第五話 お嬢様、発車のお時間でございます その2
窓から差し込む日差しが徐々に下がり始め、日は完全に暮れて行きました。
ですが列車の走る音は変わりません。
同じリズムを繰り返し、向かうべき駅を目指してひたすら進んでいきます。
家から持ってきた礼節の本を始め、帝都のガイドブックをようやく半分読み終えた頃、ドアがノックされた。
「お嬢様、お夕食の準備が整いました。食堂車へいらしてください」
「わかりました」
フレデリカの後について食堂車へと向かいます。
夕食の時間ということもあり、多くの人が食事を楽しんでいます。
食堂車ということでやや広い車両ではありましたが、席自体はかなり少なめです。
私はフレデリカの案内で指定された席へと向かう。
そこでは食堂車の片隅でお父様はワインを手にしていました。
「来たか、セルリア」
「ええ、それにしても……もうお酒ですか」
「固いことを言うな、旅は始まったばかりなのだからな」
「ささ、お席へどうぞ。今日は海の物をご用意いたしましたよ」
やや私の批判めいた言葉を受け流される。
少し呆れた顔をしながら席に着くと、さっそく目の前にお皿が置かれる。
今日はタラのソテーですね。オリーブオイルで焼いたのか、匂いが漂ってきます。
ソースはオーロラソースです。添え物はブロッコリーとトマト。
小さく切り分け、口の中に入れてみる。あっ……。
「……美味しいです。普段の物とはまた違った感じがします」
不思議とこんな言葉が出てくる。
同じものは日々、口にしていましたがここまで美味しいは思いませんでした。
普段使っているタラとは恐らく同じものでしょう。
しかし、今回は鮮度より熟成されたもののように感じます。
ハーブや胡椒で入念に臭み取りをしたおかげもあり、生臭さはありません。
これはシェフの知識と技術のおかげかもしれませんね。
「ええ、今回は少々手が込んだ料理が出てきますのでご期待ください」
「ふふっ、それでは期待をしておくことにします」
フレデリカの言葉に私も思わず笑みがこぼれる。
窓から落ち行く夕陽を浴びながら食事を続ける。
タラのソテーは噛むたびに深い味わいがもたらされる。
それに合わせたかのように酸味が効いたオーロラソースが決して飽きさせない。
添えられたブロッコリーとトマトも食し、ナプキンで口元をぬぐう。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「私はもう少しここで飲んでいく。セルリア、また後でな」
「はい」
食事を終えると席を立つ。お父様はそのまま晩酌へ、ということですね。
片づけをしているフレデリカを後目にし、食堂車から出る。
静かな通路を進んでいくと何やら言い争う声が……。
「これだからあなたという人は!」
「何だと!」
暗い廊下の影で何やら喧嘩をなさっているようですね。
ここは仲裁へ――。
「もう勝手にしなさい!」
「ああ、そうさせてもらう!」
……行ってしまいました。何やら立て込んだ話をしているようです。
あずかり知らぬ事情が何やらあるようです。
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朝、普段ならまだ眠っていたいと思うのに、不思議と目が覚めてしまいました。
車窓から昇る朝日は普段の光景とは全く違っています。
山の向こう側から上る太陽と青い空。光を浴びる緑の森。
列車の中だというのに動物の声も聞こえてきます。
流れる景色を見ながらベッドから立ち上がる。
着替えを終えるとちょうど部屋の扉が開いた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはようございます。ところでフレデリカ、それは?」
フレデリカの手には何やらシャンプーを始めとする小道具が。
「これはお風呂用品です」
「お風呂用品、ですか?」
「もうすぐ駅へ着きますので」
「駅へ? それとお風呂道具の関係性が見えてこないのですが……」
「簡単な話です。駅に浴場を作っていただきました」
「まあ駅に?」
「ええ、身を清める機会はほとんどありませんゆえ」
「そうなのですか?」
「ええ。では、ご準備を」
駅に着くと汽車が静かに停車をする。止まるのを確認すると扉が開きます。
すぐさま下車をして、駅のホームに降り立つと奥の方に小さなシャワーがありました。
脱衣場とシャワールームの簡素な建物ですが、ちゃんと外からは見えないように木の衝立が張られてますね。
長い旅なので身綺麗にはしておきたいというのが本音です。
脱衣場に入ると手早く衣服を脱ぎ去り、暖かなシャワーを浴びる。
シャワーのお湯は独特の香りがしました。
……温泉水を使ってるのでしょうか?
