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続タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
地底の魔学者
6/14

2-4

 中央広場から西の霧立ち通り(ネブロースアベニュー)へ入ると、幅の狭いうねった小路が続いていた。両側から覆い被さってくるような高層の煉瓦造りの建物の間をジグリットとファン・ダルタは通り過ぎて行く。

 ジグリットは馬上から小路を走り抜ける子供たちの姿を見て、ふと昔のことを思い出していた。えた臭いのする小汚い貧民窟の中で、仲間たちと過ごした日々。それはまるで夢のように遠い過去の一つだった。

 ――ぼくがこんなところでこんな風に生きることになるだなんて、あの頃は思いもしなかったな。

 自嘲気味に微笑んでいると、前方を歩いていた騎士が振り返った。

「ジグリット、また雨だ」

 彼の言葉に顔を上げたジグリットの頬に、再び曇ってきた空から大粒の水滴が落ちてきた。外衣マントの頭巾を被り、俯く。

「どうやらまた本降りになりそうだな」騎士はひらりと自分の馬に跨り、足を速めた。

 石畳の緩やかな階段を馬で上っていたそのときだった。

 脇道から突然、二人の男が飛び出してきた。ファン・ダルタが手綱を操り、機敏に避け、衝突は免れたものの、男の一人が足を取られて転びそうになる。

「おっとっと」

 なんとか体勢を持ち直した男は、馬上のファン・ダルタを見上げて肩を竦めた。

「いやぁ、悪い悪い、兄ちゃん」

 雨が降って来たので慌てていたのだろうと、騎士は淡々と頷き返す。

 男は枯草色の長い髪をした若者で、寒冷地用の厚手の外套(コート)を脱いで手にかけていた。だが、外套とは裏腹に、中に着ているのは薄い上衣(シャツ)だけのようで、布越しに立派に盛り上がった二の腕が見えていた。

 もう一人の男も似たような服装、体格をしていて、転びそうになった仲間を後ろから小突いた。

「おい、何やってんだ! 行くぞ!」

 急いでいるらしく、二人はファン・ダルタの後ろにいたジグリットには一瞥もくれず、さっさと走り去って行く。ふと、ジグリットはすれ違いざまに、枯草色の髪の若者が放った言葉に顔を上げた。

「ナターシのやつ、おれたちを一睡もさせないつもりだぜ」

 振り返ったジグリットは、もう一人の黒髪の男がぼやき返すのを見た。

「黒の城砦からこっち、ろくに寝てねぇからな。せめて街に着いた日ぐらいは休ませて欲しいぜ」

 騎士の乗った馬がさっさと歩き出し、ジグリットの馬もそれに付いて進み出す。

 振り返ったまま、ジグリットは遠ざかって行く二人の男の背中をじっと見つめた。

 ――ナターシ・・・・・・。

 その名前を忘れることなど生涯ないだろう。かつての仲間。妹のような女の子。褐色の髪と肌の少女。

 ――ナターシじゃない。あれはきっと別人のことだ。

 同じ名前の人物など、探せばいくらでもいるはずだ。そうに違いないのに、ジグリットは気になってファン・ダルタに立ち止まるよう頼むべきか迷った。

 ――今すぐ戻ってもらえば、あの男たちに話を聞ける。

 ――ナターシがどんな人なのか。

 ――もし、火傷のある女の子だったら・・・・・・。

 でも、とそこで自分の声が聞こえた気がした。

 ――本当にナターシだったら、自分はどうすればいいのだろう。

 ナターシはかつて浮浪児だった頃の仲間だが、ジグリットがタザリア王国のアイギオン城に連れて行かれてからは会うこともなかった。

 二人が育ったエスタークの街にあった貧民窟の建物は焼け落ち、今はもう跡形もない。ナターシがバルメトラという遊女と共にその地を去ったことを知ったのは、随分後のことだった。

 ジグリットが物思いに耽りながら、ファン・ダルタの後を付いて行っていると、少し開けた場所に出た。

 小路と小路が交わる広場に、たくさんの店が並んでいる。表の大通りとは一変して、辺りには質素な服装の客が行き交っていた。表が観光客用の店構えだとすれば、ここはフェアアーラの町民が普段買い物をする場所なのだろう。

