二話 初めての異世界 その2
「うっ……くっ……」
気分が悪い。身体がまるでお好み焼き生地になったかのような感覚。
子供の頃に思いっきり身体を回転させて目を回したことがあったけど、それに上下の回転を加えたかのような浮遊感。
とにかく身体の自由が利かない。いったい何があったんだ?
「くっ……がっ……ああ!」
身体の節々から痺れを感じる。だが動かしているうちに徐々に力が入るようになった。
そして目を開けるとそこは薄暗い洞窟の中だった。
天井である大きな岩の裂け目から小さな木漏れ日が“俺”の顔を照らしている。
遠くから鳥の鳴き声と水の流れる音が聞こえてきた。
「ここは……」
いつもの部屋じゃない。普段使っている布団も飲みかけのペットボトルも見当たらない。
身体を起こして頭に手を当てる。何だ、この柔らかい感触は……。
思わず手を見てみる。小さな手だった。明らかに自分の物じゃない。
指も細いし、色もかなり白い。大きさなんてみかんを一個つかめるかどうかと言った感じだ。
いったい誰の手だ? それにさっきの甲高い声。あれはいったい誰の声だ?
「……まさか!?」
本当に魔王と契約したってことか!?
確かめようとすぐさま身体をまさぐってみる。指先から伝わる滑らかな感触に俺は少し酔いしれた。
身体を起こして近くの水辺へと歩いていく。
清らかな水面に移ったのはブサイクな自分の顔ではなく、可愛らしい美少女の顔だった。
「……これが……俺かよ」
思わず自分の姿に見惚れ、生唾を飲み込む。
姿を変えたいと言ったがこうも変わるとは……。
「くっ……くっくっくっ……」
今度は笑みがこぼれてきた。これだ、これこそ俺が望み!
……いや、俺だと少し乱暴すぎるな……。女の子なんだから“あたし”でいいな、うん。
そんなとき、電子音が頭の中で響いた。
【始めまして、魔王様】
「だ、だれ!?」
【私は貴方の望み、魔王の力の使い方をナビゲートするものです】
「ナビゲート? ってことはこれはチュートリアルってことでいいのかしら?」
【その認識は間違っていません】
完全になりきってしまった……。いや、この姿ではこれで良いんだ、うん。
でも独特の違和感がというか、気持ち悪さが沸いてくる。
でもこの姿だし慣れてないだけだな、と自分に言い聞かせた。
しかし相手方ことナビゲーターはそれを無視するかのように淡々と言葉を続ける。
【では早速ご命令をどうぞ】
「まずは服! そして情報!」
【かしこまりました】
そう言って目の前に現れたのは可愛いピンクの下着とセーラー服一式だった。
これも俺……もといあたしがイメージした通りの可愛い服。
体格的にも丁度良い大きさだ。仕立てたばかりなのかちょっと良い匂いがする。
【所望のものを用意いたしました】
「ありがとう」
早速、袖を通してみる。
えっと、これがこうなって……いや、違うな――。
モチャモチャしながらセーラー服を着ていく。
「……これでよしっと」
一通り着替え終わると早速、近くの水辺に自分の姿を映してみる。
しかしセーラー服の着方が悪いせいかかなりヨレヨレだった。
スカーフなんて完全にずれてるし……。襟の部分もなんか偏ってる。
「うぐぐぐぐぐ……ああ、もう! どうしろっていうのよ!?」
【セーラー服の着方をナビゲートします】
ナビゲーターがそういうと目の前に大きな画面が現れた。
”正しいセーラー服の着方講座”と目立つタイトルまで付いている。
これを参考にしろって事か……。仕方無しと諦め、映し出されている通りに着なおしてみる。
スカーフの巻き方、襟元の正し方、スカートの位置まできちんと教えてもらう。
そして水面に映る自分を見てみる。今度は先ほどとは違い決まっている。
調子に乗って軽くターンを決めて一言。
「うん、完璧!」
【続きましてこの世界の情報を表示いたします】
表示された情報を見ながらあたしはこの世界の情報を学習する。
言語から始まり、算数に近辺の地理と基本的なことを一通り頭の奥へと染み込ませていった。
何の苦労もすることなく頭に入っていくのはなんとなく快楽に近い。
「ありがとう、助かったわ」
