久保田さん
夜8時。
お父さんがリビングでお酒を飲む時間です。
顔が真っ赤になったお父さんは、いつもおもしろいお話をしてくれます。
「お父さん、今日も教えて、こわ〜い話!」
「ちびっても知らないからな〜?」
テレビを消して、お父さんと向かいの椅子に座る。
「これはお父さんが学生の頃____」
今日も、ぼくのだ〜いすきなお話が始まります!
俺は中学生の時、吹奏楽部に入っていたんだ。
3学年合わせて20人位の小さな楽団。
女ばっかりだったが、まあ、最初は男女共々仲良くやっていたよ。
でもな…女だらけの集団は怖いぞ。
女同士でいがみ合い、落とし合いでギスギスとしていたからな…
もちろんいじめもあった。
理由も、やりたかったパートを取られた…とかそんなもんだ。
まあ、一ヶ月そこらでターゲットは変わっていったがな。
ちょっと前までいじめられていた子も、ターゲットが変わった途端にいじめだすんだ。
つまり、誰でも良かったんだろうな。
…そんなある日、いじめを見かねた顧問はこんなことを言い出した。
「そんなに誰かをいじめたいなら、久保田さんをいじめましょう」
突然何を言い出すんだと驚いたね。
だってさ……久保田なんてやつ、吹奏楽部どころか学校にもいないんだからよ。
みんなが口々に疑問や不満を投げかけた。
「久保田さんは、架空の人物です………が、確かにここにいます。」
なるほど…存在しない人物を作って、不満は全部そいつにぶつけろってことだ。
最初はそんなことしたって意味ないだろ…と思ったけれども、面白がった数名の女子が、久保田さんを作り始めたんだ。
まずは、絵に書いた。
一重で低い鼻、ボサボサの髪の毛、分厚い唇。
とても可愛いとは言えない見た目…
それを見た他の女子も面白がり、性格、家族構成、趣味、口癖まで、久保田さんの情報は「久保田さんノート」に書かれ、どんどん更新されていった。
久保田さんはまるで、この吹奏楽部に本当にいるかのようだった。
久保田さんの楽器はトランペット。
合奏の時はトランペットの場所にいつも空席があった。
その席は、どんどん汚れていった。
みんな、その席に向かって悪口を言っていた、水をかけたり、落書きをしていた。
…でも、いじめは無くなった。
正確にいうと、実際に存在する人へのいじめはなくなった。
そんなある日、副部長の譜面台が行方不明になった。
まあ、楽譜棚の1番上の段に合ったんだがな。
明らかに誰かが隠したとしか思えなかった。
ま〜たいじめが始まったか…と思ったよ。
そして犯人探しが始まった。
まずこの棚は結構高い。
普通の女子なら椅子の上に登らなければ上の段まで届かないだろう。
だから、俺たち男子が疑われた。
男子は3学年合わせてたったの3人。
俺ともう一人は1年生、もう1人は2年生の杉本先輩。
杉本先輩はとにかく、イケメン、そして優しい。
それだから杉本先輩がそんなことするはずないって女子たちは言い出したよ。
もちろん俺は違うし、もう1人のやつもそんなことする奴じゃない。
どうしようかと困っていたらさ、ある女子がこう言ったんだ。
「…久保田さんがやったんじゃない?」
いやあ…それは無理があるだろ。
久保田さんはいないんだぜ?
でも、周りの反応は違った。
「確かに…久保田さんなら身長高いし届きそう」
「うん…久保田さんって陰湿だし、やりかねないよね」
どうしたどうした、しまいにはさ…
「そういえば、久保田さん自主練時間の時、突然抜けたよね…」
トランペットパートの子達が言い出したんだ。
いや、おかしいだろ。
俺ともう1人のやつは顔を見合わせたよ。
そうしたら、杉本先輩がこういったんだ。
「じゃあ、本人に聞いてみればいいんじゃない?」
杉本先輩ナイス!と思ったのもつかの間で、女子たちは口々に「そっか〜」と言い出した。
「久保田さんが隠したんでしょ?」
「黙ってないで答えてよ」
「じゃあ自主練時間の時どうして突然いなくなったの?」
「トイレとは別の方に行ったよね」
まるで久保田さんがそこにいるかのように、女子たちは同じ方向を見て話し始めた。
1番怖かったのは…誰の意見も食い違っていないこと。
みんなには、同じ久保田さんが見えているようだった。
「ちょっと、男子もなんか言ってやってよ」
いやいやいや、存在しないやつにどうやって話しかけるんだよ。
「久保田さん…早く終わらせて練習に戻ろう?」
さすが杉本先輩…女子たちと同じ方向を見ながらなにもない空間に話しかける。
それを見たもう1人も適当な言葉を投げかける。
でも、俺はそんな馬鹿げたことをする気になれず、暫く黙っていた。
そしたらさ…
「何?久保田さんのこと庇ってるの?」
「久保田さんのこと好きなんじゃないの?」
「えー、てか久保田さん顔真っ赤じゃん!」
気がついたらさ、久保田さんが俺のことを好きって話になってたんだよ。
意味わかんないよ。
女子たちは面白がってさ、俺のこともどんどんいじってくるの。
なぜか、ブスに好かれるかわいそうなやつって扱いに変わってるの。
嘘だとしてもさ、なんかもう許せなかった。
だからある日「久保田さんノート」を書き換えたんだ。
絵は割と得意だったからさ、目も二重にして、髪をサラサラにして、体型もスラッとさせたよ。
性格も今のままじゃヒドイ。
優しくて誠実で、笑顔が素敵な人に変えてやったさ。
そうしたらさ、女子たちが言うんだよ。
「久保田さん…恋をしたら可愛くなったよね」
ってさ。
おかしいんだ。
「久保田さんノート」は暫く誰も開いていない筈だった。
確かに、俺が書き換えたあの日から誰も触っていなかった。
なのにどうして、俺がつくった久保田さんのイメージがみんなに共有されてるんだってよ。
それから女子たちは久保田さんと仲良くするようになった。
久保田さんがとてもいい子だと知ったからだ。
もう1人の男子もいつ頃からか、久保田さんと話をするようになった。
もう、俺だけが久保田さんをみていなかった。
そして、春になって新入生が入った。
新入生は部活体験の時にこう言った。
「久保田さんって人…すごくキレイな方ですね」
その頃には、俺がおかしいんじゃないかって思い始めたよ。
何が正しいか分からない…だから俺はね
久保田さんを殺すことにしたんだ。
いや、殺すというより…消す?
