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公爵令嬢はただ彼を愛す権利が欲しいのです

「公爵令嬢はただ静かに勉強がしたいのです」のジョゼフィーヌと婚約者ミゲルの話ですがこちら単品でも問題なくお読みいただけます。

時系列としては上記より1,2年ほど前の話になります。


2/7 日間異世界〔恋愛〕30位でした。お読みくださった皆さまありがとうございます!







ある春の日、エリーレイラ王国王太子妃エメリーカーラ殿下が亡くなった。


その突然の訃報に人々は驚き哀しんだ。

王太子妃は国民のために心を砕き彼らのための政策を多く行っていたためにそれなりに多くの人々から支持を得ていたのだ。

その悲しみは天をも包み込み、王太子妃の葬儀の日は彼らの悲しみを表すかのように強い風と冷たい雨が降り注いだのだった。


王家とそれに連なる者たちのみで行ったしめやかな儀式のあいだ、王太子は決められた文言以上の言葉は発さず、じっと妃の棺を見つめ続けていた。

その何も読み取れぬ表情から、悲しみのあまり放心しているのだという人もいれば、愛してもいない女の死に何も感じていないのだという人もいた。

口さがない人はいつだって、本人から語られもしない心の内を推測しては事実のように騙るのだ。


ただ一つ確かなことは、降りしきる雨の中差し出されていた傘から一歩踏み出して、ほんの一瞬だけそっと指先で棺を撫でた王太子の頬に一筋の水滴が伝ったこと。

それが雨粒だったのか涙だったのかはわからない。

それでも濡れそぼる人形のようなその横顔を、ジョゼフィーヌは一生忘れることはないだろう。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






王太子妃の死について王家から多く語られることはなかった。

死因は公務中、事故に見まわれそのまま亡くなったとされている。

確かに王太子妃はその事故の日に地方へと視察公務に赴いており、その帰還の道中の地盤の緩んだ山間で崩れた崖と共に谷底へと落ちてしまったのだ。

生き残った者、そして麓の村民たちの協力のもと捜索はされたが、ついぞその遺体は見つけることは叶わず、王太子妃と付き添いの侍女、そして護衛の一人は帰らぬ人となった。

ジョゼフィーヌはその話を葬儀のあとに聞いて初めて、葬儀での棺の中身が空っぽだったことを知った。


「この王家の発表をそのまま信じる人はどれだけいると思う?」


そう薄っすらと浮かべた笑みのまま王太子ミゲルは、彼女に問いかけた。

正直に言えば、平民ならばまだしもほぼ全ての貴族はそのままの意味として受け取ることはないだろうとジョゼフィーヌは考えている。

けれどそれを率直に答えるのが正しいのかどうかをすぐには判断できず、答えあぐねたジョゼフィーヌを待つことなくミゲルは続けた。


「私たちが王太子と王太子妃として上手くいっていたことは事実だ。彼女はとても働き者で慈悲深き王太子妃としてよくしていた。時には私の慈善公務まで奪うほどの働きっぷりだったよ」


