見えない底力
ゲームカウントは5-0で澤田が圧倒的にリードしていた。
「くそっ…」
チェンジコートでの僅かな休憩を撮る幸彦は、悔しそうに吐き捨てる。いつの間にか太陽が照りつけるように晴れ渡る空が、コートをサウナのように変化させていた。
「いいか、なにもしゃべらずに聞け」
雅之はスポーツドリンクを手渡すとそう言った。
「あの澤田は、左利きだ」
なにを今更と言った顔を幸彦は雅之に向ける。
「だが、それ以上にやっかいなのはあの手足の長さだ。身長にばかり目がいきがちだが、特にあの腕の長さがポイントになると思う。」
肩で息をする幸彦は黙って頷く。
「左利きと長い腕がもたらす回転、それを意識するんだ。かなりやりやすくなるぞ」
「時間ですよ」
審判から声がかかった。ゴクリとスポーツドリンクを飲み干すと、コートへ向かった。
幸彦のサービスゲームだ。一度深く深呼吸をすると、彼は左手からボールを上げる。そのボールはサービスラインよりかなり内側に舞い上がった。彼は思い切りジャンプして、ボールを打ち下ろす。
スピードは出ていない。澤田は悠々とボールに追いつくが、球は彼の体に向かって跳ね上がる。
「っ…」
なんとかといった感じだった。澤田は辛うじてラケットにボールを当てるがボールは幸彦のもとへは返らずにネットへと引っかかる。
「15-0」
審判のコールが響いた。
「流石だ」
コート外のベンチに腰を下ろした渡辺教諭は言った。彼女は幸彦が何をしたのか理解したようだった。
「え?え??」
長谷川と彩奈は不思議そうに渡辺教諭を見ていた。
次のサーブも、その次のサーブも幸彦はポイントを取った。
「狙って出来るっていうのは、ものすごく難しいんだよ。分かったか?」
「強い…スライス回転?」
長谷川は戸惑いながらも渡辺教諭の質問に答える。
「そうだ、『普通のスライス』回転なら右対右なら外側に逃げるだけのボールだ。だが左利きの相手に取っては自分の体に向かって飛んでくる。ましてやあそこまで前方にトスをあげたとなると、見た目以上のスライスがかかっているはずだ」
渡辺教諭が答えると、幸彦のサーブは再び澤田からポイントをもぎ取っていた。
「くそっ」
悔しそうに澤田はコートの砂を蹴る。
そこから幸彦のテニスは人が変わったようだった。澤田のサービスゲームとなった次のゲーム、相変わらず鋭い玉が放たれていた。
だが、幸彦はファーストサーブを返した。
(なるほど)
ベンチから身を乗り出したくなるのをこらえる雅之は、幸彦のリターンの変化にすぐに気がついた。コートの外を見ると、渡辺教諭と目が合う。彼女は雅之に気がつくと無言で頷いた。
コート上ではラリーが続いた。初っ端のリターンで、澤田をベースライン上に張り付けることが出来たのが幸いした。コートを左右に走る澤田はリーチの差を活かし最短距離で幸彦のボールに追いつくが、僅かにボールが浮いた。
「ふっ!」
それを見逃さない幸彦は決めに行った。がら空きのフォアサイドに玉を打ち込む。澤田は 全力で走り腕を伸ばすと、ラケットの先端にボールが当たった。
ゆらりゆらりと黄色いボールは高くあがる。幸彦はそのボールの下に入り込むと、最高の打角で腕を振り下ろした。
鋭角でバックサイドのコーナーに玉が突き刺さる。ゲームは幸彦が支配していた。
試合が終わる。
「ありがとうございました」
澤田は無言の幸彦にそう言って握手をすると、颯爽とコートから去っていった。
スコアボードには8-2と結果が記されていた。幸彦は負けたのだった。
「…ダメだったよ」
雅之に肩を借りながら幸彦は言った。
「…あれが全国レベルだよ」
雅之は最大限の賞賛の意を込めて幸彦にいった。第七ゲームを撮ったかと思えば、澤田は僅かなブレークタイムで幸彦に傾いた己のペースを完全に引き戻した。既にスタミナが尽きかけていた幸彦は再度流れを戻すことは出来なかったのだった。
「あーあ、長谷川さんお東田さんが見てたのにな」
冗談めいた発言を、最後の力を振り絞って彼は呟いた。
「とりあえず、今はゆっくり休め。」
コートの外で2人を出迎えた渡辺教諭は幸彦に言う。よくやったと彼をねぎらうと、雅之に向かって言った。
「一時間後に決勝だ。北川、アップしとけよ」
ういっすと北川は言う。彼はバッグからラケットを取り出し、走り去っていった。
そこから約一時間半が過ぎた。決勝戦は既に第一コートで始まっていたが、異様な雰囲気に包まれていた。スコアボードには5-0という数字が刻まれる。
「かっこいいテニスだね」
雅之はチェンジコートですれ違いざまに澤田に言った。
「テニスは最後、我慢したほうが勝つんだよ」
続けざまの発言に、澤田は悔しさにまみれた顔を、無言で雅之に向けた。
「嘘でしょ…」
コートの外で彩奈が呟く。澤田の鋭いサーブ、リーチを活かした打点の高いショット、全てが無情にも決まらない。攻めているのは彼だったが、幸彦は全てのボールを返す。そうこうしているうちに、澤田は僅かなミスを引き起こし、ポイントを落とすのだった。
「ゲームセット、ウォン・バイ北部高校、北川君」
気がつけばストレートで勝利という結果だった。ネット際で握手をすると、澤田はいった。
「いや、北海道から転校するときはどうなるかと思ったけど、ここに来てよかったよ。まだまだオレはてっぺんじゃない」
「いや、準決勝をじっくりみれたおかげだよ」
その言葉に不思議そうな顔をする澤田は、すぐに合点がいったようだった。
「吉田君との試合、見られてなかったらオレの勝ちだったかい?」
澤田はニヤリと笑う。
「んー、8-2でオレの勝ちだな」
雅之はそう言うとコートを去っていった。
なんかオレTSUEEEE!になってしまった。