「……ふぅ」
朝早い時間というのもありますが、体を温めるのにはちょうどいいですね。
髪の毛を始め、一通り体を洗うと残った雫をタオルでふき取る。
脱場に戻るとフレデリカが背中や足にオイルを塗る。
髪の毛が痛まないように、手から温風を放って髪の毛を乾かし、ヘアオイルを塗る。
さすがにこの辺りは魔法を使っているのですね。
簡素ではありますが、こういう部分が手入れをするということなのでしょうね。
「これからは駅でしかこういったことが出来ないのですね」
「その通りです。ですので、できるだけ運動はお控えください」
「わかりました」
髪の毛を梳かしながらフレデリカが忠告をしてくる。
確かに病み上がりというのもありますし、ここはフレデリカの言葉に従いましょう。
それよりも……。
「ここはどこなのでしょうか?」
「ここは山岳の町“ルクシオール”です」
シャワールームから出ると駅のホームから景色を見渡す。
遠くには青々とした山々が見えました。山は岩肌を覗かせつつも所々に緑が見えます。
風が吹くとやや冷たい。標高が高いというのもありますが少し肌寒いぐらいですね。
しかし今は涼しい風が少々火照った体に気持ちいいです。
「そうですか、ここまでレールを引くのはとても大変でしたでしょうね」
「この山を越えてさらに進めば荒野の町へと到着します」
「そうですか」
出発を知らせる警笛が聞こえてきた。
もうすぐ発射の時間ですね。
「さあ、車にお戻りください」
「そうですね」
再び車に乗ると同時に汽車が走り出した。
綺麗な町が徐々に遠さがっていく。
のどかな農道を見やると農夫の方々が仕事をし始めていました。
お互いにあいさつをしながら、今日の仕事に精を出すのでしょう。
そんな光景を見ているとドアがノックされました。
「朝食をお持ちいたしました」
カートの上に朝食が乗ってました。今日はサンドイッチのようです。
中身はハムときゅうり。ツナとレタス。そして玉子。
カップに注がれた紅茶を手に車窓を眺める。普段との違いが旅の醍醐味ですね。
はしたないと思いつつも、穏やかな田畑の光景を見ながらサンドイッチを頬張る。
そして農道の光景が遠くに離れると、今度は連なる山々の姿見えました。
山肌は黒と白の岩肌を見せてきます。
マーブルケーキのような美しい断層がどこまでも続いておりました。
そして岩肌が途切れると、霊峰と呼ぶのにふさわしい山が目の前に広がっていた。
「あれは……?」
「帝国の屋根、もしくは栄光の頂と呼ばれる帝国で一番の山です」
栄光の頂。それはアラウンダー一世が神の啓示を受けた場所と言われている山。
かつて人々の心が荒み、国は荒れ果て、戦争と腐敗が世を支配していた時代。
そんな時代にアラウンダー一世が世を統べるために山へと登った、という話です。
そこで得た啓示に従い、アラウンダー一世は国と統治し、今の帝国をお造りになったそうです。
私はじっくりと山を見てみる。
栄光の頂はあまりに高過ぎて、頭頂部は完全に雲に隠れています。
しかし流れる雲の隙間から、ときどき零れるかのように陽の光が差し込みます。
まるでここは選ばれた者のみが入れると告げるかのように、全貌は見せてはくれない。
私にはそれがとても神秘的に見えました。
