最終話 戻って来た男 後編
脳内から聞こえるミッシェルの声。
もう少し苛立つかと思っていたが、意外にも私の心は穏やかだった。
『...ずっとマサシと連絡を?』
僅かな沈黙の後、ミッシェルは小さく呟く。
姿は見えないが、きっと小さくなっているのだろう。
「そうね、貴女が政志と一緒に向こうの世界へ行ってから直ぐよ」
『私は無理矢理マサシを連れて来た訳じゃ...』
「分かってる、貴女はクリスティンに政志を行かせない様に頼んだんでしょ?」
『うん...』
やっぱり予想通りか、政志は自分の意思で行ったと言ったが、そんな訳が無いとは思っていたんだ。
どうせクリスティンが、このままじゃ世界が滅びるとか、ミッシェルが死んでしまうぞ、とか言って脅したのだろう。
『あの...夏鈴』
「なに?」
『そっちも5年経ってるの?』
「そうよ、二人が消えてからね」
『...そう』
ミッシェルは気まずいだろう。
実際こっちは大変だった。
突然消えてしまった政志とミッシェルに周りは大騒ぎとなった。
政志の両親と私の両親は二人の捜索願を警察に出し、探偵も使って行方を探した。
当然だが足取りは掴めず、結局二人は失踪者扱いになっている。
『...心配掛けてごめんなさい』
「本当よ」
どれだけ心配したことか。
いきなり私のスキルが消えて、政志の情報が掴めなくなった時はまさかと思った。
まさか政志まで異世界に召喚されると想像出来なかったのだ。
一回召喚された同じ人間を二度召喚する事は神の禁忌とされていたからだ。
いかに愚かなクリスティンであっても、禁忌を犯してまで政志を再び召喚するとは思わなかったのだ。
『お父さん達...心配してる?』
「そりゃそうよ」
何を当たり前の事を。
「私達の両親だけじゃない、政志の両親、そして紗央莉もよ」
『...そうよね』
愛する子供の失踪に取り乱さない親は居ない。
私達にとって転生した家族であっても、両親からすれば紛れもない実の娘、心配は当然で政志の両親は尚更だ。
「まあ...私には紗央莉が居たから、なんとかみんなを支えて、何とか耐えてるけど」
『...うん』
本当なら私も紗央莉を連れて政志達と行きたかった。
クリスティンに赦しを乞えば可能性はあったかもしれない。
だが、残された家族を思うと出来なかった。
もしミッシェルが、政志がこの世界に帰って来ないのに、私達まで姿を消してしまったら?
...そう言う訳だ。
『マサシからの連絡はいつから?』
「そっちのタイミングは分からないけど、こっちは政志が失踪してから1ヶ月後よ」
『そんなに?』
「ええ...長かったわ」
それは突然起きた。
どうしたら良いか分からず、紗央莉と毎日泣きながら暮らしていた私の頭に聞こえた政志の声。
『フランシェスカ...いや夏鈴、聞こえるか?』
『政志なの!?』
あの時は我を忘れて叫んだ。
紗央莉は私が発狂したと思ったそうだ。
『マリア...紗央莉には?』
「残念だけど聞こえてないみたい、まだマリアが紗央莉だと政志は知らないのね?」
『ええ、薄々は気づいてるみたいだけど』
「そう...良かった」
私の正体がフランシェスカだと政志はクリスティンから教えられた。
その事に激しい絶望を覚えたが、復活した政志のリサーチスキルで私は救われた。
前回あれだけ私は酷い事をしたのに、政志はまだ仲間だと...
