過去回想:悲劇はそれでも無窮と共に 安息
きっと後悔があった。
『なぜ娘の話をもっと聞かなかったのか』と。
きっと後悔があった。
『なぜ娘の夢を否定してしまったのか』と。
でも、後悔は先には立たず、自分を責めるように背後からこちらを見つめ続ける。
だから望んでいたのだろう。
『もう一度、娘と話がしたい』と―――
※ ※ ※
「………正気ですかイアソンさん」
診療所の診察室。
シューリによく似た桜色の少女を―――連れ帰ったイアソンは、シェイにどう説明していいか分からず………結局本人を連れてきてしまった。
シェイは、イアソンが語った事の顛末を聞き―――耳を疑った。
「今の話が本当なら―――この少女は………『ウーズ』でしょう………」
正直、シェイには状況が良く理解できていなかった。
イアソンがシューリの代わりに、よく似たこの少女を連れて帰ってきて、
シューリは『ウーズ』に捕食され、気が付くと目の前の少女が居たと聞かされ、
魔法で全身をスキャンすれば、どこにも不具合のない人間の身体が映し出される。
ただ、イアソンという男は『メフェリト』でも一、二位を争う賢者であることはシェイも知っている。―――出たらめを言うはずがないと確信する程度は信用できる。
「『ウーズ』………なんだろうな」
一方、イアソンは隣で放心する少女をチラリとみて―――言葉を続ける。
「けど………コイツ………僕を見て―――『お父さん』って、シューリの声で………」
戦争の始まったあの日から、ずっと聞くことのなかった娘の声がイアソンを縛り付けた―――たとえその声が偽物であるとわかっていても男が目の前の『ウーズ』を殺すことはできなかった。
「イアソンさん………」
イアソンの妻・ヒューナを担当していたのはシェイだ。
だからわかる。
目の前の男が―――賢者と持て囃されるイアソンがどれだけ悲劇に巻き込まれてきたのかを。
「………わかりました」
目を瞑り―――そして、息を吐いてシェイはイアソンをしっかりと見据えた。
「シューリさんは『行方不明』として書類を残しておきます。―――あとは、定期的に此処へ来てください。できる限り彼女がどうゆう存在なのかを調べましょう」
「あぁ………」
うつむきながら、イアソンは少女を連れて診療所を後にした。
「………」
イアソンの自宅。
誰も居ない家のリビングにて、イアソンは乱暴にカギをテーブルに放り投げ、ソファに座り込んだ。
「………」
診療所でも、帰りの道中でも一切言葉を発さなかった少女は、キョロキョロと家の中を見回している。
―――娘は………居ない。僕を庇って―――死んだんだ。
娘と同じ顔で動き回る少女を見て―――理性で必死に現実を直視するように自分に言い聞かせる。
―――あの子は………魔獣だ。人間なんかじゃない………ましてや―――シューリじゃない………!!
「お父さん………?」
「!?」
気が付けば、少女はイアソンの目の前まで来ていて、彼の顔を覗きこんでいた。
「ぁ………」
その顔が、その声が、少女のすべてが娘を想起させた。
―――………最低な父親だ
冷静に考えれば、娘は目の前の魔獣に殺されたのだ。
恨んで、嘆いて、怒って、すべての負の感情をもって目の前の生き物を殺すのが正しいのかもしれない。
だが、イアソンは理解してしまった。
―――この子を恨むことも………捨てることも………僕には出来ない。
「………」
だから、せめて理性的に言葉を紡いだ。
「お父さん………」
「違う」
イアソンはのぞき込む少女の方を掴み少し距離を取らせる。
「………ここに座りなさい」
そして、自分の隣に少女を座らせた。
「………」
「………?」
不思議そうな顔で隣に座る少女を目の前にして、イアソンは大きく息を吸い―――そして、ゆっくりと口を開く。
「君は、僕の娘を殺したウーズだ。―――ゆえに、君の父じゃない」
男は、あくまで理性的に話す。
「………?」
目の前の少女はあまり内容を理解していない顔をしていたが………それでもイアソンは言葉を続ける。
「だから、僕のことは『イアソン』と呼びなさい」
「いあ………そん………」
おそらく、現段階で『ウーズ』らしき少女は知能があまり高くないらしい。まるで子供のような反応に、薄々そう感じるイアソン。
「………まぁいい」
『ゆっくりでいい』と、少女に告げて、イアソンは『さて』と言葉を続けた。
「名前」
短く言葉を切り、隣で『いあそん………いあそん………』と独り言を続ける少女を見下ろすイアソン。
―――この子は………『シューリ』なんかじゃない………
理性で思考し、息を吐くイアソンは、ゆっくりと少女の頭に手を置いた。
「………?」
「君はシューリじゃない………だから、新しく名前を考えなきゃな」
「な………ま、え………?」
「そう、名前だ。僕が『イアソン』であるように、君にも、君が君であるための名前が必要だ」
「いあそん………なまえ………」
少女の桜色の髪をみて―――娘とは似ても似つかない髪色と、娘とそっくりな顔を見比べて、イアソンはゆっくりと頷いた。
「今日から『シュケリ』と名乗りなさい」
この時、少女は確かに『シュケリ』というこの世に存在するための符号を手に入れたのだった。
※ ※ ※
ウーズの少女『シュケリ』との生活は案外、うまく回っていた。
最初こそ、心配事が絶えずしばらく仕事を休んでいたイアソンだったが、一か月も過ぎるころには流暢にしゃべるようになり、見た目相応の振舞が出来るようになっていた。
