第1章第7話 ~探索 後編~
あれからアルクの痛みが治まった後、私達は洞窟内の探索を開始した。
洞窟の中は奥に進むほど外の光が入ってこないようで、一mも行かないうちに一気に暗くなっていく。
何も見えない状態ではあったが、しかしその問題は「さすがに何も見えないと危ないだろう」と私がアイテムボックスからとあるアイテムを取り出すことで解決した。
「フェルヌスさん、それは?」
「これは『マジックライト』というアイテムでな、ここのスイッチを入れるとこの棒が光るようになるんだ」
そう言いながら持ち手部分に付いているスイッチを点けたり消したりすれば、その度に持ち手より先が光ったり消えたりする。
それを目にしたアルクは驚いたように両目をパチクリさせた。
「べ、便利な道具を持っているんですね・・・」
「昔、私の知り合いが作った物でな。光らなくなったら、中に入っている燃料の様な役割を果たしている魔石を交換すれば、また光らせる事が出来るようになるんだ。・・・まあ、私の持っているこれは試作品だがな」
大した物ではないと言いたげに説明する私であったが、しかしそこでふとアルクが不思議そうに首を傾げた。
「・・・でも僕、そんなアイテムがあるだなんて見たことも、聞いたこともないですよ?少なくとも僕の故郷にも、僕がいたエプーアの町にもなかったです」
「・・・そうなのか?」
「はい。そもそもマジックアイテムの類はそれなりの値段がする物が多いので、一般界隈に出回る事は早々ないんです。国に仕えている兵士や貴族が抱えているような領軍とかであれば、似た様な物を持っているかもしれませんが・・・・・・」
少なくとも自分は知らないと首を横に振るアルク。
それを目にした私は、「この世界ではマジックアイテムはそんなに広まっていないのか?」と内心で疑問に思った。
「・・・・・・というか、そんな物を持っているフェルヌスさんって本当に何者なんですか?絶対ただの冒険者じゃないですよね?・・・・・・もしかして、どこかの貴族のお嬢様とかだったりしませんか?」
「いや、別にそんなんじゃないんだが・・・」
私が何者なのかと質問してくるアルク。どうもマジックアイテムを持っている事で、私がどこぞの金持ちの人間ではないかと思ったらしい。貴族じゃないか?という考えもそこから連想したようなのだが、それに対して私は違うと首を横に振った。リアルの自分自身に関する事を思い出せはしないが、少なくともどこぞの貴族とか金持ちとかではない筈だと思っていたからだ。
そして、そんな会話をしながら洞窟内の探索を開始して十数分が経過した頃、私達は分かれ道の様なモノを見つけた。
・・・ただし、その内の片方は行き止まりとなっていたが。
「・・・また行き止まりの道か。一体幾つあるんだ?」
「なんて言うか、不思議な形をしていますよね、この洞窟。道が一本しかない筈なのに、こんなに行き止まりがあるなんて・・・」
分かれ道の先を目にした私達はそれぞれにそう呟く。
私達が探索をしているこの洞窟は基本的に一本道の形をしているのだが、所々脇道と言うか、小さな部屋の様なスペースに向かう道があるのが確認されていた。部屋と思われる場所は然程広くも大きくもなくて、精々三人くらいの人間が中心を囲むようにして座り込む程度の広さしかなかない。またその数が意外に多く、これまでに十個以上も同じところを見つけていた。
「これほどまでに部屋みたいなのが多くあると、なんだか此処がただの通り道じゃないのではと思えてしまうな・・・」
「えっと・・・どういう事ですか?」
思わずと言った感じに私がそう呟けば、それが聞こえたのかアルクが首を傾げた。
「ああ・・・なんというか、この一つ一つの行き止まりとなっている場所が、昔は見た感じ通りの部屋として使われていたんじゃないかと思ってさ」
「つまり・・・この洞窟自体が一つの住処のようなモノということですか?」
「ああ・・・ほら、こことかもそれっぽく見えないか?」
部屋の隅に乱雑に置かれている幾つもの動物の物らしき骨を指差しながら「まるで食べ残しの様に見えないか」と言えば、アルクもまた言う通りに見えなくもないと言いたげに頷いた。
「でも、そう考えると此処にはいったい誰が住んでいたんでしょうか?」
「さあ・・・?生憎とそれは私も分からないな。・・・ただ、こういう所によく住んでいる奴と言ったら、大抵ゴブリンとかオークとか、あとはコボルトとかもありえそうだが・・・・・・しかし、そういった痕跡は見当たらないからなぁ・・・」
「そうですね・・・唯一あるのはさっきフェルヌスさんが指差した動物の様な骨と地面に残されたほんの少しの足跡だけ。これだけ巣として利用できそうな環境なのに、なんにもいないなんて・・・・・・」
「何か此処では暮らせない理由でもあるのかもしれないな。・・・まあ、その理由は現状では何一つわからないけど」