だからこそ、夫婦としての二人は上手くいっていないのだと多くの貴族が知っていた。

二人きりでプライベートを過ごすことは皆無に等しく、二人で時間を過ごしても公務の話ばかりをしていた。

そもそも休みというほど休むことを二人ともしていなかったのだ。

エメリーカーラは表向き国のために尽くすことに重きを置いており、ミゲルもそれを否定しなかった。

二人は仕事上の良きパートナーであり、夫婦ではなかった。

それゆえに二人の間に子宝が恵まれることはなかったのだろう。

婚姻から十年ほど経った今でも夜の営みは片手で数える程度に収まってしまうという。


エメリーカーラが亡くなる数日前、彼女は珍しくミゲルと夜をともに過ごしたという。

ぽつりぽつりと取り留めのない話を零す彼女にミゲルも、ああ、これが最後の夜なのだなと思いそれに付き合ったのだった。

ミゲルは随分前からエメリーカーラが護衛の一人と親密になっていることには気が付いていた。

逢引は慎重に慎重を重ねて上手いこと隠し通してはいたが、ミゲルがエメリーカーラと話している時に見えた控える彼の目の鋭さに気が付けば自ずとわかるものがあった。

不思議とそれに対して嫉妬することも不快に思うこともなく彼女の幸せを願う気持ちにも一時はなったが、それを彼女の立場が許さないこともよくわかっていた。

王太子妃ということはゆくゆくは王妃となり、そしていずれ国母となりうるものだ。

生まれる子の親がミゲルではないというのはどうしても許されざることだった。

しかしそれは賢明な彼女自身もわかっているようで、そのうえで妙な気を起こさなかっただけマシなのかもしれない。

遠い国の歴史には愛人との子を王家の血筋として次期王に据え置こうとしていた悪女の話もあるのだ。

さすがにそこまでの考えをエメリーカーラは持っていないようで、子ができないように細心の注意を払っていたようだ。

立場と愛の狭間で葛藤する彼女をこれ以上追い詰めることもないとあえて何も言わなかったことも夫としては悪かったのだろうと今ではミゲルも思っている。

最後の夜に、もっと話がしたかったとすすり泣いた彼女を抱きしめることもせずただ零れた涙を拭うハンカチを渡すだけで朝を迎えた。

その数日後に彼女は帰らぬ人となったのだ。


「すまないね、こんな話を君にして」

「……いえ」

「それでも君に話さないのもどうかと思ってね」

「ええ。話してくださり、ありがとうございます」


あの葬儀の日から数か月後、ミゲルの執務室に呼びつけられたジョゼフィーヌは王家が秘匿とした話を聞かされていた。

おおかた巷で噂となっているものと相違がない話にそれほど驚きはしなかった。

事実は時に小説よりも奇なるものとはいうが、この話においては作り話のほうが物語性がある。

ありふれた話、よくある駆け落ち話とそう変わりはしない。

もっとも、それが王太子妃なんて立場であることだけはありふれたものとは違うけれど。


「ひとつ、確認してもよろしいでしょうか?」

「なんだい?」

「今後も、あの方のご遺体が見つかることはないのでしょうか?」


今のミゲルの話を聞く限りでは、彼は妻の不貞を黙認していただけじゃなく駆け落ちをも見逃したことになる。

百歩譲ってミゲルだけならばそれもありうると思っても、王家がそれを許すとは思えなかった。

本当は駆け落ちしたと見せかけて既にこの世にいないのではないか。

もしくは今も彼女の行方を追っており、見つけ次第その命を奪うのではないかと疑る気持ちのまま、ジョゼフィーヌはそう問いかけた。

そんなことを聞くことさえも本当ならば首が飛ぶほどのことだろうが、今この場にはミゲルしかいない。

彼はそんなことはしないとジョゼフィーヌは確信していた。


「ないよ。王家も協力者も捜索は打ち切った。王太子妃エメリーカーラの遺体がこれから先見つかることは決してない」


その確信通り、ミゲルは特に気分を害したようでもなく答えた。

もう誰も彼女の行方を追ってはおらず、王太子妃として責を取らせるつもりもないと言い切った彼の微笑みは酷く穏やかであった。

けれどそのどこか晴れ晴れとしたようでいる顔に一抹の苛立ちを見つけてジョゼフィーヌは首を傾げる。

誰もが認める完璧な王太子である彼はその腹にどれだけの負の感情を抱えようとも常に笑みを口元に浮かべそれを面に出すことは決してなかった。

そんな彼が一つまみでもそのような感情を表すのは珍しく、それが相手をしていたのがジョゼフィーヌだからなのか、ただ相当に腹に据えかねたからなのかはわからない。

それでも他ならぬジョゼフィーヌにそんな感情を悟らせてしまったことにミゲルも気が付いたのか、彼は一度だけ躊躇うように閉口したのち溜息をついた。


「本当のことをいえば……」

「ええ」

「お互い政略結婚と納得をしていた。愛など求めないから愛すことを求めないで。国のために働く立場だけ寄越せと婚約の時も婚礼の時にも彼女は言った。私もそれを信じ、それが国にとっても最善であろうと思ったから彼女の意志に任せていた。それなのに彼女は愛のために国を捨てた」


