過去回想:悲劇はそれでも無窮と共に 離別
「エイグリッヒ様。皇帝陛下より帰還命令が下されました」
『ホテル』。戦時中も主に帝国軍の指令室にもなっていた一室で、エイグリッヒは盛大にため息をついた。
―――なんとかイアソンとゆっくり話したいと粘っていたが………
皇帝からは、少し前から帰還の催促が出ていた。
すでに街の復興具合は、エイグリッヒが居なくても充分進むであろうことを、皇帝は知っていたのだ。
しかし、エイグリッヒはあれこれ理由をつけて帰還の催促を無視していた。
理由は明白。
シューリを助けたあの日から、イアソンと一度も話せていなかったから。
時折訪ねてくるハーディからイアソンの話は聞くものの、彼の様子を聞くたびに心配は募るばかりだった。
「だが………潮時か―――」
帰還命令。
催促ではなく『命令』。これを無視すれば、皇帝の反逆者とみなされ即処刑されるだろう。
友のためにお尋ね者になるのもやぶさかではないエイグリッヒだったが、ハーディに今以上の心労を掛けてはならないと、吐き出しそうになった息を飲み込んだ。
「分かった。すぐに向かおう」
今や、エイグリッヒは帝国が魔族に対抗するための貴重な戦力だった。
―――どうか………どうか………また会えることを願うぞ
空高くそびえる『賢者の柱』を見上げ―――エイグリッヒは『メフェリト』をあとにした。
※ ※ ※
『圧縮式結界弾発射装置』
この世界における初めての『銃』の正式名称。
結界の魔法を機構内で発動。弾丸の形にした『結界弾』を、空気を圧縮する魔法によって撃ちだし―――相手に決定的ダメージを負わせる『魔道具』
「………これがあれば」
思考が歪んでしまったあの日から一週間………イアソンは『賢者の柱』の研究室に引きこもり、『銃』を完成させた。
机の上には、銃の設計図と完成した『銃』。
「………」
それらを熱心に見つめていたイアソンは、しかし、不意に時間を確認して立ち上がった。
「―――シューリの所に行かなければ」
完成した銃を懐にしまい込み、イアソンは静かに研究室を後にした。
「………」
ハーディとすれ違ったことも認識できないまま。
男は一人、歩き出していた。
翌日。
「これはどうゆうことだ」
イアソンの研究室にてハーディは『銃』の設計図を、イアソンの机に叩きつけた。
「………別に、ただの『魔工具』の設計図ですが」
無機質に、それでいてどこか熱のこもる声色で応答するイアソン。
「これが『ただの魔工具』な訳があるか!! これは『人を殺す魔工具』だ!!」
「それは語弊があります。―――あくまで目的は護身用」
研究室に響くのは、怒号と、それに反応する冷たい声だけ。
「これは簡単に人間を殺せる!! そんなものが『護身用』な訳がない!! ―――お前はこれが悪用されたときのことを考えているのか!?」
「………もちろん、設計図は公開しません。『銃』の製造はこの研究室が取り仕切り―――信用のできる人間にだけ渡す」
とってつけた様な説明。―――そんな穴だらけの対策に気づかないハーディではない。
「―――はぁ」
深くため息をつく。
「自分の弟子がこんなに愚かだとは思わなかった………」
「………っ」
落胆の声。
ハーディの言葉が冷たくイアソンに突き刺さる。
「設計図を盗まれたらどうする? この研究室の者が外部に『銃』を持ちだしたらどうする? ―――なにより、信用した人間に渡して………裏切られたらどうする?」
ハーディの並べる『もしも』。それらを並べた上でハーディは言葉を続けた。
「今言ったことが一つでも起きた場合―――お前は世紀の発明者となり………同時に最も人を殺した『殺人者』にもなるんだぞ………?」
ハーディは、机を回り込み………イアソンの肩に優しく手を置いた。
「冷静になるんだイアソン………!」
「………………」
うつむく視線。イアソンはハーディの言葉に、顔を上げなかった。
「………………………っ!!」
そして、
「な………」
イアソンはハーディの手を払いのけ、彼女を突き飛ばした。
ハーディは、初めての出来事に、床へ倒れこむ。
「―――ッ!!」
そんなハーディのことなど気にも留めず、イアソンは声を張り上げた。
「大切なモノを奪われないための『力』だッ!!」
あの日、あの時、最初に駆けつけたのがイアソンではなく―――ハーディやエイグリッヒだったら。
