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街の入り口にあたる白い石造りの門が遠目からも見えるようになってくると、ジグリットは馬の肢を速めて、先行していたファン・ダルタに並んだ。雨は国境を越えた頃、小降りになり始め、ウァッリス公国へ入ってからはすっかり止んでいる。
ゾグワナ岩砦を出て、すでに九日目。二人はようやくウァッリス公国の首都、フェアアーラへ着いたところだった。通常の馬なら二十日はかかる距離だったが、砦でも指折りの軍馬を二頭借り、雨の中の山道を半分以下の日数で来たのだから上出来な旅だったといえる。
「フェアアーラへようこそ!」
「学問と文化の都、フェアアーラだよ!」
華美に装飾された巨大な石柱を両脇に据える北の門には、門兵が十数人立っていたが、彼らはジグリットとファン・ダルタを見ても、特に訝しむ様子もなく、にこやかに街に入れてくれた。基本的に足止めをくらっているような人は見当たらない。
ウァッリス公国は学問の都と呼ばれ、大陸の他の国に比べて来訪者に寛容だった。それはこの国が王権政ではなく、民主的な二院議会制であることも関係している。さらに、ウァッリスは魔道具使い協会の総本部がある場所でもある。
魔道具使いは、大陸に眠っている現代の知識では仕様、材質などが解明できない遺物、魔道具を扱うことを許された者たちのことで、全員が魔道具使い協会に在籍している。はぐれ魔道具使いがいないわけではないが、もし協会に見つかれば問答無用で処刑されるほどの大罪となっていた。
魔道具には古代の兵器だった物も多く含まれているため、魔道具使い協会は、大陸の国々と同等、もしくはそれ以上の権威を持っていた。その総本部があるウァッリス公国は、協会の恩恵を与えられ、学問と文化に特化した国として、他の国々とは違い滅多に戦争の起こらない平穏な国として栄えていた。
ジグリットが少し緊張気味に門をくぐり抜けると、花籠を持った笑顔の少女たちが駆け寄ってきた。ジグリットの馬の鬣に可憐な白い花を差し込んでくれる。
「あ、ありがとう・・・・・・」
わけもわからず礼を言ったものの、ジグリットは困惑しつつ街へ入って行った。
同じように馬の鬣に花を飾られたファン・ダルタは、渋い顔をしてそれを見下ろしていたが、「見ろ、ジグリット」と捨てようと花を手にして、巻いてある小さな紙切れに気づいた。
ジグリットも花の茎に細い紙が巻きつけてあるのを見つける。
「なんだ?」
細い巻き紙を開くと、宿屋と食堂の場所が書いてあった。
「なるほど、なかなかいい宣伝だな」
感心しながら、ジグリットは白い小さな花をまた馬の鬣に挿し込んだ。長旅で疲れているせいか、花一輪でも心が和む。だが、ファン・ダルタは情緒の欠片もない仕草で花も紙切れも捨てると、目を細めて辺りを睨みつけるように窺い始めた。いつものことながら警戒心の塊のようになっている。
街の中心部へ至る通りは、馬車が四台はすれ違えるほど広く、その両脇に整備された煉瓦敷きの舗道が付けられ、一階を店舗にした四階建て以上の建物がびっしりと通りのずっと先まで続いていた。
「すごいな」ジグリットは目を瞬かせて、辺りを見回した。
「ああ」とファン・ダルタも頷く。「チョザの活気の良さも大したものだが、ここはまた別格だな」
通りの一階はすべて店舗になっている。麺麭屋、薬屋、飲食店、酒屋に家具屋、買えない物などなさそうな店の並びに加え、ありとあらゆる国々の衣服に身を包んだ人たちが大勢、ざわめきながら舗道を歩いている。
二人は何十台もの馬車や、舗道を歩く洗練された服装の人々を、馬上から驚嘆しながら眺めていた。
「ジグリット、フェアアーラに来るのは初めてなのか?」騎士が訊ねる。
ジグリットは彼に顔も向けず、豪華な金色の扉を付けた二頭立ての御者付きの馬車が通り過ぎるのを見ながら言った。「近くを通ったことはあるけど、いつもこの都市は素通りだったんだ」
通りを行く馬車の波に押されて、ジグリットの馬が離れ始めたので、ファン・ダルタは手を伸ばして強引に手綱を取り、自分の方へと引っ張った。
「おい、ジグリット。ぼうっとするな」
しかし、ジグリットは様々な店の商品を持てるだけ持って歩いている婦人や、とんでもない高さの山高帽を被った老紳士をまじまじと観察していて、まるで聞いていなかった。
「アルケナシュのフランチェサイズみたいだ」
一度だけ行ったことのある大陸の東に位置するアルケナシュ公国の首都、フランチェサイズを思い出し、ジグリットは呟いた。大聖堂を中央に据えるその街も活気に満ち溢れていたが、ここはまた少し違った雰囲気を醸し出している。
「あの建物・・・・・・あんなの見たことないよ・・・・・・」
通りのずっと前方に、先ほどから天辺だけ見えていた建物に二人は近づいていた。徐々に顕わになってきた建物は、まるで球体を二つに切ったような円蓋形の屋根が乗っていて、真っ白な壁面は陽射しを照り返し、その様はまるで硝子のように艶やかで、空の雲や正面の街の姿を鏡のように映し出していた。
壁全体が硝子でできている建物など見たことのなかったジグリットは、何度も瞬きをして、見間違いなどではないことを確認した。
「一体あれは、何の建物なんだ?」
どれだけの費用がかかっているのか、と茫然としているジグリットの横で、ファン・ダルタがその円蓋屋根の隣に並ぶ建物を指差した。
「あの塔から出ている旗を見ろ。あそこが学士院だ」
円蓋屋根の硝子張りの建物の横に、大きな塔付きの長方形の建物があり、その塔の最上階の窓から大きな旗が突き出していた。旗の紋様は月と筆だ。
月と筆の旗印がウァッリスの学士院を示すものだとジグリットも知っていた。
「本当だ」ジグリットには旗の一部分しか見えなかった。塔の前方に高さが十メートルはあろうかという鉄柵が聳えていたからだ。「あれが学士院・・・・・・」
街の高層の建物に遮られて全貌はわからないが、上に突き出した部分だけを見ても敷地の広さや規模を窺い知ることができる。
何もかも尺度が桁違いだ。ジグリットはもう馬の制御をまったくしていなかった。なので、手綱を操っているのはファン・ダルタだった。
「ジグリット、眸を丸くしているところ悪いが、魔道具使い協会は、もう少し先のはずだ」
横から代わりに馬の手綱を引っ張ってやり、呆気に取られているジグリットを騎士は街の中心地へ向かわせた。
ときどき足したり直したりと改稿することがあると思います。
話の筋は変わらないはずなので、気にしない方は読み返さなくても大丈夫かと。