最後の夜に、エメリーカーラは泣きながらミゲルを責めた。

どうしてもっと自分を見てくれないのか、どうして知っていて何も言ってくれないのか、どうして嫉妬してくれないのか。

あなたが見てくれないから他に目が行ったのだと、そう責めた。

確かに何もしなかったことも悪かったかもしれない、しかし初めに自分から求めないと言った愛を理由にミゲルを責め立てた。


「人の心が、考えがうつろいやすいというのは私だってわかっている。それでも、どうしたって、その自分勝手さに許せないと思ってしまう」

「……それが普通のことですわ」


彼からしてみれば心変わりをして裏切ったのは彼女なのに、それを自分のせいにするというあまりにも自分勝手なことをされたのだから、許せないのは当然だ。

ただし、彼女からすれば初めから一貫していたことをジョゼフィーヌは知っている。

彼女がまず彼の妃に収まり、そのうちに彼の心を手に入れようと目論んでいたことは社交界にいる女性たちはよく知っていた。

今はまだ仕事上のパートナーの立ち位置であれいずれは、と近しい夫人たちに零していたのだからそれは疑いようのない事実だ。

けれど三年、五年、そして十年とたつにつれ彼女はその無常さに気が付き疲弊していった。

何せ彼は最初の約束通り、まったく彼女からの愛を求めることも彼女への愛も芽生えさせることなどなかったのだから。

だとしてもジョゼフィーヌとしては、なんと薄っぺらい覚悟だったのだろうと憐れみすらわかないものだったけれども。


表面上は穏やかにしていながらも彼の内心では裏切られたことに対して相当心が乱されたのだろう。

たしかに彼の中には燃えさかる炎のような愛は目覚めはしなかった。

けれど十年も共に過ごせば親愛の情は湧くし、仕事はそれなりにこなしていた彼女への信頼はあった。

それを裏切られたのだから、傷つかないわけもない。

許せないという言葉と共にきつく握りしめた拳を見て、ジョゼフィーヌは許可をとり、正面から彼の隣へと座りなおした。

そしてそっと重ねたその拳の甲は手袋越しでもひやりと冷たくなっていた。


「わたくしは違う、だなんて言いません。言えるわけありませんわ。わたくしだって人の子ですもの。今まで生きてきた中で自分の感情に振り回されることもたくさんありました」

「君はまだ若いからね。この年齢になってすら完璧に感情を抑えきれる自信がつくものじゃない。まだまだこれから、心変わりすることもあるだろう」


皮肉めいた笑いを口元に乗せて、ミゲルは捨てるように言い放った。

それはジョゼフィーヌを突き放すような意図を持っているのだろうけれど、それにのるほど彼女は頭が悪くもなければ物分かりがいいわけでもなかった。

彼女は重ねるだけの手のひらに力を込めて、彼の拳を包み込む。

これが彼の心であったのならこんなにも簡単に包み込んであげられるのに、残念ながら彼の心をまるっきりくるむことはとても難しいことだった。


「でも、そう。だからこそ、お二人の話を参考にさせてもらいますわ」


エメリーカーラの方針は決して間違っていたわけではなかった。

しかしジョゼフィーヌから言わせればその進め方は彼を全く理解していなかったことを示す。

何故ならば彼にとって公私を完全にわけられること、それが当たり前だったからだ。

彼が生まれ、物心つく頃には父も母も国王と王妃としての業務の引継いだばかりで忙しかった。

それぞれミゲルへの愛情は惜しみなく注いではいたが、たいていそれは別々の時間であり、国王夫妻が仲睦まじくしているところを彼は見たことがなかった。

お互いに信頼はあっても愛し合っているという雰囲気もなく、彼は幼心に父と母は割り切った関係なのだと納得してしまっていたらしい。

両親が仕事上のパートナーというだけではなくしっかりと愛し合った仲だということを理解したのは、アンドリュー(同腹の年の離れた弟)が生まれたあとからだったという。

つまりそれはもうそれなりに考え方の決まったころのことであり、今更それまでの国王と王妃は仕事上のパートナーでいるほうがうまくいく、という価値観を変えることは難しいことだった。