お手上げと言いたげに私が両手を上に上げれば、それを目にしたアルクはクスリと苦笑した。
「あの、フェルヌスさん。ちょっといいですか?」
「うん?どうした、アルク?」
「その・・・昨日から不思議には思っていたんですけど、フェルヌスさんの種族っていったい何なのか、聞いてもいいですか?」
洞窟内の探索を始めてから約三十分が経過した頃の事。僕は自身の前を歩いているフェルヌスさんに昨日から気になっていたことを質問した。
それはフェルヌスさんの種族についてだった。
・・・いやまあ、本当は昨日の内に質問すればよかったのだろうけど・・・なんというか、昨日は色んな事があり過ぎたがために、今の今まで話を切り出すことができなかったのだ。
「最初は頭の上にある耳を見て獣武種かなと思ったんですけど・・・・・・でも、尻尾の形は明らかに一般的な獣武種のモノじゃないですよね?|部族によって形は違いますけど、獣武種の尻尾はもっとこう、フサフサしてますし。形的にはどちらかと言うと、僕の知る限りでは竜戦種のそれに近いんですけど・・・・・・でも、竜戦種の尻尾の先にはそんな刃物みたいな突起物は付いてなかった筈なんです」
目の前で右に左にユラユラと揺れているフェルヌスさんの尻尾を見ながら、僕は疑問に思っていたことを口にしていく。
そう。フェルヌスさんの腰から伸びている尻尾は、僕の知っている獣武種のそれとは明らかに違っていた。獣武種の外見的な特徴と言えば、頭頂部の獣耳と腰から生えている尻尾であり、そのどちらもがフサフサとした毛に覆われている。けれど、彼女の尻尾には毛が一切ない。形だけを見るなら、竜戦種と呼ばれる種族のそれに近いのだが、しかし人間の腕を二~三本分まとめたくらいの太さがある竜戦種の尻尾と比べると、フェルヌスさんの尻尾はそれよりも明らかに細い。僕の腕周りくらいかそれよりも細いのだ。
加えて、彼女の尻尾の表面部分―――鎧の様な硬質感が感じられる、所々節目の様な浅い窪みがあるそれも、明らかに竜戦種のモノとは違う。竜戦種の尻尾は鱗に覆われているjものの、それでも生物的な雰囲気が感じられるからだ。
なにより、特に違うと言い切れるのは、尻尾の先にある刃物みたいな突起物が付いていることだ。僕の知る限り、竜戦種の尻尾の先にはそんなモノは付いていない筈なのだ。
「フェルヌスさんの姿は、僕の知っている獣武種、竜戦種の二種族とは違っているように思えてならないんです。―――フェルヌスさん。貴女はいったい、何者なんですか?」
「・・・・・・・・・」
胸に抱いた好奇心のままにそう問い掛けてみたのだが、しかしそれに対するフェルヌスさんの返答は無言であった。
「あ、あの・・・!言いたくなかったら言わなくても良いですよ!?聞くなと言うのなら、今後一切聞こうとしませんから・・・!?」
「ああ、いや・・・別に答えることは問題ないんだが・・・・・・」
無言のまま黙りつづけるフェルヌスさんの姿を見た僕は「やっぱり聞くべきではなかったのではないか?」と思い、先程の自身の問い掛けを撤回しようとしたのだが、しかしそれは当のフェルヌスさんによって止められた。
「私の種族はかなり特殊でな。別に隠していた訳じゃなかったんだが、こちらではどのような扱いになるのか分からなかったから、ワザと口にしていなかったんだよ」
そう言いながらポリポリと自身の頬を指で掻きながらそう言ったフェルヌスさんは、一度視線を横へと逸らした後で自身の種族について話し出した。
「まず、私の種族を答える前に一つ君に聞きたいんだが、君は混血種という種族を知っているか?」
「混血種、ですか?その、話には聞いたことはあります。けど、実際に見たことはないです」
「そうか・・・・・・実は私はな、その混血種なんだよ」
「・・・え?・・・えぇっ!?」
フェルヌスさんの種族が混血種だという事を知った僕は驚きの声を上げた。
混血種とはこの世界では存在自体がかなり珍しい事で知られている種族だ。この世界では異なる種族の間でも子供を産む事は可能であり、大抵は片方の親の種族の子が生まれて来る。だが、極稀に両方の種族の特徴と能力を受け継いだ子供が生まれてくる事があり、それが混血種と呼ばれているのだ。
しかし、彼等混血種はこの世界の人間にとっては重大とも言える欠点を持っていた。それは種族固有の能力が使えない、もしくは劣化してしまうというものであり、それ故に多くの人々からは出来そこないや忌み子等とも呼ばれていて、生まれた時から蔑まれる対象として見られることが多いのだ。
ちなみに、この世界のどこかに混血種の者達が作った里があるという噂もあったりするのだが、それが真実かどうかを知る者は誰もいなかったりする。
まあ、だからこそ僕は、目の前にいるフェルヌスさんが混血種であった事に驚きを隠せなかったのだが。
