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続タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
地底の魔学者
5/14

2-3

 しばらくすると部屋の戸を叩く音がして、ジグリットとファン・ダルタは話を止めた。二人の男女が待合室へ入って来る。

「お待たせしました」先ほど出て行った長衣(ローブ)の青年だ。彼は片足のジグリットが立ち上がると、「ああ、座っていてよろしいですよ」と微笑んだ。

 青年の背後には十五、六才ほどの少女が立っている。ジグリットは立ったまま、その女の子をまじまじと見た。紺色の長衣は青年の物とは違い、襟元と裾に金の縁取りの刺繍が入っている。頭巾を目深に被っているせいで、小さな白い鼻より下しか見えないが、薄く色づいた唇と細い顎、そしてゆったりとした長衣を着ていても女らしい体格が僅かに見て取れた。

 少女は被っていた頭巾を脱ぎ、ジグリットとファン・ダルタに顔を向けた。見たことのない変わった眸の色をしている。まるで燃え盛る松明のように橙がかった赤い瞳だ。肩より短い金色の髪は、芳香油を塗ったように艶やかに輝いていた。

 ――魔道具使い・・・・・・には見えないが・・・・・・。

 だが、赤い瞳を持つ者に、ジグリットは会ったことがあり、少し嫌な予感がした。よく知るその赤い瞳の少女はまだ幼かったが、不可思議な力を持ち、望んだ人物がどれだけ遠くにいても覗き見ることができる眸を持っていた。

 ジグリットは突然、現れた少女に困惑しながらも訊ねた。

「あの、魔道具使いを貸していただきたいんです」

 少女は青年より前に出て来ると、ジグリットをまっすぐに見つめ言った。

「それは重々、承知しております」

 顔をしかめた青年が後ろから少女に助言する。

「ロッサ様、この者たちはどういった用件で魔道具使い(マグトゥール)を所望しているのか、はっきりしないのです。今はベルーフ様もおられませんし、御断りした方がよろしいかと」

 少女は青年の言葉がまるで聞こえなかったかのように、ジグリットにさらに歩み寄った。

「こんにちは、わたしはヴェーラ・ロッサ。あなたが、わたしたちの待ち望んでいた金の月ね」

「えっ?」

 “金の月”という言葉に、ジグリットは驚いた。それは、かつてタザリア王国で地下に潜み暮らしていた魔道具使いがジグリットに向かって言ったことと同じだった。

「ロッサ様、このようなところへ出向いたなどと知れれば、他の叫導衆(ステントール)の方々に叱られますよ」

 青年がしきりに後ろから言うと、少女は穏やかな表情を一変させ、振り返って怒鳴りつけた。

「お黙り、サイアン!」

「ひっ!」青年が顔を強張らせる。

「どこへ行き、誰に会うかは、わたしが決めること」

「し、しかし、ロッサ様・・・・・・。ベルーフ様が・・・・・・」

「出てお行き!」少女は自分より頭一つ半も背の高い青年に腕を振り上げた。

「ひいッ!!」

 青年は身体を仰け反らせ、怯え切った表情で、転げるように部屋から出て行った。バタンと大きな音を立てて戸が閉まると、少女は肩を下ろし、また微笑みを浮かべてジグリットを見た。

「ごめんなさいね。みっともないところをお見せしてしまったわ」

 ジグリットは黙って頭を振った。卓を挟んでファン・ダルタが、ずっと立っていたジグリットを慮って松葉杖を寄越してきた。それを受け取り、ジグリットは彼女に何者なのか問おうとした。だが、先に少女が口を開いた。

「わたし、ずうっと待っていたのよ。あなたを」

「何を言ってるんですか?」ジグリットは訊き返した。少女に会ったのはこれが初めてだ。

「あなたは預言者の存在を信じる?」

「預言者?」

 少女は不思議そうなジグリットに優しく頷いた。

「ええ、われわれ魔道具使いの中には、預言をする者がいるの。あなたは、その預言に出てくるのよ」

「・・・・・・あの・・・・・・?」

「いいの。信じようが信じまいが、そんなことはどうでも。ただ、あなたはわれわれにとって、選ばれなかった金の月。あなたが何をしようとしているのか、わたしたちは知っているわ」

「・・・・・・」

「でも、このままではあなたの望みは叶わない。その前に銀の蛇がこの大陸を治めるでしょう」戸惑いながらも黙って聞いているジグリットに、少女は淀みなく話した。「あなたはがんばってると思うわ。でも、わたしたちは力を貸すことはできない。わたしは、あなたでもよかったのよ。でも、他の人たちが決めたことなの」

