マクシミリアン死後...
マクシミリアーノ1世死後...
1917年 9月
マクシミリアーノ1世死去の知らせは世界に伝えられた。
メキシコ皇帝として国家を繁栄させた人物の死は多くの者が悲しんだ。
オーストリア=ハンガリー二重帝国
ウィーン
皇帝マクシミリアーノ2世
「長官、結局、私は父上の最後を見とれなかった」
「仕方ありません。先帝(マクシミリアーノ1世)と違って皇帝(マクシミリアーノ2世)はオーストリアにいたんですから」
マクシミリアーノ2世は宮殿で大統領と自身の右腕であり全てを託せられる戦友である長官と共にいた。
「先帝には会えませんでしたが、あのお方のお陰で儂等は大統領にまでなりました。」
「母上から手紙だと遺言状が二通あったそうだ。死後についてと、今後についてだそうだ」
「先帝らしく用意周到ですね。それで葬儀はいかがします?オーストリアからは国を上げて行うよう来ていましたが?」
大統領が聞くとマクシミリアーノ2世は一旦メキシコシティに戻ることにした。遺言書を確認してからにするのだった。
十数日後
マクシミリアーノ2世はメキシコシティに戻っていた。兄弟や一族もだ。
母から渡された遺言書を全員の前で開き読み上げた。
私の死後、派手な式などはせず一族のみで行うこと。墓は父や祖父達と同じ先祖代々の納骨堂に葬ること。
例え皇帝に就き、拠点をメキシコシティにしたとしても我ら一族の本拠地はオーストリアであることを忘れずにいること。
私の持っていた剣は教会に奉納せよ。この剣は父が私の為に作られた物である。
他に・・・・・・
・・・・最後に国家は我らや、権力者の為にあるものでは非ず。メキシコの民の為にあることを皇帝になる者は忘れるべからず。
「・・・色々指示が多いな...」
「父上らしいって言えばそうですけどね」
「叔父上(マクシミリアーノ1世)は最後の最後までこき使ってきますね。父上の申された通りだ」
集まったマクシミリアーノ世や一族は色んなことを言って笑ったり昔のことを思い出したりした。
「さて、では、もう一つの方も読んでみるか」
マクシミリアーノ2世はそう言って分厚いもう一つの書状を開いた。
「っ!これはっ!」
「陛下(マクシミリアーノ2世)どうされました?..なっ!!」
マクシミリアーノ2世や長官は書状の内容を見て絶句した。
それにはマクシミリアーノ1世が今までに経験したこと、そして、これから起こるであろうことが書かれ、その対処法まで書いてあったのだった。
「母上、父上はいったい何者なのですか?」
二人は母である秋は笑って
「貴方達の父であり、メキシコの繁栄を成した方ですよ」
シャルロッテはマクシミリアンとの思い出を懐かしながら答えるのだった。
分厚い書状のことはマクシミリアン一族のみ知ることとし禁書として保管されることになった。
その後、葬儀は一族のみで行わた。
マクシミリアーノ2世はウィーンに向かい、オーストリア皇帝に報告した。オーストリア皇帝は遺言なら仕方なしとした上で、それでもメキシコを繁栄させ、皇帝三代を支えた忠臣でもあるので国葬を行うとした。勿論遺体の代わりに木像が使われることになった。
マクシミリアーノ2世も承諾し、メキシコ、オーストリアの合同で行われることにした。
1896年 2月
ウィーンで国葬が行われ、多くの貴賓客が参加した。中には隠居していた将校等も参加した。
その後、大地震、南米諸国からの戦争などもあったが帝国は二百年以上続き、民と共に歩むと発表したマクシミリアーノ16世によって立憲君主制がとられ、帝政は終了し新たな時代へと変わった。
メキシコは技術大国として発展して行き国土は北はテキサス(現在の北方軍管区)から南はパナマまでとなっている。
立憲君主制後のマクシミリアーノ一族は現代でも政界に影響力を残したり、技術開発などを専門とした大企業になったりとして残るのだった。
また、大聖堂との関係は深く、聖堂の宝物殿にはマクシミリアーノ家と関係が深い物が多く眠っており、その中にマクシミリアーノ1世の残した遺書(禁書)が出て来てその内容に現代の歴史研究家は驚きを隠すことが出来なかった。
また、マクシミリアーノ1世が書いた直筆の遺書は一級資料として保存されるのだった。