ダメだ、あの時の事を思いだしたら涙が止まらないよ。
「紗央莉は政志に正体は絶対言わないでと」
『分かってるわ』
紗央莉にしてみたら、怖いのだろう。
政志に家族として過ごした時間を否定されたら、もう会えなくなると思っている。
あの子にしてみたら、政志は愛する兄であり、愛する男性なのだ。
『今までの作戦も?』
「ええ、政志から魔王軍の情報を伝えて貰ってね」
『...やっぱり夏鈴の戦略だったの』
ミッシェルは納得している。
最初に戦況を政志から伝えられた時、目の前が真っ暗になった。
どう考えても手遅れ、例え私が一緒に転移していても、戦況は絶望的だった。
『夏鈴姉ちゃん、何とかしよう』
『...紗央莉』
『この世界で兄ちゃんを助けるの、私達が出来る事を』
『そうね、ありがとう紗央莉』
紗央莉に救われた、あの子は絶望してなかったのだ。
その日以来、私はこの世界で起きた戦略の文献を読み耽り、作戦を練った。
私の知る知識ではどう考えても戦況を覆す事は出来ないと分かっていたからだ。
こちらにある兵器は当然だが、向こうには無い。
だが向こうの世界には魔法という、こちらに無い未知の戦力がある。
二つの世界で繰り返されて来た戦争の歴史に新しい知識を加え、この五年私と紗央莉は新しい戦略を次々政志に伝えて来たのだ。
「随分お金を遣っちゃったわ」
『...夏鈴』
政志と将来をゆっくり過ごす為、蓄えて来た資産を全て吐き出した。
文献、研究費、そしてAIを始めとする最新のコンピューター機器。
その額は億で利かない。
『やっぱり夏鈴は凄いわ...私なんかじゃ』
「無理なんて言わないでね」
『...夏鈴』
「それは政志に...いいえ死んでいった仲間に失礼...貴女自身にも」
私達がしたのは、あくまでも単なる作戦指導。
それを政志達討伐隊が実行し、初めて実を結んだだけ。
作戦も全部成功した訳じゃない、幾度の失敗したが、政志達が死にもの狂いで挽回して来たのだから。
『でも...私なんかじゃ』
ミッシェルはまだ...
「貴女が政志を支えて来たんでしょ!」
『か...夏鈴...』
「政志から何度も聞こえたんだよ、ミッシェルも仲間を鼓舞して討伐隊を支えて来た事の感謝を...自信を持って!」
『え?』
ミッシェルは知らなかったのか。
本当に政志は変わらない、煮え切らないんだから。
「次の戦いが最後になる。
おそらく魔王が直々に出てくるわ」
『...まさか?』
「間違いない」
魔王軍が今まで戦って来た戦略から導き出したのだ。
今回の魔王は前回の様に最後の一人になるまで逃げ回ったりしない。
余力がある内に、全て討伐隊にぶつけてくるつもりだ。
『勝算は?』
「五分五分ね」
『...嘘...五年前にクリスティン様は五分五分だと』
「それは政志から聞いた、クリスティンらしいわ」
あの愚神らしい言葉だ。
そう言って政志とミッシェルに希望を与えていたつもりだろうが、私が最初に戦況を知った時、政志が加わっても勝算は五分五分どころか、1対9で魔王側の圧倒的有利だった。
政志達を死にもの狂いで戦わせ、魔王の戦力を削ぐつもりだったのだろう。
そして、次にまた新たに勇者を召喚し、止めを討たせるか...全く。
『政志が捨て駒...』
「そうねクリスティンにしてみたら、世界を救えたらそれで良いんでしょう」
神とは所詮そんな物。
大義を果たす為なら多少の犠牲等、厭わない。
自分への信仰さえ集められたら、それで良い...いや、全ての神とまでは言わないでおこう。
『...足掻いてやる』
「ミッシェル?」
『絶対に足掻いてやる!聖女を、人間を舐めないでクリスティン!!』
こんな力強いミッシェルの声は初めて聞いたぞ?
『聖女の神託はクリスティンからじゃない!
私は全ての神々を信仰する教会から人間を代表して参加して来たのよ!!』
「そうよね...」
ミッシェル、さっきからクリスティンを呼び捨てにしてない?
