エピローグ:僕は青空の下で輝いて……
僕は事務所に居た。裁判長が犯罪を犯していたという前代未聞の事件から既に数日は経っていた。
僕は入り口から聞こえたノックの音を聞きつけ、扉を開ける。そこに立っていたのは多逗根さんだった。
「やあ、久し振り」
「お久し振りです」
「入っても?」
「ええ、どうぞ」
多逗根さんはコート掛けにコートを掛けるとソファに腰掛けた。
「今日はどうしたんですか?」
「いやね、この間の事件の被告人だった天道さん、居ただろ? 彼女達からこれを君にって」
そう言うと多逗根さんは持ってきていた紙袋から包み紙に包まれた箱を取り出す。形からして恐らく菓子類の様だった。
「ありがとうございます」
「本当は自分達で来たかったらしいんだけどね、どうも仕事が忙しいらしくてさ」
あれだけの事件があった後でも客足が遠のいていないって事は、それだけあのホテルがいいホテルって事なんだろう。まあ逆にあれが一種の宣伝になったとも言えるかな?
「凛華さん、残念でしたね……」
「まあこればっかりは仕方ないよ。した事は事実だ」
あの事件の後、凛華さんは刑務所に入れられた。殺人は犯していなかったものの、火箸で刺したのは事実であり、更にかつて殺し屋だったという事も理由になっているらしい。
「ここに来る前に会ってきたけど、元気そうだったよ。治美さんも時々会いに行ってるみたいだ」
「そうでしたか……それなら大丈夫ですかね?」
僕は自分がおもてなしを忘れていた事に気付き、急いでコーヒーを淹れ始める。
「気を遣わなくていいよ?」
「い、いえ」
コーヒーを淹れ終わった僕は多逗根さんにコーヒーを出す。
「お待たせしました」
「ああ、ありがとう。……ねぇ守部クン、あれから裁判長がどうなったか知ってるかい?」
「い、いえ……結局あの後姿を消したとしか……」
「やっぱりそうか」
「あの……何か知ってるんですか?」
多逗根さんは口をつけていたカップをテーブルに置く。
「ボクが調べた限りだと、彼はすぐに荷物をまとめて家を出たみたいなんだ。念のために行動を追跡してたんだけどね……途中から急に姿を消したのさ」
「姿を消した? それって逃げられたって事ですか?」
「ボクの推理は違うかな」
「え? じゃあ……」
「ヒント。まだ殺月一族は捕まってない」
「ああ……」
そういう事か……彼は自らが犯した罪の償いをする事になったんだな。もし彼が大人しく捕まる事を選んだとしても、この結果は変わらなかったんだろう。彼は踏み込んじゃいけない世界に足を踏み入れた。それだけならまだしも、その世界の人間を利用しようとした。彼は向かうべき道へと向かったんだ。
「自業自得だね。流石にやり過ぎたんだ」
「珍しいですね? 多逗根さんがそういう事言うなんて」
「そうかな? まあ偶にはそういう日もあるのかもね」
多逗根さんは残っていたコーヒーを流し込む。
「さて……そろそろ行くよ」
「もうですか? もしお暇ならまだ居て頂いても……」
「うん。実はね、ボクこの辺から越す事になったんだよ」
僕の体が少しだけ震えた様な気がした。
「それって、この街から引っ越すって事ですか?」
「うん。元々ボクがこの街に住んでいたのは、父の死の真相を突き止めるためだったんだ。それもこの間の裁判で全部解決したし、もうここに居る理由が無くなったんだよ」
「でも、仕事はどうするんですか?」
「探偵は辞めないよ。ただ、どうもボクは都会に合って無いらしくてね。これからはもう少し人が少ない所で事務所を開こうと思ってる」
正直、止めたい気持ちでいっぱいだった。僕にとっては多逗根さんは頼りになる師とも言える存在だったからだ。僕が推理に行き詰った時にいつもヒントをくれたりして助けてくれた。もし多逗根さんが居なかったら、きっと僕はここまで成長出来ていなかっただろう。でも、ここで止めるのは僕の我が儘だ。多逗根さんの人生は多逗根さんの物なんだ。
「そう、でしたか」
「うん。もしかしたら、またどこかで会うかもね?」
「そうですね……また、どこかで……」
自然と涙が出てきていた。そんなつもりは無かった。ただ笑顔で見送ろうと思ってた。それだというのに、僕の目から流れ出した僕の心は、とても止まりそうになかった。
「よしなよ守部クン。別れに涙は蛇足だよ?」
「わ、分かってます……こんなつもりじゃ……」
多逗根さんは優しく僕を抱き締めた。その体は細身でありながらも、やや筋肉質で安心させてくれた。
「どうしたのかな?」
「不安……不安なんです……。僕は今まで、ずっと多逗根さんに助けてもらってばかりで……もし多逗根さんが居なかったらきっと全然駄目な弁護士だったと思うんです……。だから、一人になったら駄目になるんじゃないかって……」
多逗根さんが僕の背中を軽く叩く。
「大丈夫さ。もっと自分に自身を持ちなよ」
「それだけじゃないんです……今まで甘えてばかりだった自分が情けなくて……」
「別にそんなに情けなくはないと思うよ?」
「前に琴割検事に言われた事、覚えてますか……?」
「……ああ、ボクが助けた弁護士が皆駄目になったってやつだね」
「琴割検事の言う通りでした……結局こうやって甘えて……」
「……ねぇ守部クン、ボクはね? 甘える事って、そんなに悪い事じゃないと思うんだ。人間は誰でも誰かに甘えて生きてるものだし、時には誰かを甘やかして生きてる。それでいいんじゃないかとボクは思うんだけどなぁ」
どうだったかな……僕は誰かを甘やかした事なんてあっただろうか? 多逗根さんや琴割検事や依頼人の人達に助けてもらってばかりだった気がする……。
「それにさ、ボクは今まで助けてきた弁護士の人達の中で君が一番成長したし、頼もしくなったと思うよ?」
「お世辞ですか……?」
「お世辞なんかじゃないさ。ボクはそういう面倒くさい事はこういう場じゃ言わないんだ」
嬉しかった。もし仮にお世辞じゃないというのが嘘だったとしても、それでも嬉しかった。今まで頑張ってきたのが無駄じゃないと感じられた。
僕が体を動かすと多逗根さんは離れた。
「落ち着いた?」
「はい……すみません、最後にこんな情け無い姿見せて……」
「気にする事無いさ。ほら、これ」
多逗根さんは懐から名刺を取り出すと僕に渡した。
「新しい事務所の番号が載ってる。もし何かあったらそこに掛けてくれればいいよ」
「ありがとうございます。なるべく使わない様にします」
「フッ、そうだね。それが一番いいのかもね」
多逗根さんはコート掛けからコートを取ると、羽織ながら扉を開けた。
「それじゃあもう行くよ。新幹線の予約があるんだ」
「分かりました。それではさようなら多逗根さん! また、いつかどこかで!」
「うん。それじゃあね守部クン。君の活躍を祈ってるよ!」
別れの挨拶を終えた多逗根さんは僕の前から姿を消した。一人残された僕は自分用のコーヒーを淹れ、一口飲む。
さて、気合を入れよう。今日から僕は一人で頑張って行かないといけないんだ。いや、一人でも頑張っていけるんだ。多逗根さんにまた会った時に恥ずかしくない様な人間になろう。僕はもう新人じゃないんだ。
気持ちを改めていると電話の音が事務所内に響く。僕は急いで電話に駆け寄り、受話器を取る。
「はい! こちら守部法律事務所です!」
今日から新しい僕の仕事が始まった。