イアソンはそんな意味のない仮定にとらわれ続けていた。
「違う………それは―――っ!!」
しかし、そんなイアソンの言葉を―――想いを否定するようにハーディは叫ぶ。
「誰かの大切な者を奪う『力』だ!!」
失いたくない者を失くした『喪失者』。悲劇に見舞われた者を『加害者』へと仕立て上げる。
復讐と引き換えに、自分の弟子がそんな哀れな末路を迎えることをハーディは決して良しとしない。
だが―――
「わからないんですよ師匠には―――ッ!!」
『息子』のように愛してきたイアソンはハーディを………
「『家族』を亡くした悲しみは、師匠には分からない!!」
明確に拒絶した。
「―――――――――――」
息子と母親は『他人』だと。
師匠には『家族』は居なかっただろうと。
「ッ!!」
乾いた音が―――頬を叩く軽快な………それでいて、決定的な音が部屋に響いた。
「………………………出て行ってください」
頬をぶたれたイアソンは、口の端から血を流し―――ハーディに目も向けず告げた。
「………言われなくても」
ハーディは、イアソンの言葉に反抗することもなく足早に部屋を後にした。
「………」
イアソンはその後ろ姿を、暗く、昏い瞳で凝視していた。
※ ※ ※
「………なぁ君」
深夜の『賢者の柱』。
この時間に、申請をした者以外にこの建物に残ることはできない。
そんな時間の、とある階―――とある部屋で、
「………ソレ、どこに持っていく気だい?」
イアソンは、『銃』を目の前の男に突き付けていた。
「い、いや………これ………は………」
イアソンの前で情けなく腰を抜かす男の腕の中には―――金のたっぷり詰まったバッグ。
「それ………セラドンさんのトコのお金だよねぇ?」
「ど、どうかみみみ、見逃してください………! 家族に………家族にメシを食わせないと………!」
どうやら、目の前の男は、今日食べる物にも困るほど金に困っていたらしい。
男の手の中の金は、『賢者の柱』上階フロアの主任研究者の研究費用で、たった今、男が持ち逃げしようとしていたものらしい。
「………」
そんな男をたまたま見つけたイアソンは、男を見下ろし―――薄く笑った。
きっと、男は気が狂っていた。
血迷っていた。
次々と降りかかる不幸に、心が耐えきれなくなっていた。
既に周囲の人間に―――自分を支えようとしてくれている人の存在に気づけなくなっていた。
それどころか、凶行に走ろうとする自分を止めようとする手を―――振り払った。
それゆえか―――自分が人間として最低な所業を行おうとしていることに男は気づかなかった。
※ ※ ※
「………」
イアソンとハーディがすれ違った日から一か月。
一応、研究室に顔を出し続けているハーディは、けれど、あの日からイアソンと一切の会話をしなくなった。
「………」
その日は、なんだか嫌な予感がした。
しかし、あくまで『予感』。そんなもののために仕事を休むわけにもいかず、いつも通り多めに朝食を用意したハーディは、一人静かに家を出た。
しかし―――
「ハーディ・ペルション」
扉を開けて待ち受けていたのは、玄関を取り囲むほどの騎士達。
「………何か御用で?」
正直面を喰らってしまうハーディだったが、何とか冷静さを保つ。
「貴様に、『横領』の容疑が掛かっている」
「………はぁ?」
が、あまりにも身に覚えのない罪で騎士達に詰められ、今度こそハーディは声を上げた。
「一応主張しておくが、まったく身に覚えのないことだ」
「うるさい。とりあえず行政府まで一緒に来てもらう。―――弁明も主張もそこでするんだ」
「………」
ハーディは、いざとなれば騎士の十人や二十人………すぐにでも倒すことができる。
それは、相手の騎士達もよくわかっているようで、まるで魔獣にでも対応するかのような目でハーディを睨みつけていた。
「………はぁ」
そんな目が少し気に入らないハーディだったが、同時にあることに気が付く。
―――あぁいや………これは―――種族の問題もあるか。
そう、騎士達はハーディがエルフであることも相まって警戒しているのだ。
―――『ヒト』は『ヒト』以外の種族を………嫌っている。
普段、戦いに加わる騎士達だから、エルフという『魔法』に長けた種族の脅威を良く知っているのだろう。
―――まぁ………なんとも都合のいいことだな。
『魔法都市襲撃戦争』の時は感じなかった人間の感情に少し笑いがこみ上げるハーディだった。