そこに来てエメリーカーラの愛は求めない、国のために働く立場をくれ、という言葉に彼は愛する者というカテゴリから彼女を外してしまったのだ

彼女は最初から土俵にすら立たせてもらってはおらず、結局は最初から最後まで彼女の独り相撲だったのだ。

そのことに気が付けなかった彼女はあの手この手で彼の気を引こうとするが、それに彼が響いた様子もなく折れた心にするりと入ってきた男に傾倒したというのが実状だろう。


「あの方は最後の時まで素直に貴方からの愛を求められなかった。だからわたくしは最初から貪欲に貴方の愛を求めます」


お互いにかみ合わなかった歯車を組みなおす過程すら間違えていたのだからあれは当然の結果だった。

意固地になって肝心なことを隠したままで彼女はどんどん下手を打ち続けた。

その間にも何度もやり直す機会はあったはずだった。

一言、たった一度でいいから最初の言葉を悔いていることを、そして公私ともに支え合う存在になりたいと素直に口にしていればもしくは彼の愛を勝ち取れたかもしれないのに、彼女は最後まで頑なにそれを口にしなかった。

もはや彼女にとってそれが最後の矜持だったのかもしれないけれど、それで敗れては本末転倒といえよう。

それを知っているからこそジョゼフィーヌは同じ轍を踏むことのないように口にする。


「わたくしを愛してくださいませ。あなたが分け与えられるだけの愛でわたくしを満たしてくださいませ」

「つまり私にも国よりも愛に比重を置けと?」

「まさか!お仕事はちゃんとしてもらわないと困ります!」


王太子である彼にはやらなければならない公務がたくさんある。

しかも決められたものだけではなく、その日その日に起きた問題も常に彼の下に回ってくるのだ。

一日中執務机にかじりついていることもざらにあり、ゆえに前王太子妃はさらなる欲求不満を募らせていたのだ。

もっとも、本来ならば常にその仕事のいくらかを肩代わりをすることになる王太子妃が、自らを良く見せようと民のためと他の事業へと手を出しまくっていたために王太子への負担が嵩んだことも否めない。

それゆえに王太子の直属の部下たちからは前王太子妃はよく思われておらず、そこからあらぬ噂が多々流れていたことを少なくない数の人が知っていた。

やることなすこと全て裏目に出ていたという点では同情してしまう。


「だがそうなると、あまり君との時間は取れない」

「わたくしから会いに行きますわ」


いまだ学園へと通っているジョゼフィーヌに仕事を任せるわけにもいかないと卒業までの間はそれら全てをミゲルがこなすことになるだろう。

ほうぼうへと回すこともできるが、それでも今までよりもその仕事量が増えることは目に見えていて、彼女の言うように一人の女性を満たすほど愛することは難しいことだった。

そう思ってのミゲルの言葉に答えたジョゼフィーヌのそれはきっと淑女らしからぬ行動だろう。

それがバレた日にはきっと祖母からきついお仕置きがあるほどには。

男を立てよ、夫の言葉に従順であれ、貞淑であれ、自ら行動を起こすなどはしたない、それが淑女というものだとジョゼフィーヌが物心ついた時から教えられてきた代々からの教えだった。