「ま、まさか、フェルヌスさんが混血種だったなんて・・・!?」
「その驚き様を見るに、どうやら混血種が何かを知っているみたいだが、あまり良い反応とは言えないな・・・・・・やっぱりこちらでも混血種は良く思われていないのか?」
「えっと、その・・・はい」
眉尻を下げながらそう問い掛けて来るフェルヌスさんに、最初どう答えようかと迷った僕だったが、最終的に頷く事で答えを返した。
それを見たフェルヌスさんは「やっぱりかぁ・・・」と呟いた。
「私のいた所でも混血種という種族はあまり歓迎されてはいなかったが・・・こちらでもそうなら、色々と誤魔化し方を考える必要性があるな。混血種という理由で無駄に突っかかれても面倒くさいし・・・」
フェルヌスさんは顎に手を当てながらそう呟く。
どうやら自分が混血種であることをどう誤魔化すかを考えているようだが、そこで僕は「あれ?」と一つの疑問が思い浮かんだ。
「あの・・・フェルヌスさんが混血種というのは分かりましたけど、一体何との混血なんですか?片方は獣武種だという事は分かるんですけど・・・・・・」
「うん?私は獣武種と魔導種の混血だが・・・」
「・・・・・・えっ?デ、魔族種・・・!?フェルヌスさん、今魔族種って言いました!?」
自身が何と何の混血なのかをサラッと答えたフェルヌスさんだったが、しかしその言葉の中に聞き逃せない単語が混じっていた。
「お、おぉう!?ど、どうしたんだ、アルク?急に大声を出すなんて・・・!?私が魔導種との混血であることが気になっているようだが、いったいどうしたんだ・・・?」
「ど、どうしたって・・・!魔族種って言ったら、人類の天敵で、この世界を滅ぼそうとする種族ですよ!?貴女がその魔族種との混血だったなんて・・・・・・!?」
「人類の天敵?世界を滅ぼそうとする種族?こっちでの魔導種は酷い呼ばれ方をされているんだなぁ・・・」
この世界での魔導種の評価を聞いたフェルヌスさんは、遠い目をしながら「酷い風評被害だなぁ」と呟いた。
「だって、魔族種という種族は過去に何度も世界征服という目的の為に人類に戦争を仕掛けて来ているんですよ!しかも、自分達以外の種族は下等種だからこの世界には不要だとかで、皆殺しにしたり、奴隷として扱ったりすることで有名なんですから!」
「まさかの実績ありとか・・・!何考えてんだこっちの魔導種は・・・!?」
まあその後で、僕の口から語られたこの世界での魔導種が行ってきた所業を聞いて頭を抱えてしまっていたけど。
「な、なるほどな・・・どうして君がそんなに魔導種という名前に驚いたのか、その理由が分かったよ」
「えっ?・・・・・・あっ!?ご、ごめんなさい!別にフェルヌスさんの事を言っていたわけでは・・・!?」
魔導種が如何に恐ろしく悪裂な存在なのかを語っていた僕であったが、頭が痛いと言わんばかりに頭を片手で押さえたフェルヌスさんの姿を見て、彼女が魔導種との混血であることを思い出して「しまった、言い過ぎた!?」と思い、急いで謝罪した。
「いや、謝らなくてもいいさ。そういった過去があるのなら、君のその反応も仕方がないと思えるからな」
「で、でも・・・・・・」
「言うなれば、過去の魔導種達が行ってきたバカげた所業の結果というやつだからな。それに一々腹を立てるのはおかしいだろう。・・・・・・にしても、こちらの魔導種がそんなことをしていたとはなぁ」
フェルヌスさんは「やれやれ・・・」と呆れたような声を零す。
そんな他人事のような反応を見せる彼女に、僕は思わず首を傾げた。彼女が口にした”こちらの魔導種”という言葉が気になったのだ。
「あ、あの・・・さっきから何度か”こちらの魔導種”と口にしていますけど、フェルヌスさんのいた場所の魔導種は人類に戦争を仕掛けるなんてことをしなかったんですか?」
「ああ、そうだ。私のいた所の魔導種では世界征服なんて頭の悪そうなことをしでかす輩なんていなかった。・・・・・・いやまあ、見た目で怖がられるというのはよくありはしたが、それでも他の種族との交流だってちゃんとあったんだぞ」
「そ、そうなんですか・・・!?」
なので、それについて質問をしてみたのだが、返された答えはまるで夢物語で語られるようなものに近いそれであり、彼女の話を聞いた僕は「そんな所があるなんて!?」と驚いた。
頭の中ではそんな場所なんてあるわけがないと思ったりもしたが、しかしそれは目の前にいるフェルヌスさんという存在が証明していた。
どうしてなのかと言えば、その理由はこの世界での魔導種の暮らしている環境が関係していた。
先程自分が話したように、この世界での魔導種は人類に盛大に喧嘩を売ったわけなのだが、その弊害―――どちらかと言えば自業自得と言うべきかもしれない―――で他種族との婚姻が出来なくなり、そのに為同種族間でしか子孫を残せなくなっていた。