「わかった。何のいわれもないが―――ついていこう」
ともあれ、言葉に暴力で返す趣味はないハーディは、渋々騎士達についていくことにした。
「それで? ………私に一体何の罪があるんだ?」
行政府。領主の館、賢者の柱―――二つの建物から遠く離れた位置にある、街のあらゆる機能の中枢。そこは、犯罪者の取り調べや、留置をする施設が同時に併設されていた。
帝国のどの街も、仕組みは似たようなものだが、現在では、『街の機能を維持する施設』と『犯罪者の取り調べ・留置を行う施設』は別にするべきという声も上がっている。
そんな行政府の地下。
薄暗く、狭い部屋の小さな椅子に腰かけながら、ハーディはすねたように机に頬杖をついていた。
「先日、『賢者の柱』にて、巨額の資金を持ち逃げしようとした男が捕まった」
「それがどうしたと?」
当然、そんなことを知るはずもないハーディは、訝しんだ目で、目の前の騎士を睨みつける。
騎士は、そんなハーディの目に一瞬だけ怯んだ様子を見せるが、すぐに言葉を続ける。
「その男がお前に指示されて金を盗んだと証言したのだ」
「………意味が分からない。その男の嘘に決まっているだろう」
「あくまでしらを切るつもりだな」
騎士は、他の騎士から渡された紙をめくり………とあるページを開いて机の上に置いた。
「男は持ち逃げの常習犯でな。―――以前から被害の報告があったのだ」
その紙は、イアソンの研究室の『収支報告書』だった。
研究室では、公表した技術の使用を、お金をもらって許可する。それらのお金を元に予算を決めて新たに研究を始めるのだ。
よって、報告書を領主に提出する義務はあるものの、お金の管理は各研究室に一任される。
「お前が経費の報告書を作成していた期間に収支の合わない箇所が散見される」
このお金の管理は、基本的に主任研究員が行うのだが―――イアソンが休職していた間はハーディがこのお金の管理をしていたのだ。のだが―――
「うぐ………」
基本的に彼女の性格はおおざっぱだった。
私生活でも、イアソンとエイグリッヒと共に居た頃は弟子二人に身の回りの世話をしてもらっていた。
シューリとの二人生活でも、最初は料理が壊滅的でシューリを何度も料理で昏倒させたことがある。
そんなハーディが、まともにお金の管理などできるはずもなく。
「そ、それがなに………? 収支が合わなくても研究室は回ってましたけど………?」
収支の合わないところは、ちょっぴり数字をごまかしていたのだ。
―――目の前の騎士は、この『ごまかし』を暴いて、今ハーディの前に収支報告書を突き付けているのだ。
「そうゆう問題ではない―――」
しかし、目の前の騎士は、何も収支報告書を改ざんしていたことを責めているわけではない。
「被害額と、収支が合わなかった分の差額が一致しているのだ!!」
要するに、ハーディが男が盗んだ金を研究室の資金に使い―――横領したと言っているのだ。
「バカな!!」
騎士の言わんとすることをすぐに理解したハーディは勢いよく立ち上がる。
「そんなバカげた不正………するわけないだろうッ!!」
ハーディの本心。
だが、彼女が声を張り上げると同時に、部屋に居た騎士達はすぐに抜剣。―――ハーディの首元に全員が剣を突き付けた。
「だ、だれが動いていいと言った………?」
「………っ」
流石のハーディも、首元に剣を突き付けられては動くことは出来ず、ゆっくりと椅子に座る。
―――クソ………誰も………信じない………
もはや、罪の真偽など関係ない。
騎士たちの目は、『エルフ』であるハーディを畏怖し………排除しようとしていた。
「っ………」
エルフであること―――『異種族』であることが、状況を悪い方向へ加速させていた。
そこへ―――
「取り調べは?」
「イアソン………?」
目の下に隈を蓄えた男―――イアソンが取調室に現れた。
「はい………中々自白しない上に、先ほど暴れようとして―――今落ち着かせたところです」
「そうですか………」
しかし、イアソンは、ハーディのことを一切見ることもせず、取り調べをしていた騎士と情報を交換していた。
「………………………まさ………か………」
イアソンと騎士達の様子を見て、ハーディは直感した。
―――あぁ………
裏切られたと。
「イアソン………お前………」
