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続タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
地底の魔学者
13/14

第二章 地底探索行


          1


 ブザンソンの蜃気楼(しんきろう)商会から場所を移して、ジグリットはファン・ダルタと共に飲み屋街にある酒場に座っていた。とっくに赤ら顔になっているブザンソンは、ファン・ダルタと向かい合い、麦酒(エール)を手に陽気に話を続けている。

 とはいえ、話しているのはブザンソンばかりで、ジグリットは薄い葡萄酒(ワイン)と焼きすぎて硬くなった骨付きの鶏肉をちまちまと歯で千切り取っていたし、ファン・ダルタはしきりに彼に質問し、二人が血の城から脱出し、どうにかこうにかエレモス島へ辿り着いた話を延々と聞いていた。

 ジグリットは、ブザンソンの少しばかり誇張した話を最初の内は訂正していたが、すっかり飽きてしまい、今は大人のように酔うこともできず、ふて腐れていた。

「いやぁ、帝国の殺人鬼の追跡を物ともせず、おれっちとチョマは果敢に戦い、時に(かわ)し、そりゃもう手に汗を握る道行きだったわけよ!」

「なるほど」ファン・ダルタが真剣な顔つきで頷く。

「何度倒したと思っても、ヤツは不死身のごとく立ち上がり、おれ達を追って来たんだ! 冥府から甦った化け物かと思ったね、おれは!」

 ふんふん、と相槌を打ち、ファン・ダルタが聞き入るのを、ジグリットは冷めた眸で見た。

 すでにジグリットにとって、それはかなり過去の出来事になっていた。エレモス島から再び大陸に渡り、冬将の騎士に会うまで、そしてその後にも色々あった。ありすぎたほどだった。

 ジグリットはつまらなそうに周囲を見回した。陽も落ち、夕餉の時間も過ぎたこの時間、酒場は仕事帰りの男達で満席になっていた。そこかしこから酔っぱらい共のどすの利いた騒ぎ声が聞こえ、ブザンソンが興奮気味に話す声もざわめきの一つとして溶け込んでいた。誰も自分達には目もくれず、酒と食べ物と自分の話に夢中になっている。ジグリットは黙って席を立った。

「どこへ行く?」騎士が気づいて言った。

「用を足してくる」ジグリットは答えて、(テーブル)に立て掛けていた杖を手にすると、慣れた様子で混雑した机の間をすり抜けて行った。

 騎士がその背中を見ているのに気づいたが、ジグリットは振り返らず、店の外へ出た。壁沿いに迂回して、(かわや)の方へ向かう。

 酒場の向かいは広い通りになっていて、煉瓦(れんが)敷きの舗道は杖を突くには凸凹(でこぼこ)していたので、ジグリットは真下を見ながら跳ねるように歩いていた。そのとき、目の端をきらりとした光る何かが()ぎった。

 顔を上げ、通りの方を見たジグリットの真横を荷馬車がゆっくりとした速度で通り過ぎて行く。荷馬車に遮られて、通りの向こう側が一瞬見えなくなったが、再度眺めた場所には暖簾のれんの下がった飲食店や酒場と、その前を行き交う酔っぱらい達が数人歩いているだけで、気に留めるようなものは何もなかった。

 ジグリットは立ち止まったまま首を傾げ、それから見間違いだったのだと納得して、また杖を突きながら歩き出した。



 荷馬車が通りの砂埃を巻き上げると、ドリスティは白い外套(コート)を手で何度か払って文句を言った。

「もう! だから下町を歩くのは嫌なのよ!」

 それでなくとも、この時間帯は酒場に向かうごろつき共が多くて不用心なのだ。絡まれやすいドリスティにとっては、余程の用件がなければ通りたくない場所だった。だが、ここにしかない店へ用事を頼まれたのだから仕方がない。

 長い金髪を後ろで一括りにし、白い外套に白い手袋と身なりも整っているこの青年は、誰が見ても場末の飲み屋街にいるような人間には見えなかった。貴族然とした格好と歩き方で、長い手足と外套の裾を翻しながら、颯爽と歩いて行く。足早なのは、この通りの空気を吸うのが嫌だったからだ。安酒(やすざけ)と汚物と焼いた肉の匂い、それらが混ざり合って、ドリスティの胸をむかむかさせる。

 ドリスティは酒場通りから街の中心地にある学士院の方へと急いでいた。用事を頼んできた人物は気が長い方ではない。一応、彼に使われている身としては、機嫌を損ねたくはない。それに、ドリスティは下げている買い物籠の中身を思って溜め息をついた。

 高価な物を持つのは慣れているが、これ一冊で自分の給料ひと月分だと聞けば、さすがに早く持ち主に渡したかった。フェアアーラは他の街に比べて治安がいい方だが、それでも夜が安全とは言えない。

 ドリスティは学士院の所蔵本にもなっている古書を籠に入れていた。古くなったため製本工房(ルリュール)に出していたものが直され、戻ってきたのだ。元の持ち主であるマネスラーは、この本を学士院に寄贈したのだが、それでも背表紙が外れたり、汚れたりすると、彼自身がこまめに工房に出して直させていた。

 書物が貴重な物であるのは確かだが、マネスラーは異様なまでにそれらを大切にしていた。恐ろしいことに、人間よりも本の方が価値があるとでも思っているようだった。

 ドリスティは籠を胸に抱えると、小走りになった。学士院の近くにあるマネスラーの屋敷に、彼は護衛として雇われていた。タザリア王国から逃げ出して、もう一年以上になる。ドリスティ自身の実家であるディッシュ家には、一度も戻っていなかった。

 ディッシュ家には家を継いでくれる弟がいて、元々自分の居場所などないも同然だったし、心配している母には悪いが、父とうまくやっていく自信もなかった。

 それに、マネスラーの許にいれば、その後のタザリアのことを何か聞けるかもしれないという僅かな望みもあった。ドリスティ達を小舟に載せてアンバー湖から逃がしてくれた冬将の騎士のことや、それからゲルシュタイン帝国の軍に連れ去られた少年王のこと。ドリスティにはいまだ、そのことが昨日のことのように、まざまざと思い出された。

 リネア妃が弟であるジューヌを殺さず、監禁していようと、どうにか生かしておいてくれればと、ドリスティは毎日、少女神(コレツェオス)の像を前に祈っていた。バスカニオン教も主も、信じたことなどないが、少年王が礼拝堂で少女神の像を愛おしげに見つめていたことを思い出すと、ドリスティは少女神にだけは祈ることができた。

 ドリスティは暗い夜空を見上げた。冷えた夜風が外套をはためかせ、彼の長い尾のような髪が(なび)いた。そして、白い外套の胸元に着けたままの黒き炎の徽章が街灯に照り、銀色にきらりと光った。まだそれを外すことはできなかった。


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