ただし、初めに”基本的には”という言葉が付けられる形であり、例外として連れ去ったり屈服させた他種族を奴隷として手元に置き、自分の子供を産ませる者も魔導種の中には存在していて、それ等の行為もまた彼等が行う悪行として有名な話であった。
そして魔導種の間でも混血種を忌み子的扱いをするのは他種族と同じではあるのだが、しかし彼等の場合は、生まれた子供が混血種だと分かった瞬間に”自分達よりも劣る出来そこないの下等種”として即座に殺してしまうのだ。
それ故に、魔導種の混血種というのはこの世界では存在していること自体が奇跡的な種族と呼ばれているのである。
「魔導種と戦争をしていない場所、かぁ・・・・・・」
フェルヌスさんの話を聞いた僕は、漠然と自分が魔導種と仲良くなっている姿を想像しようとした。
けれど、話に聞くだけで実際に魔導種という種族を見たことがない僕には、その光景を満足に思い浮かべる事はできなかった。
「・・・ッ!止まれ、アルク!」
「えっ?」
―――と、その時だった。突然、フェルヌスさんが僕に止まる様に声を掛けて来た。
彼女の目はマジックライトの光が届かない暗闇の向こう側へと向けられており、その先にある何かを見据えていた。
「何かがこっちに近づいてきている。マジックライトを持って私の後ろに隠れていろ」
「は、はい・・・―――っ!?」
フェルヌスさんは僕にそう指示を出しながらその手に持つマジックライトを渡すと、そのまま僕の事をを背後に隠す様に前に出た。
彼女がいったい何に反応し、何に気付いたのか。その事に疑問を覚えた僕だったが、そのすぐ後に自身が取得している【危険感知】―――”自身に迫る危険を察知する”スキルが発動し、それが彼女の視線の先から近づいてきているのに気付いて息を飲む。
やがて暗闇の向こう側から複数の影が近づいて来た。ヒタヒタと足音を立てながら姿を現したそれ等は、マジックライトの光に当てられてその正体を現していく。
「「「「「ギギギィーーーッ!!」」」」」
その影の正体は、全体的に緑色の肌色をしており、頭には頭髪の一本も生えておらず、両の瞳が少し白濁としている魔物―――『ゴブリン』であった。
総勢五匹のゴブリン達が身に着けている物は様々で、腰蓑だけだったり、皮のチョッキとズボンを着ていたり、はたまた胸当てや手甲などの防具を身に纏っている者もいた。
また、その手に持っている武器も棍棒や剣、短槍など様々であったが、所々が汚れていたり錆びついている様子から碌に手入れもされていない様にも見えた。
「ギィ、ギィギィ!」
「ギギギィ!ギィ!」
「ギギャー!」
僕達の姿を視界に納めたゴブリン達は喜びの声を上げる。それはまるで獲物を見つけたと言いたげなものであり、しかもその片方がフェルヌスさんという女性であった事がさらに彼等を喜ばせたらしい。
ゴブリン達は口元から涎を垂らしたり、舌なめずりをしたり、下卑た笑みを浮かべながら、フェルヌスさんに獣欲に染まった視線を向けながら自分達の間にだけ伝わる言語で会話をしていた。
『雌の体は小柄ながらも肉付きが良くて健康そうだ!』
『その瑞々しさが感じられる柔肌はとてもそそられるなぁ・・・!』
『さあ、この雌を捕えた後にその体をどう楽しもうか・・・!』
『この雌を孕ませて自分たちの子供を産ませよう!』
『使い物にならなくなったら食ってしまおうか・・・!』
訳すとしたらこんな感じだろうか?まあ、彼等の習性を考えればこんな風に言っていたとしても不思議ではないのだが。
「・・・・・・・・・」
そんなゴブリン達を、フェルヌスさんの背に隠れながら僕は警戒しつつ観察していた。
―――それと同時に、目の前で背中を見せているフェルヌスさんの様子も伺っていた。
なぜ僕がゴブリンだけでなくフェルヌスさんの様子まで伺っていたのかと言えば、その理由は彼女の事を完全に信用しているわけではなかったからだ。
昨日の夜にフェルヌスさんから、彼女が元いた場所では冒険者として活動していたという話を聞いていた僕は、その話を鑑みて彼女がそこそこの実力の持ち主であるという事を予想していた。・・・だが、自分達が今いる場所はゴブリン達のホームグラウンドの一つとも言える洞窟だ。彼等が主に住居にしている場所は大半がこういう薄暗い場所であり、その環境下だと驚異の度合いが跳ね上がって、熟練の冒険者でも入念な準備をしなければ攻略不可能と言わしめるほどに厄介になる。
その優位性は、本来は真っ暗闇だった空間をマジックライトの明かりで照らしているとしても覆す要因にはならないだろう。そして、そんな圧倒的に不利な状況の中で彼女が”戦う”という選択肢を選ぶとは、僕には思えなかった。
生き残る為に僕の事を見捨てて逃げるのではないか、とそう思っていたのだ。