一通りのことが終わり、あたしはナビにお礼の言葉をいう。
だがビは何も返してはくれなかった。こういうところは無機質なのね……。
落胆をしつつも早速、洞窟から出るとしましょうか。と完全に女の子になりきる“あたし”。
薄暗い洞窟の中をゆっくりとした足取りで周囲を警戒する。
この手の洞窟にはなんかいると思っていたが周りには何もなかった。
静かな水の音と緑のコケだけが存在している。
不気味な静寂の中、まばゆい光が差し込む方へと一歩一歩進んで行くあたし。
そして静かで薄暗い洞窟を抜けるとそこには――。
「すごい……」
目の前に広がる光景にあたしは思わず息を呑んだ。
綺麗な青い空、視界全体に広がる草原の緑。そしてどこまでも続いてそうな地平線。
暖かな太陽。さわさわという風の音と共に、遠くから花の香りが漂ってくる。
空を飛ぶ無数の鳥たちの鳴き声はまるで門出を祝ってくれているようだった。
「ここが異世界……」
何も言えなかった。凄いとか美しいとかそういう思いは湧き上ってくるくせに、それらを言葉にすると陳腐になってしまう。
ただ言えることは見たことのない綺麗な風景に思わず涙がこぼれた。
ここでやり直すんだ……。あたしの人生を……。
吹き抜ける風を浴びながらあたしは自分が生きていることを再確認する。
っと、ボーっとしてる場合じゃないか。
顔を軽く叩いて気合を入れると街に向かって歩き出した。
さっき地理を頭の中に叩き込んだおかげでどこに町があるかは知っている。
……それにしてもこうやってゆっくり歩くのって本当に久しぶりだわ。
普段は学生とか警官に気をつけながら歩いてたもの。全く、あの手の人間はすぐ偏見の目で見てくるんだから……困ったもんだわ。
少し強い風が吹いた。思わず頭に手を当てて乱れるのを防ぐが髪は風に乗りしなやかになびく。
それと同時に花びらが舞い、今の季節、春を教えてくれた。
見渡す限りの風景を楽しみつつ、歩みを進めていく。
「うん?」
そんな中、何か変な音が聞こえてきた。これは……犬の鳴き声?
音の場所を特定しようと辺りを見渡すとそこにはうなり声を上げた犬がいた。
はっきり言ってかなり大きめ、しかもかなりいかつい。
「え? え?」
呆気に取られるあたし。そういえば地理の情報から言えばこの辺りには野犬が出没すらしいけど……。
一方、犬の方はようやく獲物にあえたといわんばかりに涎を垂らしている。
まさか……。
「ぐあああああああああああ!」
「きゃぁぁ!」
犬がうなり声を上げてあたしに飛び掛ってきた!
思わず身体を伏せて避ける。そのまま大きく飛び越えると綺麗にターンをして着地した。
すぐさまナビに問いかける。
「ど、どうしたらいいのよ!?」
【現時点で最も有効な手段は倒してしまうことです】
戸惑うあたしにナビゲーターがすぐさま解決策を授けてくる。
しかし……。あたしとあの犬とのサイズ差は余りにも大きい。
倒すというには無手では厳しい……というか無理!
「倒すったって……とにかく、武器を頂戴!」
【了解しました、適切な武器を作成します】
そういって突如、胸元に何かが落ちてくる。何かの正体は銃だった。
白と黒がとても印象的で大きさも手ごろで手元にしっくり来る。
それにあんまり重くない。子供でも十分に振り回すだけのことは出来そう。
「これは!?」
【魔銃です、それで迎撃を推奨します】
すぐさまあたしは野良犬に向かって銃を構え、トリガーを引いてみる。
だが……。
「あら?」
気の抜けた軽い感触が指から伝わる。弾丸がまったく出ないのだ。
その様子を見て再び野良犬があたしに襲い掛かってくる。
まずい! すぐさま身を屈めると野良犬は勢いのあまり、そのまま木へと衝突をした。
その隙に全速力でダッシュをする。
「ねえ、銃弾が入ってないんだけど!?」
【魔銃は魔力を弾丸とします。銃に魔力を込めればそれが弾丸となります】
「いや、魔力を込めろって言われても無理よ! 通常の弾は!?」
【使用可能です】
「なら作って!」
【かしこまりました、弾丸の作成を開始します】
野良犬はすぐさまこちらを追いかけてきた。はっきりいってかなり素早い!