不思議と怒りは湧いてこなかった。―――それ以上に、弟子が………息子が『誰かを陥れる』という人として最低なことをした事実が、ハーディを傷つけた。
「………何を落胆してるんです師匠?」
騎士達と話していたイアソンは、不意にハーディの方へ目を向ける。
「………さぁな」
イアソンの言葉に、ハーディは投げやりに言葉を返した。
「………」
イアソンはそんなハーディに視線を落とし―――
「最初に僕の研究を止めようとしたのは―――貴方だ」
「………!?」
ハーディの耳元でイアソンは囁いた。
『銃』の、『力』を手に入れようとしたのを―――裏切ったのはハーディであると。
―――あぁ………そうか………私も………
自分を見下ろすイアソンの目を見て―――ハーディはあることに気が付いた。
しかし、想いを馳せるよりも先に、男は罪人であるハーディに静かに告げた。
「ハーディ・ペルション。―――貴方を都市から追放する」
「………わかった」
統治貴族のサインが入った書類に目を通すこともなく、ハーディは静かに目を閉じ―――自分の罪を受け入れた。
「今日中に荷物をまとめて―――明日の早朝には都市を出て行ってください」
「あぁ」
それだけ告げると、ハーディは解放され、自分の足で取調室を出ていくことを許される。
「………イアソン」
虚ろな目のハーディは………それでも、少しだけ微笑んでイアソンを見つめた。
「………なんですか」
「明日………私を見送りに来てくれないか?」
「………気が向いたら行きますよ」
「ありがとう―――待ってるよ」
※ ※ ※
「待ってましたよ」
「信じてたよ」
日の登らない都市北門。イアソンとハーディは、人気のない門で鉢合わせた。
「で………なんですか」
「いや………これを渡しておこうと思ってね」
「………なんですかこれ?」
ハーディがイアソンに手渡すのは、一枚の紙。その中身は―――
「『銃』の改良案だよ」
「………意味が分からない。―――貴方は『銃』の開発には反対だったのでは?」
何か意図があるのではと勘繰るイアソンに、ハーディはゆっくりと首を振った。
「大丈夫。―――今でも反対だよ」
「なら何故―――」
疑問を呈するイアソンを―――ハーディはゆっくりと通り過ぎて………立ち止まった。
「あの日―――いや………あの時にさ」
イアソンに背中を向けたまま、ハーディは上を向く。
「シューリちゃんを守るために必要だったのはね、『力』なんかじゃなかったと思うんだよね」
「………」
男は何かを言おうとして………けれど口を閉じて師匠の言葉に耳を傾けた。
「あの時に必要だったのはきっと『話し合い』。お互いの気持ちを冷静に伝えあって、譲歩して、『結論』にたどり着ければ―――きっとあの場に誰かが居て………あの子を守れたはず」
「………っ」
それは、ありえたかもしれない未来であり―――意味のない『もしも』。
「でも、私はイアソンを責めるつもりはないよ」
「………なぜですか」
ハーディの―――ずっと母の代わりに居てくれた彼女の言葉に納得してしまった息子は、力なく言葉を吐き出す。
「私も、イアソンの目的に寄り添ってあげられなかったから………」
ハーディは気づいてしまったのだ。『シューリの夢を応援すべき』と語った自分が、『イアソンの目的に協力してあげられなかった』ことを。
息子が殺人者の道を進むと覚悟を決めたのなら………家族として、共に殺人者と罵られる道を行くべきだと―――そう、思ってしまったから。
「その『銃』改良案………参考にして。―――公表したら、私の名前も宣伝するのよ?」
少しだけ振り向いて―――子どものような笑みでイアソンを指さすハーディは、ゆっくりと『メフェリト』を後にした。
「………」
男は正気に戻った。
息子に裏切られた母の………無償の献身に、言葉に、想いに触れて。
「あぁ………僕は………」
しかし、すでにそこには誰もいない。
「僕は………一体………何を………」
連れ戻すことはできない。
領主の正式な通達をもって、ハーディを追い出したのはイアソンだ。
追いかけることはできない。
動けないシューリを一人にすることはできない。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!」
男は自らの足で、『孤独』へと足を踏み入れたのだ。
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