 気の毒そうな彼女の話しぶりに、ジグリットはようやく言った。

「君が話していることは、ぼくには理解できない」

「理解しなくていいの。これはあなたの話だけれど、あなたには関係ないもの」

 ジグリットはハッとした。

 ――この会話・・・・・・。

 ――この話しぶりは、まるで、あの日の魔道具使いの老婆のようだ。

 気が狂っているようにも思えたタザリアの地下にいた魔道具使いも、ジグリットにも誰にも理解できないような、自分にだけわかればいいとさえ思えるような話し方をした。

 ジグリットは慎重に彼女に訊ねた。

「ぼくに関係ないと言うなら、なぜ話すんだ?」

「わたしが預言者だからよ」少女はきっぱりと言った。「魔道具使いの中でも、預言者は稀有な存在。知っていることを、相手に話すことによって、自分の存在を獲得する。話すことしかできないし、話すことは義務。あなたがここに来た。だから、わたしは話しているの」

「自分勝手だな」

「そうよ。預言者はそういう者」少女はにこっと微笑んだ。「預言では、銀の太陽と金の月は、どちらかが砕けるまで昇り続ける。われわれは金の月を選ばなかった。だから、このままでは砕けるのは、あなた」初めて少女は顔を曇らせた。「かわいそうな金の月。魔道具使い協会(ギルド)の支援を受けられることは未来永劫ないのよ」

「その言葉の意味はわかった」

 ジグリットが告げると、少女は憐憫に満ちた目で言った。

「わたし、賢い子は好きよ。やっぱりわたしは、あなたがよかったな。蛇の王は、どうも血(なまぐ)くて危ういもの。それにあの(おんな)。あの女がもたらすものは、どちらにとっても災厄。あなたが逃げ出せて本当によかった」

「今の君の言葉は、まるで・・・・・・」

「そう、まさしくわたしは、あなたを見ていた。あなたの定められた過去と未来を――」

「未来はまだ決まっていないものだ」

「いいえ、違う。ある部分の未来はもう定まっている。確かにすべてではない。まだ見えない未来がある。だから、われわれ魔道具使いも、どちらを選ぶか決めなければならなかった。あなたは金の月。それは定められた運命。銀の太陽と相対するまで、あなたが砕けることはない」

「それを信じろっていうのか」

「あなたは信じていないでしょうけど、いずれ感謝するはず。その運命のおかげで、あなたはいろんな人に再会する。再会し、別れ、そしてあなたは選ぶ。わたしたちが選んだように、あなたも最後の選択をする」

 ヴェーラ・ロッサが目を伏せ、悲しみを堪えるような表情をしたときだった。

「ロッサ様、そこまでになさってください」

 突然、戸が開き、廊下から大柄な女性が入って来た。身を屈めなければ戸の上部に額を打ち付けそうなほど背が高く、がっしりとした女性だ。長衣は薄青色で、深緑の縁取りと胸に心臓の形の刺繍が施されていた。

「ニバーラ」振り返ったヴェーラ・ロッサはすぐに謝罪した。「ごめんなさい。でも、わたし・・・・・・どうしても、この子と話したかったの」

「あなた方、預言者が話したがりなのは知っています」ニバーラと呼ばれた中年の女性が渋い表情で返す。

「そう。わたしはお喋りなのよ。それに話さないと力を失ってしまうわ」

 ヴェーラが言い訳すると、ニバーラは溜め息をついた。

「ですが、運命について人に話すのはいけないことです。特に――」

「「――世界を司る重大な運命については」」二人は同時に、一言一句違わぬ言葉を放った。

 ヴェーラが俯く。「ええ・・・・・・。ええ、わかっているわ。でも、彼には知る権利がある。わたしたちが、彼に力を貸さない以上、これぐらいのことは赦されるべきよ」

「長老方に折檻されるのは、あなたなんですよ」

 ニバーラに睨まれても、ヴェーラは臆さなかった。

「構わないわ。痛みや恐怖でわたしを躾けることはできない。わたしは野の薔薇、預言者ロッサなのよ。たとえ、協会に心臓を奪われた魔道具使いだとしてもね」

「ロッサ様・・・・・・」

「ニバーラ、わたしは部屋に戻るわ。あなたが二人を外へ。お願いだから断らないで。そして、二人を誰にも――」そこで、ヴェーラは真剣な眸で頼んだ。「誰にも渡さないで!」