逃げようとするあたしに先回りをして襲ってくる。俊敏さも筋力もあたしとは段違い。
あっという間に回り込むとそのまま飛び掛って来た。
「ひゃあああああああ!」
振り払うことも出来ず、あっさりとその場に押し倒されてしまう。
身体が小さいっていうのも差し引いても抵抗が全く出来ない。体重も大きく差があるらしい。
犬の爪が服をを引き裂こうと力が込められる。まずい! 何とかしなくちゃ!
そう思った瞬間、掌に冷たい金属の感触が伝わってきた。
【銃弾を作成しました】
「OK! 使わせてもらうわよ!」
若干自由な足を使って野犬の股間を思い切り蹴り飛ばす。野犬は吐くかのような低い呻き声を上げた。
その隙に銃弾を装填し、銃口を身もだえしてる野犬に向けた。
再び引き金を引くと今度は重い反動とともに火薬の匂いが広がる。
野犬は声を上げることも無くあっさりとその場に横たわった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
びっくりしたぁ……。突然のことにまだ頭の中が混乱している。
一度死んでるくせに心臓が今でもドキドキしている。
肩でしていた呼吸が収まり、落ち着きを取り戻す。
そしてこれまでのことを考えてみた。
「それにしても銃はすぐ出てきたのに弾丸はすぐに出てこなかったわね……」
【警告、当システムは貴方の心理状態に左右されます。心理状態が不安定の場合、力の行使に若干のラグが発生する場合があります。その為、常に余裕を持った行動を推奨させていただきます。】
「なるほどね……」
確かにさっきは焦りを感じていた。この力を使うには余裕を持った行動を義務付けられるわね。
意識外のことをされたらこのシステムでも対処が出来ない場合もあるってことだ。
もっと慎重にした方がいいんでしょうねぇ……。
深いため息とともに自分の体を見てみる。さっきの野良犬との戦いであたしの服は砂だらけだった。
スカーフや髪なんて砂が付いたせいでザラザラしてて気持ち悪い。
「あー もう! 何でこんな目に!」
【オートクリーニングを行います】
叫びとともに光が放たれると服はあっという間に綺麗になった。
うわ、こういうことも出来るのね……。魔王の力……思った以上に凄い力なのかもしれない。
よくよく考えて見たらあたしの持ち物は全て魔王の力で作ったものだ。
神に反する力というのをなんとなく実感する。
無から何かを生み出すなんて本来ならそんなこと出来ないんだから。
それに魔王の力というのもなんとなく味気が無い。なんというか実にシステマチックだ。
「ねえ、この力には何か名前とかあるの」
【名称はありません、暴発を防ぐため呼び出しコールを設定しますか?】
呼び出しコールを設定か……力に名前を付ける意味もあるわけね。
魔王の力……ただデーモンキング……いやそれだと何か……そのまんますぎる……。
そういえば王様よりも皇帝の方が偉いしかっこいいわよねぇ……。そうだ!
「決まったわ。呼び出しコールはデモン・エンペラー。とするわ」
【了解しました、以降を持ちまして当システムをDEシステムといたします。呼びだす場合はDE起動と申し付けてください】
「分かったわ」
【それでは……】
あたしの要望に応えてくれたのか今度はお礼を言って去った。
どうやらシステムもバージョンアップするみたいね。覚えておこう……っと。
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そんなこんなで近くの町に着いた。人が集まるところについて少し安心する。
それにしてもここが異世界の町か……。キョロキョロとものめずらしそうに周囲を見渡してみる。
異世界の街らしく色んな人がいる。
普通の人間、エルフ、ドワーフ、獣人、リザードマンに角の生えた人。あっ、あの人三つ目!
とにかくにぎやかな町にあたしの心が少し躍っていた。
さっそくと色々歩き回って見る。北に南と町を見物するあたし。
そんな中、案の定、お腹の虫がなった。
「この手の町にはやっぱお金が必要なんでしょうね」
ただで物をくれる人間なんていないことはあたしでも知っている。
かといって無一文は辛い。どうしたものかしら?