「さすがに登るのは無理ですが、それでも雄大な景色を見たい方は多いです」
「それでもここから見える景色も良い物ですね」
霊峰を背に汽車は下り坂のトンネルへと入っていった。
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長いトンネルを抜けると大きな湖が見えました。
広い森の奥の方にある大きな湖は、空の青を映しつつ、太陽の光を浴びてキラキラと輝いてます。
「まあ、今度は湖ですね」
「月河の湖です、お嬢様」
月河の湖。帝国北部から流れる月河から流れる水がこの湖の水源です。
雪解け水が大事を通して流れる綺麗な水はこの地にとって貴重な水源なのでしょう。
よく見ると湖岸では釣りをする方々が見えました。
夏が近いせいもあり、日光浴をする人も見えます。
森の奥にあるため、避暑地としてはとてもいい立地なのでしょう。
「綺麗ですね」
「ええ、伝説が本当だという話も納得できます」
この湖の上で眩い月光を浴びると自らの姿を変えられるという伝説があります。
かつて一人の人魚が、この川に宿る精霊に人間になることを祈願し、人間になったという話でした。
簡単に言えばこの世界の人魚姫のお話ですね。
「では、用がございましたらお呼びください」
「わかりました。ご苦労様です」
頭を下げるフレデリカにねぎらいの言葉をかけるとドアが閉められた。
さて昼食まで時間があります。私も勉強をしなくては。
その前に、と思い立って窓を開けてみる。優しい風が窓から流れ込む。
窓からテーブルへと視線を移し、手短な本に手を伸ばすと読書をし始めた。
車窓から聞こえてくるのは汽車が動く音と時折混じる風の音のみ。
優しい風を頬に受けながら、ふしぎと本の中身に熱中することが出来た。
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「ううぅん……」
本をテーブルに置くと大きく伸びをする。
長い時間座り続けたので身体が固まりました……。
窓を見やると夕暮れにはまだ遠いですが日が傾きつつあります。
西日がややきついのですが……それもまた一向かもしれません。
一息を入れようと、椅子から立ちあがり、廊下へと出る。
するとフレデリカが窓の外を眺めながら休んでおりました。
「休憩ですか?」
「お、お嬢様」
私が声をかけるとフレデリカは少し戸惑ったかのような声を上げます。
「かまいませんよ、休んでて」
「助かります」
私はそのままフレデリカの隣に座ってみる。
フレデリカの席の窓は小さく、外の景色を全て見れるほどのものではありません。
それでもそこから見える景色はフレデリカの心を癒してくれるのでしょう。
窓の外ではちょうど町に差し掛かったようです。
あら? 人々が何かを食べていますね。
「フレデリカ、あれは何でしょうか?」
「あれはキューブカステラです。せっかくですのでお茶のおともにいががですか?」
「まあ、それでは頂きましょうか」
「では、準備をしてきます。お嬢様はお部屋でお待ちください」
そう言って私に背を向けました。
食堂車ならそういうものもある、ということなのでしょう。
仕方がないので部屋の中で待ちます。
それにしてもキューブカステラとはいったいどんなものなのでしょうか?