だいたい同じようなことを貴族の令嬢は幼いころから教えられる。

そしてそれを重々承知しているミゲルは訝し気に目を細めた。

けれどジョゼフィーヌはそれに臆することなく彼の目を見つめ返す。

そのまっすぐで理知的でいて、夢見るような目はミゲルが公務を請け負うずいぶんと前に、幼い弟と一緒に遊んでいたときの幼女の時から変わることのないものだった。


「会いたくなったらわたくしから会いに行きますわ。だから会いに行ったときに執務室から追い出さないでくださいませね?」

「……知っての通り、どのように愛していいのか知らないよ」

「わたくしの愛しているという言葉に同じように返してなんて言いませんわ。ただ、わたくしの愛の言葉を疑わないで」


愛した分だけ同じ愛を返してもらえるというのはどれほど幸せなことだろうか。

しかしジョゼフィーヌはまだそれを求めようとは思っていなかった。

一応彼は今、妻を亡くしたばかりの傷心の身。

少しばかり意味合いは変わってくるが弱っていることには変わりなく、そこに付け入ることは容易くともそれが最良だとは思えなかった。


「エメリーカーラ様のように政務をこなすことは今のわたくしにはまだ難しいことでしょう。きっとその分あなたに負担がかかります。だからこそわたくしは、貴方に尽くしたいと思うのです。それがきっとこの国のためになると思うから。あなたのためになすことはこの国のためになることだというのがわたくしの考え方なのです」


こと女性のうそぶく愛について、彼は極端なほどに忌避を示す。

現にそうはっきりと告げればミゲルは驚いたように目を見開き、そうしてすぐにその顔はくしゃりと歪められ唇が僅かにわなないた。

声にはならなかったけれど、その当惑したような顔にジョゼフィーヌはくすりと笑みをこぼした。


「というのが建前で。本当のことを言うと、わたくし、ずっと待ってましたの。あなたの隣の席が空くのを」

「え?」

「つまるところわたくしが、ただあなたの傍にいたいだけですわ」


ミゲルは知らないだろうけれども、ジョゼフィーヌはずっとそれを望んでいたのだ。

4歳の時、ミゲルに初めて会った時に恋をした。

初めましてと微笑んで細められたアイスブルーの瞳と流れるような金の髪を持った自分よりも随分と年上の彼は絵本から抜け出してきた王子様ようで、ジョゼフィーヌはすぐに夢中になったのだ。

父と母のように、もしくは当時大好きだった絵本の王子様とお姫様のように、この人と愛し合えたらどんなに幸せなことだろうと夢見た。

とんだませた子供だったと思う。

その数年のうちにはミゲルは婚約して結婚してしまうのだけれど、それでも胸の内に燻り続ける恋心をジョゼフィーヌは無理に捨てたりなんてしなかった。

諦めが悪いともいうが、エメリーカーラとの間に子供ができなかったことも大きい。

あまりに長い間子宝に恵まれなければ、後継を作らなければならない王太子には側室が宛てがわれる。

その座に入れるかもしれないというほんの少しの期待もあったのだ。

だからこそジョゼフィーヌはアンドリューを隠れ蓑にこの年まで婚約者を持たなかった。

思ってもみないことに正室へと食い込むことができたのは、ジョゼフィーヌにとっては願ったり叶ったりな出来事なのだ。

12年来の想いを見くびってもらっては困る。

ずっと見守ってきたジョゼフィーヌを簡単にあしらえるだなんて思ってもらっては困るのだ。


「初めから愛してくださいとは言いません。殿下がわたくしのことを妹と思っていることは存じております。だから最初は大切な家族というのでもいい。けれど、いつかできることならばわたくしのことを伴侶としてくださいませ」


