由しなければ、開けることの敵わぬとっておきの場所に、セラドンの研究資料を隠したイアソンは、血で汚れる口元で笑みを作る。
「………手紙を」
そして、イアソンは乱暴な―――手元の定まらない手で、適当な紙を引っ張り出し、手紙をしたためる。
しかし―――
「イアソン様………!」
扉の影から外の様子をうかがっていたシュケリが、敵の襲来をイアソンに知らせる。
「クソ………」
イアソンは、仕方なく書きかけの手紙を、エイグリッヒからもらった鳩モドキの魔獣の足に括り付ける。
―――断片的な情報しか書いてないが………師匠ならきっと………ッ!
血に濡れた手紙をもって飛び去る鳩を見送り、イアソンは振り返り………
「大人しくしろッ!!」
タイミング良く入ってきた守衛が一人。
その守衛に、不意打ちのように銃を発砲した。
「シュケリ!! 逃げるぞ!!」
痛む身体など無視してイアソンはシュケリの手を引いて研究室の中を走る。
「イアソン様!!」
相変わらずシュケリはイアソンへ心配そうな声をかけている。
が、今だけはその声を無視して、今度は研究室から廊下へ出るが―――
「ウォォォォォォォッ!!」
待ち構えていたとばかりに、剣を突き出した守衛がシュケリに迫る。
「っ!?」
「危ないッ!!」
咄嗟に、シュケリを庇うイアソン。そして―――
「―――カフッ………」
刃が、イアソンの腹部を貫通した。
「嫌………、嫌………!!」
口から吐き出したイアソンの血が、シュケリの顔を汚す。
「フっ………」
イアソンは、そんなシュケリに安心させるように笑みを作る。
「はははははッ!! 『フォーラム』の邪魔をする人間を、また一つ消した―――ぞんッ!?」
イアソンを刺したことが嬉しかった守衛を、見もせず銃で撃ちぬくと、イアソンは踵を返し、何事もなかったように走り出す。
「ダメです………止まってください………お願いです………」
涙を流しながら、シュケリはがむしゃらに首を振る。
「イアソン様ッ!! お願いです止まってくださいッ!!」
必死に手を振りほどこうとして―――決してイアソンの手はシュケリから離れることはなかった。
「止まってッ!! お願い!! 止まって――――
止まってェェェェェェェェェェッ!!!」
少女の声は、けれど男を止めることはなかった。
※ ※ ※
その日の曇天は、決して泣くことはない。
誰もが、今までの経験則でそう判断していた。
だって、止まぬ雨がないように、曇り空もやがて、輝き出すのだから。
けれど、雨は降る。
人々をあざ笑うように―――雲行きは悪い方に傾くのだと………空は輝くことはないのだと。
家に帰った人々の代わりに、雨の雑踏が街の中に響き続けていた。
「ぁ―――」
「うッ………」
『賢者の柱』から飛び出したイアソンは、とうとう、シュケリを伴って、地面を盛大に転がった。
―――足が………動かない………
というより、すでに足の感覚がなかった。
「イアソン様!!?」
シュケリは、すぐに身体を起こし、イアソンの元に駆け寄る。
「待っててください!! 今シェイ様の所に―――」
「無駄だよ………シェイはおそらくもう………」
既に血の気のない顔で、諭すようにシュケリに語り掛けるイアソン。
「ッ………」
シェイの診療所は、イアソンが様子を見に行った時にはもう、荒らされていて誰も―――患者さえ………医者さえいなかった。
顔なじみの医者の末路を、遠回しに伝えられたシュケリは歯噛みをする。が、
「なら、なら………他の場所に行きましょう。まだ間に合います」
「ははは………無理だね」
「………っ!!」
力なく笑うイアソンは、自分がすでに手遅れであることを伝え―――同時に、シュケリの顔が絶望で引きつる。
「シュケリ―――逃げてくれ」
イアソンの―――最後の願い。
シュケリは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に首を振る。―――まるで、父に甘えて駄々をこねる子どものように。
「頼むよ。じゃないと、僕が君を助けた意味が無くなってしまう」
「っ………」
イアソンは、あくまで冷静に―――研究者らしく、言葉でシュケリを納得させてしまう。
シュケリもシュケリで、彼女もイアソンの行動を無駄にしたくはなくて、振り続けていた首をゆっくりと止めた。
「………」
イアソンは、そんなシュケリを見て穏やかに笑い―――やがて、申し訳なさそうに眉をひそめた。
「僕は………君をどこか………娘の代わりにしていた」
死期を悟り、まるで懺悔でもするかのように語り出すイアソンを―――けれどシュケリは決して止めはしなかった。
「ずっと、願ってたんだ。―――以前のように………娘と『話せるように』って」
「………はい」
「話せるようになって、もう一度………しっかり話して………謝りたかったんだ」
「………はい」
「進路を………夢を否定してごめんって………」
「………はい」
「―――だからかな」
虚空を見つめていたイアソンの瞳は―――やがてシュケリへ向く。
「君と過ごした時間は―――まるで娘と仲直りできて………普通の親子のように過ごせているように思えて………楽しかったんだ」
「………はい」
「………自分勝手な話だ。娘への罪悪感から、君には『娘を食い殺したウーズ』だなんて言って………散々君を傷つけた」
イアソンは、ゆっくりと力の入らない腕を上げて―――シュケリの血で濡れた顔を拭った。
「―――すまなかった」
「っ………」
シュケリは、胸の奥で暴れる感情を、抑えることが出来なかった。
「私は………貴方を………イアソン様を………本当の父のように想っていましたよ………」
「はは………」
シュケリは力の限り、イアソンの身体をかき抱く。
その言葉は、連れ去られる間際、イアソンへ伝えた言葉。
しかし、あの時とは違う―――シュケリの言葉はイアソンの心臓の奥へ染み込んでいく。
「あぁ………その言葉がたとえ嘘だとしても………こんなに嬉しいことはない」
顔を拭った手を、今度はシュケリの頭にもっていき―――娘を宥める父のように、イアソンは彼女の頭を撫で続ける。
「………シュケリ」
「………なんですか」
泣きじゃくったままイアソンを抱き続けるシュケリに、イアソンはゆっくりと呟いた。
「『君』は、『君』でいい。―――逃げて、逃げて、『君自身』のやりたいことをやるんだ………」
「―――はい………………ッ!」
「いい子だ………」
娘と娘に対する後悔を、想いを、すべて言葉に代えて、イアソンは今、想いを託した。
「隠密」
旅立つ娘に、まるでお呪いをかけるように、隠密の魔法をイアソンはシュケリに掛けた。
「………雨の中なら足音もバレないだろう。―――もう行くんだ」
「………………………………はい」
別れを惜しむように―――後ろ髪をひかれるように、イアソンを抱く力を一層強くしたシュケリは、ややあってイアソンへの抱擁を解いた。
「………元気でね」
「……………………………はい」
イアソンをゆっくりと横たえたシュケリはゆっくり、ゆっくりと立ち上がり―――
「……………………………………………………ッ!!!!」
大粒の雨の中、必死に走り出した。
こうして、悲劇に彩られた男の人生は幕を下ろす。
ほんの偶然から、
些細な行き違いから、
決定的な思い違いから、
大きな覚悟から、
様々な悲劇に見舞われた男は―――それでも無窮の少女と共にあった日常を確かに愛していた。
閲覧いただきありがとうございます。
長い長いイアソンの話もこれで終わり、次回からやっとヨミヤ君へバトンが戻ります。
過去編が思ったより長くて焦っているのはナイショ。
 