 ニバーラはまた溜め息をついたが、ヴェーラの頼みを呑んだ。

「わかりました、ロッサ様。必ず彼らは無事に蜃気楼商会に辿り着くでしょう。そこから先のことなど、わたしには知りませんが」

 ヴェーラは一度だけ振り返り、ジグリットを見た。憂いを帯びた悲しげな瞳で。そして、少女は足早に廊下へ出ると、ぱたぱたと軽い靴音を立てて去って行った。

「あの子は一体・・・・・・」

 ジグリットもファン・ダルタも、突然の少女との邂逅にただ驚いていた。

 ニバーラが告げる。「ヴェーラ・ロッサ様は、魔道具使い協会の叫導衆(ステントール)の一人です」

叫導衆きょうどうしゅう?」

「魔道具使い協会にいるもっとも偉大な八人の預言者たちのことです。魔道具使い協会は彼らの預言によって動いているといっても過言ではありません。彼らがわれわれの頭脳であり、われわれの道義を決める心でもあります」

 驚嘆しているジグリットとファン・ダルタにニバーラは首を振った。

「ですが、あの方が言ったことは忘れた方がよろしいでしょう。あなた方のように外から来た人と話がしたかっただけですよ。気を引こうとして、他愛のない世迷言を言うのも、また預言者の性質の一つ」

「・・・・・・」

 ジグリットにはヴェーラが嘘を言っているようには思えなかった。だが、今ここでさらに詳しい話を聞くことが無理なことはわかっていた。

 ニバーラはヴェーラに頼まれた通り、ジグリットたちを協会から連れ出すと、街の中を素早く歩き、とある場所へと(いざな)った。ジグリットだけ馬に乗り、ファン・ダルタは手綱を曳いて歩いて行く。

「蜃気楼商会は第九区画です。ここから大通りを突き当たりまで直進した後、西の霧立ち通り(ネブロースアベニュー)を行ってください。第九区画のほぼ中心にある店です」

 ジグリットはニバーラには何も訊ねなかった。なぜ、ヴェーラがジグリットの知己であるブザンソンのことや、彼の店、蜃気楼商会を知っているのか。そんなことは先ほど聞いた預言に比べれば瑣末なことだった。

 街の中央広場に着き、ニバーラが説明するのを聞いて、ジグリットはただ頷いた。

「わかりました」

「感謝する」と、ファン・ダルタも告げる。

「では」ニバーラは役目を終え、去って行こうとした。

 だが、ジグリットはやはり彼女に声をかけた。

「・・・・・・あの、」

「何でしょう」ニバーラが振り返る。

「ロッサさんに伝えてもらえませんか? またお会いできるときを待っていますと」

「・・・・・・承知しました」ニバーラはにこりともしなかったが、一礼し、協会の方へと戻って行った。

「・・・・・・」

「何を考えている?」

 黙ってニバーラの後ろ姿を眺めていたジグリットに、ファン・ダルタが馬の手綱を手にしたまま訊ねる。

「魔道具使いは苦手だ」

「雇いたいんじゃなかったのか?」

「もちろんだよ。だけど・・・・・・。やっぱり、どの魔道具使いも苦手だ」

 ジグリットは大きく息をついた。自分が他人にどう見られているのか、預言や運命という言葉の中で玩ばれているのかもしれないと思うと、いい気分はしないものだ。

「それでこれからどうする?」ファン・ダルタに訊かれ、ジグリットは答えた。

「蜃気楼商会に行こう。協会が無理なようなら、ブザンソンのところへ行こうと思っていたからな」

「ブザンソン・・・・・・」騎士は顔をしかめた。「おまえを血の城から逃がしてくれたってヤツか」

「ああ。ブザンソンは練成人形を連れていたんだ」

「魔道具使いが作る生きた人形のことだな」

「そう。だから魔道具使いと面識があるかもしれない。練成人形を譲ってもらえるほどの関係なら、こちらの話を聞いてもらうことも可能だろう」

 馬上からジグリットが告げると、ファン・ダルタは肩を竦めた。それしか手がないのなら仕方がないといった表情だ。

 警戒心の強いファン・ダルタが、他人をそうそう信用しないことはジグリットも知っていた。だが、ブザンソンは守銭奴だが悪人ではない。

「わかった。とりあえず、当たってみよう」

 騎士は馬の手綱を引っ張り、ニバーラの言った西側の霧立ち通りへと歩き出した。


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