「久保田さんノート」を消せば、久保田さんも消えるんじゃないかってね
「久保田さんノート」はもう誰も開いていなかった。
だから、ずーっと前に俺はが書き換えた時と変わらずに置いてあった。
確かに、誰もあの後さわっていなかったはずなんだ。
だけどさ、情報が増えているんだ。
女子たちが言っていた…久保田さんの最近の話。
犬を飼い始めた、遊園地に行った、そこでくまのキーホルダーを買った。
もう何がなんだか分からなかった…。
一体、誰が、いつ、書いたんだ…?
いや…一体、誰が、いつ、書くことができたんだ…?
1番最後に書かれたページを見る。
そこには、日記のようなものが書かれていた。
『今日は初めてソロをゲットできたよ!みんなが認めてくれたってことだよね♪』
そうだ…これは昨日の出来事。
前のページを見る。
『今日は舞香にフルート吹かせてもらった!やっぱ私はトランペットだな〜』
これは一昨日のこと…そんな会話を確かにしていた。
ページを遡る度に、その日の部活の事が書かれていた。
気味が悪い…とにかく、一度最後に書かれたページに戻ろう。
そして…書き足そう。
‘久保田さんが消える’と…。
最後に書かれたページを見る。
『今日は、』
ページが…増えている?
確か、最後に書いたページはソロを手に入れた話だったはず。
前のページをめくる。
ソロを手に入れた、昨日の出来事が書かれている。
つまり…このページは、今日の日記。
『今日は、部活の後』
瞬きをする度に、言葉が増えていく。
『今日は、部活の後、久しぶりに一人で自主練をしたよ。』
『今日は、部活の後、久しぶりに自主練をしたよ。』
『今日は、部活の後、自主練をしたよ。1人じゃなくて、』
『今日は、部活の後、自主練をしたよ。1人じゃなくて、よかったー。ありがとう、男子(笑)』
部活後…俺は確かに、みんなが帰るのを確認してから、ずっと1人でここにいたはず…。
誰の音も聞こえなかった。誰の話し声もしなかった。
つまりこの男子は、俺。
急に背筋が凍りついた。
消さないと。
久保田さんは存在してはならない。
俺は「久保田さんノート」を床に思いっきり投げ捨てた。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』
ノートにはどんどん言葉が足されていく。
もう見るに堪えなくなった俺は…ノートを引き裂いた。
その時、俺は初めて久保田さんを見た。
目の前で、真っ二つに裂ける彼女の姿。
俺がいつだったか書き足した、キレイな長い髪の毛。
大きく見開いた、二重の目。
彼女は横たわったまま、動くことはなかった。
しかもさ、消えないんだよ。
どれだけ瞬きをしても、一度部屋を離れてみても、消えないんだよ。
そうしてるうちに…俺は大変なことをしてしまったんじゃないかって思い始めたんだ。
とりあえず、テープでノートを貼り付けたよ。
でも…久保田さんは真っ二つに裂けて横たわったままだ。
このままだと俺は、吹奏楽部の人たちから、殺人鬼と思われてしまう。
だからさ、苦肉の策だったけど…こう書き足したんだ。
『久保田さんは死なない。何があっても死なない。俺が居る限り一生生き続ける』
そうしたらさ、久保田さん…真っ二つに分かれたまま動き出したんだ。
そして、俺を見てこう言った。
『やっと見てくれた』ってね
んで、ここからが後日談。
それからは誰も久保田さんの話をしなくなった。
あとさ、クラスメイトにこんなことを言われた。
「吹奏楽部さ、男子2人で寂しくないの?」
いや、男の先輩がもう1人いるから寂しくない、って答えた。
でもさ、杉本先輩なんて人この学校にいなかったんだ。
3年生の下駄箱を確認しても、杉本先輩なんていなかった。
どうやら杉本先輩は、3年生が作り出した存在らしい。
男に飢えていた3年生の先輩たちが、理想の男として杉本先輩を作ったんだってさ。
今までまったく疑問に思わなかったことがすごく怖かった。
それでさ、一回合奏を録音して聞いてみた。
そしたらさ、明らかに音が薄い。
20人で演奏したとは思えない音。
どうやら、吹奏楽部には杉本先輩の他にも、幽霊部員がいるみたい。
だけど、知るのが怖かったから、俺はこれ以上は何も調べなかった。
だってもしもその幽霊部員が俺だったら…なんて、思いたくもない。