だからこそ、僕はその時の為の用意をしていた。
それは自身のカバンの中から密かに取り出していた一本のナイフだ。そのナイフには麻痺毒が塗られており、体内に取り込んでも死ぬ事はないが、しかししばらくの間は満足に体を動かすことが出来なくなるくらいには強い毒であった。
彼女が裏切り、僕を見捨てて逃げる様な行動をしようとしたその時には、逆にこの右手に握られた麻痺毒が塗られたナイフで傷を付けて動けなくして、ゴブリン達への囮になって貰おうと、僕はそう考えていたのだ。
だがその実、内心では”もしかしたら”という思いもあった。
彼女と関わった時間は短かったが、それでも彼女が僕に与えてくれたあの優しさは嘘ではなかったと感じていたからだ。
だからこそ、彼女の事を信じたいと思っていたからこそ、今この瞬間がそれを決める分水嶺だとも僕は考えていた。
「・・・・・・ッ!」
心のどこかでは、本当はそんなことをしたくないという気持ちもありはした。・・・が、それでも生き残る為にはやらなければならないのだと、心の内に悲しみの感情を覚えながらも覚悟を決めた僕は、その手に持っているナイフを強く握り締めた。
「・・・アルク。君はそこでジッとしているといい。アイツ等の相手は私がするからな」
しかしそんな僕の覚悟は、見る者に安心感を覚えさせるようなフェルヌスさんの笑顔によって拍子抜けにされた。
「・・・・・・え?」
ゴブリン達に対するものと同じくらいにフェルヌスさんの一挙一動を警戒していたからこそ、彼女のその言動と行動に僕は心底驚いた。
何故彼女はこの状況下であんな風に笑う事ができたのだろうか、と。
どうして彼女は僕のことを置いて逃げようとしないのか、と。
心半ばでは期待していたとはいえ、まさか本当にフェルヌスさんがゴブリン達と戦うという選択肢を選ぶとは思っていなかった僕は、ゴブリン達に向かってゆっくりと歩いていく彼女の背中をただただ呆然と見送る。
「―――ッ!?」
その時、何かがおかしい事に僕は気付いた。
それは彼女の装備だった。鎧こそ身に付けたままだったが、何時の間にか右手に持っていた筈の斧槍を何処かに―――おそらくは彼女がアイテムボックスと呼んでいた所に―――仕舞い、無手の状態でゴブリン達の元へと向かっていたのだ。
まるで近くまで散歩に来ましたと言わんばかりのその様は、傍から見れば無警戒でゴブリン達に近づいて行くようにしか見えなかった。
「ギギッ!」
「ギィヒヒヒヒヒッ!」
そんなフェルヌスさんの姿を見たゴブリン達は、その表情をニチャリとした感じの笑みへと崩し、ゲラゲラと嘲笑った。
その笑い方はまるで「獲物がのこのこやって来たぞ・・・!」とでも言いたげなものであった。
「(なんで、どうしてそんな事を・・・!?)」
彼女が武器を手にしていない事に気付いた瞬間、僕の頭の中は真っ白になった。
ゴブリン達と戦うのではなかったのかと。武器も無しにどうやってアイツ等の相手をするのかと。そう頭の中で何度も何度も、何故?どうして?と繰り返し呟いていた僕であったが、そこでふとある考えが自身の頭の中を過ぎった。
「(まさか、まさかまさかまさか・・・!自分を囮にして僕を逃がそうと・・・!?)」
ゴブリンには女を捕まえると自分達の巣へ持ち帰ろうとする習性がある。そしてその時のゴブリンは、捕まえた女性を逃がさないよう運ぶことに集中する為、他の事に意識をあまり割かなくなる傾向がある。
彼女はその習性を利用して、ゴブリン達の意識を自分へと集中させようと考えたのではないだろうか?そして、その間に僕の事を逃がそうと考えているのではないだろうか?
そう考えた途端、僕は無意識の内に自身の歯を噛み合わせ、ギシリッ・・・!と鳴らした。
「クソッ・・・!クソクソクソッ・・・!?」
確かに自分は彼女を囮にして生き延びようと考えてはいた。・・・いたがしかし、それは飽く迄も裏切られた時の場合であり、決して初めからそう考えていたわけではなかった。
だからこそ僕の胸の内には今、自身が魔物と戦う力を持っていない事に対する悔しさと、恩人だと思っている人を見殺しにしなければ満足に生き残る事ができない自らの惨めさと、そしてそれをただ見る事しか出来ない己の情けなさを嘆く感情が複雑に渦巻いていた。
「―――ッ!!」
そして、それ故に僕は前へと駆け出した。
それは勿論、フェルヌスさんを助けようとしてだ。
その行動に深い意味は無かった。ほとんど衝動的なものだった。
ただ、敢えて言葉にするとしたらそれは、今よりも小さかった頃に抱いていた憧れを思い出したからだろう。
その憧れとは、物語の中に存在する勇者や英雄達の活躍であった。
両親から寝物語として何度も聞かされてきたその物語で登場する彼等彼女等は、自分達の損得なんて考えずにただ人々を救いたいから、守りたいからという思いだけで強大な悪に立ち向かって行き、そして最後には勝って見せた。