DEでお金を出せばいいんだけど……。
それだとあたしの良心みたいなものが待ったをかける。
この力は便利だけど何が起こるか分からないという不安も少しあった。
それにいきなりお金持ちなんておかしいわよねぇ……。
使うべきか使わざるべきか。そんなことを悩みながら目の前のりんごとにらめっこをする。
「親父、りんご二つな」
「へい」
うなり声をあげているあたしの頭に重い物が乗っかった。
「ナニ!?」
正体を確かめようと頭に手を伸ばすとそこには先ほど欲しがっていたりんごだった。
先ほどの人が分けてくれたらしい。
「ほれ、そんなに悩んでたらりんごが腐っちまうだろ。おチビさん」
そこには笑みを浮かべた女戦士?がいた。
浅黒い肌に綺麗に割れた腹筋。女というには大き過ぎる身長にそれと同じくらいの斧を背負っている。
あたしとはあまりにも大違い過ぎた。
「腹が空いてるのならくれてやるよ」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして、ってか?」
思わず俯いてしまうあたしに対し、女戦士は太陽のような笑顔を浮かべる。
人から施しを貰うなんて!
という思いとは裏腹に正直言ってあんまりキライじゃなかった。
多分あのサバサバした笑顔にやられたのかもしれない。
「じゃあな。今度はおふくろさんと一緒に来ることだな。ははは!」
あたしは笑いながら去っていく女戦士のの背中をただ茫然を見送るだけだった。
そんなあたしに亭主が声をかけてきた。
「はは、お嬢ちゃん良かったな。りんごを奢ってもらってよ」
「うん……ところであの人は誰なの?」
「ああ、あれか。あれは確か……暴牛のエメラルダだな。巷で有名な冒険者さ」
「冒険者……」
「そうだよ、北に魔物がいればそれを倒し、南に宝があればそれを探し持って帰る。まあ夢のある職業さ」
「そうなんだ……」
「だが冒険者になりたいんだったらもうちょっと身長が必要だな」
軽くポンポンと頭を叩かれた。どうやら低い身長のせいか子供っぽく見られるらしい。
「悪かったわね!」
「はは、その調子だ。店の前で暗い顔をしてたから俺も困ってた所だったからな」
「うっ……」
顔をしかめて商品とにらめっこをしてたことは水に流してくれたらしい。
「さて、俺は商売に戻るよ。お嬢ちゃんもまたよってくれ」
「そうするわ」
あたしは果物屋に手を振って大通りへと向かった。
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さてと……どうしたものかしらねぇ……。
公園のベンチに座りながらりんごを齧るあたし。
これまで出したことの無い勇気でお仕事を探して見たけど……。
「残念だけど子供は雇えないんだ」
「うーん、もう少し背が欲しいな」
「悪いけど人は間に合ってるんだ」
とまあこんな感じに行く先々で就職活動をするがことごとく断られた。
やっぱりここでも不景気の波が押し寄せているのか、はたまたあたしという存在が未だに社会不適合者から脱してないなのかはわからない。
ただ率先して言えることはこのままだと野宿は確定するということだった。
未だに現代社会から抜け出せて無いあたしとしては屋根が無い場所で寝る状況をなんとしても逃れたい。
「ふぅ……」
りんごを半分食べ終えた所で思わずため息がこぼれた。
通りを行く人々の様子を見ながら吹く風に心が少し切なくなる。
履歴書だの職務経歴書だの必要ないとは言え、この身体じゃ働くこともままならない。
設定ミスったかしら? だが以前の肉体のことを思い出すと今の状況の法がよっぽど恵まれている。
せっかくなりたい自分になれたんだ。こんなことで挫けてられない!
「うん、大丈夫!」
顔を叩いて気合を入れ直し、再びりんごにかじりついた。
こんなことで負けてられない。と自分に奮起をさせる。
これが他でもないなりたい”自分”なのだから。
りんごを全部食べ終えると大きく背筋を伸ばす。頑張ってみよう。もう少しだけ。