エメリーカーラの立場を手にしてから心を得るという方針は本当に間違っていなかったのだ。

彼女が間違えたのはそれからの過程であり、最初の一手だった。

公務を熟す王太子(公の場)であればそれでよかったろうけれど、ミゲルという人間相手(プライベート)ではそれではいけなかった。

例え傍から見ていいと思えぬやり方であっても、彼には初めからそれを示さなければならなかったのだ。


今は公務の手前それほど見受けられないが、彼はどうしたいのかを聞かなければ相手の望みを汲みとれない子供だった。

幼い弟の癇癪にそれならそう言ってよと真面目に返すような、そんな子だったのだ。

年を重ねるにつれて公の場での考え方を身に着けはしたが、プライベートでのその本質は変わっていない。

それを確実に理解していなければ、彼の公私ともに手にすることは難しいだろう。


「わたくしを、あなたの妻にしていただけますか?」

「……善処しよう」


深い溜息と共に返された言い切れない是の言葉に、ジョゼフィーヌは嬉しそうに笑った。

どうせここでジョゼフィーヌが改めて求めて彼が認めなくとも、彼女が次の王太子妃となることは貴族院の中ではほぼ決定している。

だというのに先ほどミゲルが突き放すようなことを言ったのは、彼女が最有力候補であることを一番懸念していたのが彼だったからだ。

ただ高貴な生まれというだけで、そして相応しい資質を持つというだけで、まだ16歳と若い彼女を自分のような年の離れた男やもめに縛り付けるのを彼は嫌がった。

自分の不始末で可愛い妹を犠牲にすることに彼は罪悪感にかられたのだ。

実際は彼女が嬉々として受け入れていることを告げられてその懸念も無駄なこととなってしまったけれど。

コロコロと笑う少女にミゲルはそれまでの気苦労も毒気も抜けて柔らかなソファに背を預けた。

それに付き添うように彼へ体を向けながらもソファに凭れたジョゼフィーヌに一つ苦笑を漏らすと頬にかかる髪を払った。


「今更だけど、君は随分と令嬢らしくないみたいだね」

「ふふっ。幼馴染が破天荒なもので、普通の令嬢とは違う育ち方をしましたの」

「ああ……それは、なんというか……弟がすまないね」

「わたくしはそれほど嫌ってはおりませんわ。見ていて面白いですしね」

「確かにな」


ミゲルの年の離れた同腹の弟、そしてジョゼフィーヌの同い年の幼馴染は王族とは思えないほどに自由な人だった。

貴賤の垣根なく接することを望み、その通りに過ごすような彼と共に育ったジョゼフィーヌは自分も少々普通の令嬢とはずれていることを自覚している。

そんな彼女だからこそ、国王夫妻と彼女の両親は次の王太子妃として彼女を推したのだろう。

ジョゼフィーヌであれば模範通りでいて実は難解な王太子を理解し、生涯付き従うことができるのではないかと期待をして。

ただ型通りの令嬢ではだめなのだと、国王たちもエメリーカーラから学んだようだった。

そんな大人の目論見を聞き、幼いころから彼女の野望を知って隠れ蓑にもなっていたアンドリューは、その執念に兄を哀れに思うと言いつつもおめでとうと彼女を祝っていた。

彼も彼なりに、兄を幸せにできるのはジョゼフィーヌくらいしかいないだろうと思っていたらしい。


次は俺の番だと意気込んでいた彼を思い出して笑うジョゼフィーヌの触れたままだった手をミゲルはするりと持ち上げる。

そして指先に一つ落とした唇にはいまだ親愛以上の感情は見受けられない。

今はそれでいい。

善処すると言ってくれたのならば、彼はその方向に目を向けてくれるだろう。

ジョゼフィーヌの思惑通りになるか、最期まで親愛で終わるかどうかは彼女次第ではあるが、少なくともエメリーカーラよりは勝算のある戦いだと彼女自身思っている。


とりあえず今は彼を正々堂々と愛す権利を手に入れたのだから、それでよしとする。

これからの彼の変化に期待を込めて、ジョゼフィーヌはずいと身を乗り出して彼の頬へとキスを贈った。

そのやはり淑女らしからぬ行為に目を見張ったミゲルがそれでもはにかむように笑ったのを見て、彼女は遠くない未来に自身の望みが叶うことを確信したのだった。






お読みくださりありがとうございました。

「静かに勉強がしたい」ではアンドリューに「あきらめの悪い男は嫌われる」とか言っておきながら、自分は虎視眈々と狙ってた執念深い女でした。

12歳差設定なので、ミゲルが28歳、ジョゼフィーヌが16歳です。

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