その物語を聞いて育ったからこそ僕は、五年前の故郷の村で行われた祭事で司祭様から■■になれる素質があると告げられた時に、不安を胸に抱きながらも、それと同じ位に伝説として語られてきた物語の彼等彼女等のような活躍ができるようになるのではないかと、密かに期待していたのだ。
しかしその期待は、あのエプーアの町で受けて来た地獄のような辛い日々によって打ち砕かれてしまった。
罵倒され、暴力を振るわれ、裏切られ、蔑まれ、生きる事すら必死で、明日の事すらまともに考えられない環境の中、僕の胸の内に抱いていた憧れの気持ちは次第に沈み、淀んでいき、まるで汚泥に包まれるかのように消えていった。
今ではもう思い出す事もできなくなり、消えてしまったのだろうと思われていたその憧れの気持ちは―――しかし、自身の目の前で今も背中を見せているフェルヌスさんの姿を目にした事で大きく揺さぶられ、こびり付いた汚泥が少しずつ剥がれ落ちていく様に再びその光を取り戻し始めていた。
どうして彼女は逃げようとしないのか。
何故彼女は自分を見捨てようとしないのか。
その答えが、これまでフェルヌスさんと接してきた僕にはなんとなく分かっていた。
それは、ただ単純に彼女が優しかったからだろう。僕という人間に向けていたその優しさは騙す為でも、ましてや打算の為でもなかった。
それなのに、僕はそれを疑ってしまった。彼女が僕に向けていた瞳は優しい光を携えていたのに。怪我をしていた事を心配して、ゆっくり休めと体を労わってくれたのに。別れようとした時だって、僕のことを考えて叱ってくれもしたのに。
例えその出会いが偶然で、接した時間が短かったとしても、その優しさに嘘なんてものがあるとは僕には全く思えなかった。
だからこそ、僕は走りだしたのだ。彼女を助けるために。彼女を守るために。―――己の夢を、憧れを取り戻すために。
自分に戦う力がなかったとしても、それでも彼女を逃がす為の囮くらいは出来るだろうと考えて。
「フェルヌスさん・・・!!」
そうして、覚悟を決めた僕は彼女の元へ駆け寄ろうとして―――しかし、次の瞬間に起こった光景を目にして思わずその足を止めてしまった。
「ギッギッ、ギィブリィッ・・・!?」
「・・・・・・あれ?」
「「「「・・・・・・ギィ?」」」」
突如としてフェルヌスさんの姿が目の前から消えてしまったからだ。
そして、次にフェルヌスさんの姿を見つけた時には、何時の間にか円陣の様な隊列を組んでいたゴブリン達の中心に彼女は現れていて、丁度目の前にいた一匹のゴブリンの頭を、握り込んだその右拳でもって殴り砕いていたところだった。
その時、ゴブリン達はいったい何が起きたのかよく理解できなかった。
自分達は武器も持たずに、いっそ無防備とさえ思えるくらいにのこのことやって来る獲物―――フェルヌスの事を嘲笑いながら見ていた筈だったのに、気が付けば突如として目の前から獲物の姿が消え、何時の間にやら自分達の同胞の頭がその獲物の手によって殴り砕かれていたのだ。
その出来事があまりにも一瞬過ぎたが故に、他のゴブリン達は混乱し、一時的な思考停止に陥り、ただただ呆然としながらフェルヌスと、ドシャリと音を立てながら崩れ落ちる首から上が無くなった同胞の死体を何度も見返していた。
その後、正気を取り戻したゴブリン達は、自分達の同胞を殺したのが目の前にいる雌であると理解した瞬間、彼女に対して敵意と殺意の視線を向け始めた。
その胸中を駆け巡ったのは「ふざけるな」という憤慨の感情であったのだろう。残った四匹のゴブリン達はそれぞれが手に持つ武器を構えると、目の前の雌に向かって襲い掛かろうと跳び掛かった。
「ギィッ!ギギギィィッ!!」
「―――フンッ・・・!」
「ギベェッ・・・!?」
だが、その動きはフェルヌスからすれば圧倒的に遅かった。
彼女は突き出していた右拳を引き戻すと、最初に自身の右側にいた二匹目のゴブリンへと頬を撫でるような感覚で裏拳を当てる。
次の瞬間、二匹目のゴブリンの頭は勢いよく捻じられ、回転し、何週かした後にポーンと上空へ千切れ飛んでいった。
「ハッ!」
「ギバァァッ・・・!?」
二匹目のゴブリンの首が飛んで行く様を最後まで見届ける事なく、フェルヌスは次の行動へと移る。
フェルヌスは裏拳を放った勢いを利用して体を回転させると、二匹目のゴブリンの左隣にいた三匹目のゴブリンに右後ろ回し蹴りを放つ。
彼女の蹴りを受けた三匹目のゴブリンの体は、その胴体を上下に分断され、断面から大量の紫色の血と臓物を撒き散らしながら、ドシャドシャと音を立てて地面の上に落ちた。
「ハァァァッ!」
「ギャブッ・・・!?」