 辺りを見渡していると、ジグリットの耳に女性の悲鳴が聞こえた。

 一軒の店の前で、色彩豊かな花柄の上下衣(ワンピース)を着た金髪(ブロンド)の女性が、赤毛の大柄な男に腕を掴まれている。

 女性は懸命に離れようとしているが、男は乱暴な仕草で彼女を引きずり連れて行こうとしていた。

 周りには十人以上の人がいるが、気の毒そうに見ているばかりで、助けようとする者はいない。

 ジグリットは馬に拍車をかけて女性と男の方へ近づいた。ファン・ダルタも付いて来る。

「おい! 嫌がってるじゃないか、やめろよ!」

 馬上から男に声をかけると、二人は顔を上げ、ジグリットを見た。

「あら!」と女性が驚いたように呟く。

 男は声の主が少年だと知ると威勢を取り戻し、再び傲慢な態度に出た。

「ンだと、この小僧(ガキ)! 邪魔すんじゃねぇ!」

 ジグリットは凄まれてもまったく動じず、淡々と男を見返し言った。

「嫌がっている女性を無理に連れて行くだけの理由があるのか?」

 冷静なジグリットの言葉に、男は少し怯んだ。

「お、おうとも! こいつの店で買った魔道具が壊れちまったのよ! すぐに直してもらわねぇといけねぇから、一緒に来てもらおうとしてただけだ!」

 もっともな言い分に思えたが、ジグリットは訊ねた。

「一体どんな魔道具なんだ? ここに持って来て修理してもらえないのか? この人が行けば本当に直せるのか?」

 矢継ぎ早に訊かれた男がまごまごし始める。

「う、うるせぇよ、てめぇに関係ねぇだろうが!」

 すると、腕を掴まれていた女性が言った。

「こいつ、うちで買い物なんかしたことないのよ! 言いがかりよ! うちはね、すぐに壊れる物なんか一つだって売ってないんだから!」

「うるせぇぇぇぇッッ!!」

 男がぐいと腕を引っ張ったので、女性はまた甲高い声を上げた。

「キャッ、痛いじゃない!」

「いいから来いッ!」

「嫌だってば!」

 また引き合いが始まり、ジグリットは馬から降りてどうにかするしかないと思ったが、そんな二人の間にすうっと銀色の鉄の塊が突き込まれた。

 ジグリットは思わず苦笑いを浮かべた。

 ファン・ダルタは抜いた剣を二人の間に差し出すと、冷ややかな声で告げた。

「いい加減にしろ。喧嘩をするなら余所でやれ」

 男は剣を目にすると、さすがに血の気が引いたのか、後ずさった。

 しかも、誰が見てもファン・ダルタの黒い剣は立派な業物(わざもの)で、名のある騎士が持つ物だと知れたため、男は二歩、三歩と離れて行き、やがて大声で「覚えてやがれよ」と叫ぶと、走り去ってしまった。

