2-5
厚い黄褐色の防砂布で躰を覆った男は、今にも車輪が外れそうなガタガタいう荷馬車を連れて現れると、蜃気楼商会の店の前で立ち止まった。
店番をしていた金髪の女性、カディマは一瞬、目を瞠り驚いたが、すぐに顔をしかめた。
「あら、伝書鳥では帰るのは月の終わりになるって言ってたじゃない。もしかして、交渉がうまくいかなくて逃げ帰って来たんじゃないでしょうね」
カディマに言われて、ブザンソンは口の端でにやりと笑った。
「おいおい、誰に言ってんだ。おれが交渉事で失敗なんかしたことあるか。予定外だが、チョザ(旧タザリア王国の王都)に寄ったら別の仕事を頼まれてだな――」
説明しながらブザンソンは、腰に手を当てて胡散臭そうに自分を見ているカディマから、少し視線を外した。そして、数ヤール離れて近くに停まったままの二頭の馬と、騎乗している人物を眸にするなり、あんぐりと口を開けた。
ジグリットはそんなブザンソンをずっと見ていた。その男は相変わらず、ひょろりと長身で痩せており、長い髪を後ろで一つに括り、砂漠の国ゲルシュタイン人が着る防砂布を羽織っていた。
「久しぶり・・・だな。ブザンソン」ジグリットはなぜか彼に面と向かって挨拶するのが恥ずかしくなり、俯き加減に言った。
ブザンソンと蛍藍月の初旬に別れてから、季節一つ分の時間が経っている。何年も会っていない友人に突然出くわしたように、ジグリットははにかんだ。
エレモス島で一緒に来ないかと誘われたのを断ったくせに、のこのこと彼の店にやって来たこともその一因だった。
だが、ブザンソンはまったく逆だった。
「チョマァァァッッ!!」
突進して来たかと思うと、ジグリットの腰を掴み上げて馬から強引に降ろし、長く会っていなかった子供を見つけた父親のように抱き上げたまま喜びを爆発させる。
「会いたかったぜ、相棒!」
そのまま宙に放り投げそうな勢いで、ブザンソンはジグリットを抱えたままぐるぐると回った。
「ちょ、ちょっと、危ないよ・・・・・・、ブザンソンッ!」
困惑しているジグリットを見上げるブザンソンは満面の笑みだ。
「しばらく見ない間に大きくなったなぁ!」と、感激している。
ジグリットは苦笑いになった。「ひと月前に別れたばかりだろ」
「いやいや、やっぱり大人の顔になってきたぞ。背も伸びたんじゃないか? けど、前に抱き上げたときと重さは変わんねぇなぁ。ちゃんと飯食ってんのか? おまえ、小食だからなぁ。好き嫌いしてんじゃねぇだろうな」
ブザンソンは回るのは止めたが、抱き上げたジグリットを右から左から観察しながら言う。
ジグリットは呆れた顔で彼を見下ろした。
「ちゃんと食べてるから心配しなくていいよ。それより、もう下ろしてくれ。その・・・は、恥ずかしい・・・だろ・・・」
小さな子供のように扱われて、羞恥にジグリットは周囲をちらっと見回した。さっきから黙っているカディマは、にまにま笑っているし、隣からは冷たい視線が突き刺さっている。ファン・ダルタだ。
黒い騎士はブザンソンがジグリットを掴み上げた瞬間、馬から降りていたが、それが知人であることがわかると黙って監視していた。だが、そろそろ我慢も限界にきていた。
「おい、もういいだろう。そいつを離せ!」ブザンソンに近づき、腕を掴む。
「痛てててて、乱暴な兄ちゃんだなぁ」ブザンソンは騎士に腕を引かれて、仕方なくジグリットを地面に下ろした。
ふっと笑いながらジグリットが言う。「相変わらずで安心したよ」
「おまえもな。でも、やっぱり、ちょっとがっしりしたな。頬の肉が削げちまってるじゃねぇか、前はもっと、もちもちしてただろうが!」ブザンソンは手を伸ばし、「どれどれ」とジグリットの上衣の裾から手を突っ込んだ。「腹にも筋肉がついてきてるかな」と言いながら、お腹を撫で始める。
「や、やめろ・・・くははっ! どこに手を入れてるんだ!」
くすぐったくて、ジグリットが身をよじると、同時に横から冷淡な声と共に、銀色の刃がブザンソンの首に突きつけられた。
「おい、そいつに触るな! 首を刎ね飛ばすぞ!」
ひやりと冷たい空気が流れ、本気で怒っているらしいファン・ダルタに、わけがわからずブザンソンが慄く。ジグリットは溜め息を吐きながら、刃の先を指先で掴み上げた。
「ファン、すぐに剣を抜くのはやめろ」
騎士は抜いた剣をゆっくり退くと、仏頂面で鞘に戻した。
「これまた、怖そうな兄ちゃん連れて来たな・・・」
「すまない」
なぜ自分が謝らなければならないのか。ジグリットは横目でじろりとファン・ダルタを睨んだが、反対に睨み返されてしまった。