地面に転がる三匹目のゴブリンの死体を視界の端へと流しながら、続いてフェルヌスは頭上から飛び掛かって来ようとしていた四匹目のゴブリンに向けて左手の五指を伸ばした。
手の甲から肘にかけて紫のラインが走る黒を基調にした手甲の、その指先に付いた銀色に輝く鋭利なナイフの様に鋭い爪。それが音を超える速度で振るわれた瞬間、四匹目のゴブリンの体は一瞬でバラバラに切り裂かれ、細切れの肉片へと変わった。
「ギッ、ギヒィッ!?」
気が付けば、もう生き残っているゴブリンは一匹だけ。その事に気付き、理解してしまった五匹目のゴブリンは、このままでは自分も他の同胞達と同じくあっという間に殺されてしまうだろうと恐怖した。
そして、クルリと体を回転させると、恐怖の悲鳴を上げながらその場から逃げ出すべく、ドタタタタッ!?と走り出した。
それは死にたくないという一心での選択であり行動だったのだが、しかしそれを大魔王が見逃す筈がなかった。
「フンッ・・・!」
「ギギィッ・・・!?」
フェルヌスは逃げ出そうとしたゴブリンの元へ一瞬で接近すると、逃げ道を塞ぐように回り込み、その顔面をガシリと鷲掴んだ。
その時だった。ゴブリンが偶然にもフェルヌスの瞳を目にしたのは。
暗がりの中で爛々と輝く紫色のその眼には、一切の感情が、熱が感じられなかった。
唯一感じられるモノがあるとすれば、それは身も凍る様な冷たい殺意だけ。それだけは思わず怖気が走る程にありありと感じられた。
端から見ればその様は、まるで殺戮人形の様に見えたことだろう。実際その眼を見たゴブリンは、生き物が―――いや、生きている者がするような眼ではないと思った。
ゴブリンにはもう、自身の頭を鷲掴みにしている雌が自分達の獲物などではなく、とても恐ろしい化け物の様にしか見えなくなってしまっていた。
「ギ、ギギッ・・・!ギギガガガッ・・・!!」
一刻も早くこんな恐ろしい存在から離れたい。そう思いながら必死になって自身の頭を掴んでいるフェルヌスの手を外そうとするゴブリン。
・・・がしかし、何をやっても外れない。どんなに力を入れても、何とか指だけでも動かそうとしても、全く小揺るぎすらしない。
そうして奮闘しているうちに、気が付けばゴブリンの体は宙に浮いていた。フェルヌスに持ち上げられていたのだ。
その事に気付き、足をバタつかせるゴブリンだったが、しかしそんなことでフェルヌスの拘束が揺らぐわけがなかった。
「ギ・・・ガッ・・・!」
ゴブリンの頭を掴むフェルヌスの腕が、グワッと大きく動く。
その次の瞬間には、ゴブリンの体は洞窟全体に地響きを立てる程の物凄い勢いで地面へと叩きつけられ、その頭は原型が留められなくなる程にグシャリと潰されるのであった。
「フッ、フッ、フッ・・・・フーッ・・・・・・!」
戦闘開始から僅か数十秒にも満たない出来事。たったそれだけの時間で敵対していた五匹のゴブリン達を倒した私は、ゆっくりと息を整えながら残心をしていた。
その目は俊敏なまでに周囲へと向けられており、他にも自分とアルクの敵となる存在がいやしないかと警戒していた。
当然、索敵関係のスキルを併用してだ。結果として、先程現れたゴブリン達以外に敵性存在がいない事を確認した私は、「フゥゥゥーッ・・・・・・!」と息を吐き出しながら警戒心を解き、戦闘用に移行していた思考を通常状態のそれへと戻した。
「・・・やれやれ、思っていたよりもゴブリンの血が飛び散ってしまったな。・・・しかも結構滑っているし」
そう呟きを零した私は、自身の体に付いたゴブリンの血を億劫そうに、嫌なものを見る目で眺めた。なにせ、その血からはかなりの悪臭が放たれていたからだ。
おそらくは魔物特有の―――いや、コレはどちらかと言えばゴブリン特有のと言うべきだろうか?鉄臭いのはともかく、腐った卵のような臭いが自身の体から、特に攻撃の為にゴブリン達に直接触れていた手足から漂ってくる事に、私は顔を顰めた。
「やっぱり素手で戦うんじゃなくて武器を使えば良かったか?」
武器を使えば体に血飛沫が掛かるのをある程度は避けられたのではなかろうかと思った私であったが、しかしそれが出来ない理由を思い出して、「いや、無理か」と首を横に振った。
そもそも、どうして私が主武装である斧槍を使わずに素手で戦う事を選んだのかと言えば、その理由は単純に斧槍を満足に振るえる程のスペースが洞窟内にはなかったからだった。
斧槍の長さは私の身長以上にある為、然程広くはないこの洞窟内で振るおうものなら、まず間違いなく壁や床、天井等に当たったり、引っ掛かったりして動きが阻害されてしまう。
それ故に私は素手で戦う事にしたのだが、それ以外にもう一つ、そうする事を決めた理由があった。
まあ、なんてことはない理由だ。ただ単にゴブリン達が弱すぎるので、素手だけで十分倒せてしまえると判断したからだ。
種族名:【魔物種:ゴブリン】
名前:【―――】