一方、シュケリのことも、イアソンの中である程度の仮説が立ってきた。
『情報の逆流』
イアソンの多大な感情の波が『追跡魔法』の『付与』を通して、ウーズに逆流。―――結果として、ウーズがその情報を処理するために、シュケリの形をとった。
そんな仮設だった。
「おかえりなさいませイアソン様」
知能が現状の理解に追いつくようになると、シュケリはとても丁寧な言葉遣いをするようになった。
「ただいま」
理由は不明だったが、イアソンは特別問い詰めたりすることもなかった。
「今日は早いのですね。―――もう少々お待ちください。すぐに夕食を作ります」
ちなみに、日中の留守番中は、基本的にシュケリが家事全般をこなしていた。―――いつ間にかメイド服まで用意していて、シュケリはその服を着て基本的には家事をしている。
娘にメイド服を着せているようで複雑な気持ちになるイアソンだったが、『娘ではない』と冷静に思考を整理し―――本人の自由にさせている。
「いい。―――たまには僕が作ろう」
「そ、そんな………悪いですイアソン様」
「いいんだ。定期的に作らないと上達しないしな」
また、もう一つの変化として、イアソンも料理をするようになった。
シュケリの知能が子ども並みであった最初の一か月は、基本的にイアソンが家事をすべてこなしていた。
元々凝り性な性格だったイアソンは、その際にどっぷり料理にハマり、時々作っているのだ。
「………」
そんなイアソンの目が、リビングに置いてあった本棚に向く。
―――いつまでも下は向いていられないか………
イアソンは、そんな想いと共に、本棚へ足を運び―――一冊のノートを、分厚い本達の間から抜いた。
そのノートの表紙には、『師匠のありがたいレシピノート』と題名が書いてあった。
中を覗けば、そこにはハーディが街を出ていく前日に綴ったであろう、彼女直伝のレシピの数々が記されていた。
いままで、一人の生活が続いていたのもあるが、それ以上に、今のイアソンには、そのノートに記された底なしの愛情が痛かった。
だが―――
「………」
「………? どうされましたか?」
いつの間にかシュケリを見つめていたイアソンは、ゆっくりと目を閉じて首を振った。
「―――何でもない。すぐできると思うから、座って待ってなさい」
「いえ、それでは悪いので………手伝います」
シュケリはイアソンの言葉に首を横に振り、一緒にキッチンへ入ってくる。
「そうか………じゃあお願いしよう」
作る料理は『シャンフル』。
まずは、具材を切る。―――シューリが肉を一口大に切り、イアソンがそのほかの野菜たちを切り分けていく。
「………イアソン様は手際が良いのですね」
不意に、イアソンが野菜を切る光景をみて、シュケリがそんなことを言い出す。
「手際か………そうだね、手際というか………手先の器用さだけなら師匠にも、エイグリッヒにも負けなかったかな」
言葉を紡ぎながら、よどみなく野菜を切るイアソン。
「すごいですね………私なんて、まだ慣れなくて………夕飯の準備が一番手間取ります」
一方で、シュケリは、肉のスジが中々切ることが出来ず苦戦を強いられていた。
「まぁ、器用さに個人差あれど………料理なんて、結局は回数を重ねるかどうかじゃないかなぁ」
『まだ初めて一か月程度だけどね』といじわるそうにイアソンは笑った。
そうこうしているうちに、料理の過程は進む。
グツグツと、音を立てて煮込まれている具材たちは、ついに、『ルゥ』と呼ばれるスパイスを加えるだけで完成するところまできた。
「さてさて………」
しかし、ここでイアソンはレシピノートを見て―――他のスパイスを取り出す。
「コレと………コレと………コレねぇ………」
三種類ほどのスパイスを少量ずつ加えて―――そこでやっとイアソンは『ルゥ』を加える。
「あとは少し煮込んで終わりだね」
煮込まれていく料理は、そのうちに色を変えて―――芳醇な香りがリビングに広がった。
「うぁ………懐かしい………」
その香りは紛れもなく、ハーディがイアソンと娘・シューリに作ってくれていたものだった。
鼻孔の奥底を優しく刺激するその匂いに、イアソンが懐かしさに包まれていると―――
「………………」
その隣で、シュケリが突然涙を流した。
「どうしたシュケリ?」
「ぁれ………私………なんで………」
シュケリはこの料理をもちろん、食べたことがない。なので、彼女が泣く理由は一つもない。
それはシュケリ自身が良く理解している。―――ゆえに、彼女は必死に涙をぬぐい、感情を落ち着かせようとする。しかし―――
「おかしいです………初めてこの料理を見たはずなのに………懐かしさが、止まらなくて………」
「………」
シュケリが涙する訳を、イアソンは正しく説明できない。
それでも、イアソンには確かに分かった。
「………この料理は、『シューリ』がよく師匠に食べさせてもらっていた料理みたいなんだ」
「………なるほど」
グスグスと溢れる涙を止められないまま、シュケリはイアソンの言葉を受け入れた。
「………とても懐かしくて………とても嬉しいです」
『娘はもう、居ない』。
そう言い聞かせてきたイアソンは、けれど、目の前のシュケリの涙を確かに受け止めた。
閲覧いただきありがとうございます。
難産が続く話ですねぇ…
今回もとても苦労しました…