数分後、部屋の扉がノックされます。
「開いてますよ」
「失礼します」
箱型の小さなカステラでした。大きさは小さな小箱を思わせるようなサイズ。
茶色と黄色のコントラスト。それが湯気とともに甘い香りを漂わせています。
おやつにはちょうど良さそうです。屋敷にいた頃は間食をあまりしませんでしたし。
「どうぞ、キューブカステラです」
「ありがとう、フレデリカ」
さっそく食べてみるのですが……少し物足りないですね。
感覚としては砂糖が入ってないパンケーキのような……。
柔らかいのですが……しっとりしてないので少々飲み込み辛い……。
もう少し甘みを強くして欲しいのですが……。
私は我儘と言われるのを覚悟のうえで、フレデリカに頼みごとをする。
「あの、フレデリカ、クリームか何か持ってきて欲しいのですが……」
「はっ、お待ちください」
再び食堂車へ向かうフレデリカ。慌ただしい足音をさせた後。
小さな小瓶を持って帰ってきました。
「もうしわけありません、蜂蜜しかないようです」
「それで結構です」
琥珀色の蜂蜜をキューブカステラにかけてみる。
フワフワとしたスポンジが甘い蜂蜜を吸い取る。
口の中に入れてみるとしっとりとした口当たりとなり、私が知ってるカステラの味がしました。
これなら十分合格点を上げることが出来ます。
「……ありがとう、フレデリカ」
「いえ」
私はキューブカステラを思う存分堪能した。
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二つ目の駅を抜けると。どこまでも広い草原が広がっています。
夕陽と雲と青空と草原。赤と白と青と緑。
風景画を描く画家ならば描いてみたくなる光景でした。
風が吹くと緑の波が優しくたなびく。誰もいない草原はとても寂しく見えます。
「バルトゥス平原です」
「かつてここで雌雄を決したというわけですね」
「ええ」
雌雄を決した。というのは帝国と反帝国組織との戦いのことを指します。
長い戦乱で荒れ果てた国をどちらかが手にする。大河ドラマでも良くありますね。
日本で言えば関ヶ原の戦いと言ったところでしょうか?
激しい戦いがあったというのに、この草原は血の匂いも不幸な歴史も何一つ感じさせません。
全ては過去のこと、そう言わんばかりに風だけが通り抜けて行った。
不思議と席を立つ私。
「どちらへ?」
「たまには気晴らしにホール車へ行ってみようと思います」
「かしこまりました。ではその間にお部屋の掃除をしておきます」
「お願いしますね、フレデリカ」
「はっ」
何か目的があったわけではない。それでも私はホール車へ向かう。
長い旅で退屈しないようにホール車では催し物をやっています。
中には乗客の飛び入り参加もさせる催し物もあるそうです。
……流石に手品などは私にはできませんけど……。
ホール車の扉を開くと催し物が終わっており、中には誰もいませんでした。
静かですね。乗客の方々はみんなお昼寝でもしてるのでしょうか?
夕陽が差し込むホール車はどことなく寂しさと切なさを感じます。
私はピアノを見つけるとそのまま座ってみる。
ピアノは手入れをされているようで綺麗なままでした。
鍵盤に触れると、指が勝手に動いた。私の気分に合わせたかのように指が動く。
弾き始めた曲は『ショパンの別れ』。この世界には存在しない曲。
でも不思議と気持ちが落ち着く。広い草原で私は今、一人でこの曲を弾いている。
……すみません、ちょっと自分に酔い過ぎました。でも……これくらいはいいですよね?
弾き終えると同時に拍手が聞こえてきました。
拍手をしてるのは一人の男性でした。
「素晴らしい曲ですな」
「ありがとうございます」
「見たところ良家のお嬢様とお見受けしましたが?」
「え、ええ、まぁ」
いったい何者なのでしょう? この方は?
……それにこの声、どこかで聞いたことがあるような……。
「失礼ですが、この曲を弾いて下さりますか? お願いします」
「え、ええ、その程度でしたら……」
数枚の楽譜を差し出されると手に取って眺めてみる。
楽譜自体はそう難しい物ではないですね。
でもこれは……このピアノで弾く曲ではなさそうですね。
曲調が少々騒がしい感じです。それでも、とさっそく弾いてみる。
やはり……何かが違います。音の出し方でしょうか?
そして弾き終えて男性の方へ向きます。
「いかがでしょうか?」
「素晴らしい! 実に良いピアノ教師に恵まれたようですな」
「ありがとうございます」
「そんなあなたにお願いが!」
「ええ!?」
男性は私の手を取ると跪いてお願いしてきたのでした。