性別:男性
状態:通常
『HP』:26/35
『MP』:5/5
『SP』:25/25
『STR』:25
『VIT』:21
『AGI』:14
『INT』:5
『MND』:10
『DEX』:8
『LUK』:5
これが《ステータス鑑定》を発動して確認した、私と対峙していたゴブリン達のステータスだ。
その強さは平均で十~二十五前後と『カオスゲート・オンライン』では序盤に出てくるようなレベルのもの。その程度であれば、私にとっては何ら脅威となる存在ではないと言えたし、だからこそ素手であったとしても、敵と認識した彼等を皆殺しにするのになんら問題はないと判断したのだ。
だが、どうやらそれはある意味では失敗であったらしい。その事を自身の体から立ち上る悪臭から理解した私は、「はぁ・・・」と溜め息を吐くのであった。
「・・・・・・なに・・・これ?」
フェルヌスさんとゴブリン達の戦闘を見ていた僕にはいったい何が起こったのかまるで理解できなかった。
なにせフェルヌスさんがゴブリン達の下へと無警戒に近づいて行ったと思ったら、次の瞬間には一方的な蹂躙劇が開始され、彼女の手によってあっという間にゴブリン達が全滅させられてしまったのだ。訳が分からなくて混乱してしまうのは当然だと思えた。
「・・・・・・あ・・・の・・・フェルヌス、さん・・・今、何したんです、か?」
「・・・ん?」
自身の目の前で起こった光景が理解できなかった僕は、フェルヌスさんに一体何をしたのかと問い掛けた。
周りをゴブリンの紫色の血溜まりと臓物に囲まれている中で立っていた彼女は、僕に声を掛けられた事に気付くと、少しだけ不思議そうな顔をしながら振り向いた。
その表情はつい先程までゴブリン達と戦っていたとは思えない程に平然としており、むしろ穏やかさすら感じさせる雰囲気を纏っていた。
「何をしたのかって言われてもなぁ・・・ただ殴ったり、蹴ったり、引っ掻いたり、潰したりしただけなんだけど・・・?」
「・・・・・・え、えぇ?」
僕の問いにそう簡潔に答えるフェルヌスさん。
しかし、その説明だけではどうしても納得できないものを感じていた僕は、思わず「・・・その程度な訳がない」と小さく呟いてしまった。
認識できないほどの速さで動き、見た目は華奢なその手足で魔物を―――最弱とも呼ばれているゴブリンだとしても―――全て一撃で殺して見せるその実力。
そんな圧倒的とも言える強さを持つ人物は、自身が知る熟練の冒険者の中にも、そして冒険者ギルドの記録の中にも存在してはいなかった。
そして、そこでふと僕はある想像をしてしまった。 「もしあの時、あのナイフで彼女に切り掛かっていたら、自分どうなっていたのだろうか?」と。
その答えは目の前に広がる光景が物語っていた。もしそれを行っていたら、まず間違いなく僕は彼女に敵と認識され、目の前で血と臓物を撒き散らしながら死んでいるゴブリン達の仲間入りを果たしていたことだろう。
それを想像した僕は、ブルブルと震えだす自身の体を抑えようと己の両腕で抱き締める。
未熟な自分でさえも分かる常識の埒外にあるその力。もしそれが自身に向けられていたかと思うと本当にゾッとする。
おそらくだが、何時もの悪運が発動し、それによりいっそ見事と言いたくなる程のタイミングによって最悪の事態が避けられたのだろう。
そう思った僕は、ここぞという時に自身を助けてくれる悪運に初めて感謝の念を送った。
「・・・・・・・・・」
僕は安堵の息を吐きながら、再び目の前に立つフェルヌスさんへと視線を向ける。
光を反射して輝く銀の髪と一種の扇情ささえ感じさせる褐色の肌を持つ、美しく可愛らしい顔立ちの少女。それが魔物達の紫色の血と臓物が撒き散らされた場所の中心に立ち、さらにはその全身を魔物達の返り血によって濡らし、染め、彩られている様は、見る者によっては恐怖の感情を覚えてしまうことだろう。
勿論、僕も例外ではない。今も背筋にゾクゾクと怖気が走り、ガクガクと体が震えているのだから相当だ。
だけど同時に、僕はその光景を綺麗だと思った。
今の紫色の血に彩られたフェルヌスさんの姿が本当に綺麗だと、そう思ったのだ。
「あ・・・れ・・・・・・?」
その瞬間だった。突然胸の奥がズクンッという感じに弾んだのは。
それは次第にジクジクとした疼きへと変わっていき、徐々に僕の意識を侵食し始めた。
「あっ・・・・・・あっ・・・あっ・・・!?」
「(何だこれ何だこれ何だこれ・・・!?)」
狭まる視界。赤と青のみに彩られていく世界。
さらには呼吸も「ヒュッ・・・ヒュッ・・・!?」という感じに上手く行えなくなっていく。
「(いったい、何が・・・!?)」
景色が横倒れになる。意識が暗転する。
その最中に見た光景は、驚いた表情を浮かべながら僕の下へと駆け寄ろうとするフェルヌスさんの姿だった。