「なんで無法者(ごろつき)はみんな同じことを言うんだろう」

 ジグリットが心底不思議そうに言うと、ファン・ダルタは腰に剣を戻しながら呆れたように答えた。

「言葉を知らないんだろ」

 そんな二人の横にいた女性は、じっとジグリットのことを見つめていた。

 そして、男が消えるとさらにジグリットの馬に近寄り、その頭巾の下の顔を覗き込んだ。

「あら? あらあらあら?」

 女性に見つめられていることに気づき、ジグリットが頭巾を脱ぐ。

 すると、女性はパンと手を合わせた。

「やっぱり! あんた、前に港で会った子じゃない?」

「えっ?」

「ほら、忘れた? ワッサイの港で会ったでしょう。あんたはブザンソンと船に乗ろうとしてたわね。エレモス島行きのさ」

 ジグリットがきょとんとしている間も、女性は嬉しそうに話し続ける。

「ブザンソンと一緒にいた可愛らしい男の子でしょう? ほらほら、あのとき、あんたはあたしが『足がまだ痛い?』って訊いたら『今は痛くないです』って言ったじゃない」

 ようやくいつのことか思い出し、ジグリットは目を(みは)った。 

「あ! ああ、あの時の・・・・・・」

「なぁに、やっぱり忘れてた? こんな美女を忘れるなんて、まだまだお子様だねぇ。あたしに会った男はみんな忘れたりしないってのに」

 からからと女性が笑い出したので、ジグリットは肩を竦めた。

 そう言えば、ブザンソンと大陸の南にあるエレモス島へ渡る前、船着き場でこの女性に会っていた。

 ブザンソンには彼の店、蜃気楼商会の隊商仲間の奥さんだと紹介されていたが、たった一度、それも通りすがりに会っただけなので、ジグリットはすっかり彼女のことを忘れてしまっていた。

 だが、彼女の方は覚えていてくれたらしい。

「すみません」

 謝ったジグリットに、女性は気にしていない様子で明るく笑った。

「ハハッ、いいよいいよ、それより助かったわ。あの男、本当にしつこくって! おそらく大通りの商売(がたき)のとこの用心棒よ! うちの商品に難癖つけるだけじゃ飽き足らなくて、最近じゃ、ああやって嫌がらせまでしてくるの。うちの店に問題があると思わせたいのさ!」

 まったく困ったものだわ、と呟く女性に、ジグリットは微笑んだ。

「手助けできてよかったです」

 女性はファン・ダルタの方も見上げた。

「そっちのお兄さんも強面だけど、なかなかいいわぁ。あたし、好みよ」

 ぱちんと瞬き(ウインク)されて、ファン・ダルタが渋い顔をする。

 女性は再びジグリットを見ると訊ねた。

「ふふっ、それでわざわざこんなところまで来るなんて、ブザンソンに用があるの?」

 ジグリットは女性の後ろに広がる小間物屋のような一軒の店を見た。

 銅版の少し(さび)ついた『蜃気楼商会』と書かれた看板が軒から垂れ下がり、店の中に入り切らなかった雑多な商品が、広場の石畳にまではみ出ている。

 商品は色々ありすぎて統一感が見当たらない。茶器に古びた巻物、女性のお洒落着(しゃれぎ)洋琴(ダルシマー)のような弦楽器に、釣り道具、見たことのない物も積み上がったり転がったりしていた。

「ここは蜃気楼商会ですよね?」

 ジグリットが訊ね返すと、女性は微笑んだ。

「そうよ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! フェアアーラ広しといえども、この品揃えに適う店は、一軒もないよ! 金物、織物、名品、珍品、魔道具だって選り取り揃って、この安さ! 交渉次第でお値打ち物を手にできるよ!」

 女性が言葉巧みに、呼び口上を始めた途端、周囲の他の店から声がかかった。

「よ! いいぞー、カディマ!」

「カディマ、最高!」

「今夜相手してくれー!」

 肉屋や粉屋、家具屋の声に、カディマと呼ばれた女性は腕を振り上げた。

「ちょっと、あんたたち、さっきまで知らん顔してたじゃないのさ! まったく調子がいいんだから!」

 怒ったふりをしつつも、半分呆れた笑いがこもっていた。

「ここらの人って、品ってものがないのよね」

 溜め息をついた女性に、横から別の声がかかる。

「いいじゃねぇか、そんな大層なもんじゃあるまいし、一晩ぐらい売ってやれよ、百ルバントぐらいでよ」

「そんな安いわけないでしょー!!」

 目を吊り上げたカディマは、荷馬車を引っ張って小路から出て来た男を見つけるなり、飛び上がりそうなほど驚いた。

「って! ブザンソン!? あんた、いたの?」

「いたよ!」

 にっと笑って答えた長身の男に、カディマだけでなく、ジグリットも目を見開いた。


紙の本で読みたい方はポイントつけてくださると、いつか日の目を見るかもしれません。

みなさんはどっちがいいのかわかりませんが、私はあづみさんの絵が大好きなので紙の本になると嬉しいなと思っています。

ではでは、のろのろ進行ですが、今後ともよろしくお願いします。


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