『マサシと一緒に帰るからね、楽しみに待ってなさい!いつが良い?』
「いつって...そうね...紗央莉が生まれた12年前かな」
そう言って、私は隣に座る少女に微笑んだ。
『分かった、紗央莉が生まれた時はマサシ嬉しそうだったもんね、それじゃ!!』
「...うん」
一方的に脳内からミッシェルの声が消える。
ミッシェルってあんな人だったかな...いや本当はずっと以前からクリスティンには愛想が尽きていたんだろう、気持ちは分かる。
「その様子だと、うまく行きましたね」
「ええ、紗央莉の言った通りだったわ」
隣で紗央莉も微笑む。
最後にしたミッシェルとのやり取りは全て紗央莉が書いたシナリオ通り。
「なんと言ってもミッシェル...美晴姉ちゃんは聖女ですからね、クリスティン1柱だけとしても簡単に信仰を切れませんよ」
そう言って納得顔の紗央莉。
強くなった物ね、なんと言っても小学校5年か...いや前世を足したら、もう60を過ぎてるのか。
「夏鈴姉ちゃん、なにか?」
『いいえ、これで政志の勝利は確実ね』
なかなかの凄み、紗央莉が一番変わったかもしれない。
外見だけでは無い、元々可愛い女の子だったが、11歳の今はかなりの美少女に成長していた。
「ですね、これで80%です」
「いいえ、ミッシェルがあの様子なら90%は堅いわ」
パソコンの画面を見つめながら意見を出し合う。
さっきはミッシェルに五分五分と言ったが、本当は70%で政志側の勝利と出ていた。
「美晴姉ちゃん、無茶しなきゃ良いけど」
「大丈夫よ」
紗央莉は心配そうだが、安心して。
ミッシェルは絶対に我を忘れたりしない、役目を果たす事に関しては私以上に忠実。
戦いの指針は最後まで示してある、後は政志を護りつつ、勝利を収める事に全力を尽くすだろう。
役目を果たしたら、政志とミッシェルはクリスティンに対し...
「時間を巻き戻し、この時間軸をまた擦らせるんでしたね」
「ええ、政志にはもう言ってあるから」
さっきも言ったが、二回目の召喚自体ありえないのだ。
政志にはクリスティンに叶えて欲しい条件を既に伝えてある。
私は神について詳しく無いが、紗央莉が言うには、禁忌を犯したクリスティンの行いが他の神々にバレたら、神界から追放レベルの罰を食らう可能性があるらしい。
「クリスティンの持つ全ての力を使い切らせれば、必ず出来る筈です。
追放よりましだと考えるオツム位有るならの話ですが」
紗央莉の鼻息が荒い、その為に私達やって来たんだ。
政志も、討伐隊のみんなも...ミッシェルにも。
「また仲間が増えるわね」
「兄ちゃんの友達は多い方が良いでしょ?」
「そうね」
向こうの世界を二度も政志は救うんだから当然の対価よ。
「でも紗央莉、良いの?
12年前じゃ、また0歳からやり直しよ?
せっかく小学5年まで成長したのに、また赤ちゃんになるなんて」
「またお父さんやお母さんと人生やり直せるんですから。
なにより、兄ちゃんの居ない5年は辛すぎました」
「確かにね」
それは私も同じ、悲しく辛い時間だった。
「それに、次は兄ちゃんを落として見せます」
「はい?」
紗央莉は何を言うんだ。
「今回は兄ちゃんを最初は諦めてました、でも私と血の繋がりが無いと分かってる以上、ガンガン行きます!」
「あのね...」
それって、おしゃぶり咥えたまま政志を口説くつもりなんだろうか?
「だから夏鈴姉ちゃん勝負です!」
「ハイハイ」
「後、美晴姉ちゃんもです覚悟してください!」
紗央莉はビシッと私を指差した後、天井にも指を差した。
なかなかの自信ね、でも負けるつもりは無いわよ。
「...政志、覚悟しなさい」
幸せな未来を夢見ながら、今度こそは政志と。
静かに呟いた。
え?なんでエピローグを知ってるの?




