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続タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
地底の魔学者
12/14

3-2

 ようやく戻ってきたマスグレアとジョーンズは、やはりジグリットらしき片足の少年を見つけることができず、ナターシとノバックのいる席に来ると、高級な蒸留酒(ウイスキー)を浴びるように飲み始めた。彼らはリネア妃から貰った仕事の前金をすべて酒代にするつもりのようだった。ナターシは冷ややかにそれを見ると、さっさと一人、二階に上がった。

 マスグレアは枯れ草色の髪をした大柄だがまだ二十代にもなっていない若者で、ジョーンズは彼の従兄弟(いとこ)だ。黒髪のこれまたがっしりとした体格のジョーンズは、元々ゲルシュタイン帝国の軍にいた傭兵(ようへい)で、ノバックの傭兵部隊の部下の一人だった。

 ゲルシュタイン帝国には他国より規模の大きな傭兵のみの軍が敷かれている。傭兵隊長だったノバックは、後任として入った元タザリアの近衛隊隊長だったフツ・エバンと交代に職を退き、気楽な隠居生活を過ごしていたが、リネア妃の呼び出しに参じ、逃亡したタザリア王を内密に見つけ出し、連れ戻すよう言いつけられていた。

 ナターシはそう聞いている。実際、リネアとノバックがどういう話し合いをしたのかは知らないが、彼がそれなりの報酬を約束されてその任に就いたことは疑っていなかった。マスグレアとジョーンズを仲間として連れて来たのもノバックだった。

 ナターシはその追跡班に加えてもらい、金銭的な問題なしに、こうして私怨を胸に、ジグリットを追うことができていた。ただし、ノバックたちが生きたままジグリットをゲルシュタインに連れ戻そうとしているのとは違い、ナターシの目的はただ一つ、家族を殺した(かたき)を殺すことだ。その後、リネアの怒りを買おうと、自分がどうなろうと、どうでもよかった。

 酒場の上階には旅商人のための寝台(ベッド)と小さな机だけが置かれた狭苦しい小部屋が並んでいた。ナターシはその一室に入り、申し訳程度についた戸の(かんぬき)を閉め、寝台に転がった。だが、すぐに躰を起こして端に座り直した。

 あれだけ飲んだはずの麦酒(エール)の酔いが、黄昏月(あき)の冷えた夜気に飛んでいき、板張りの壁の隙間から入り込んできた風にナターシは身震いした。

 ――ここは砂漠とも、フランシェサイズとも違う。

 ナターシは別れてきた人たちのことを思った。

 アルケナシュ公国のフランチェサイズのバルメトラ、そして少女神(コレツェオス)のアンブロシアーナ。いや、その名よりはジャサスと呼んだ方がしっくりくる。明るく陽気なあの街で、二人は今も元気に幸せに生きているだろうか、と。

 それから、大切なこの世にたった一人、心を許した砂漠に立つ男のことを。

 ――あの人はきっと、ものすごく怒っているだろう。

 けれど、こうする以外にどうすればよかったのか、ナターシにはわからなかった。彼女のジグリットに対する憎悪と復讐心は、誰にも理解されない。家族を殺された者、その身を生きたまま焼かれた者にしか、本当に理解できるはずもない。

 ――ジグリットを冥府に送ったら、あたしは砂漠に戻ろう。そして一生、あの人の側にいるんだ。

 それが自分の幸せに違いなかった。フツは出て行ったことを怒っているだろうが、戻ればきっと許してくれるはずだ。ジグリットを始末したと言ったら、彼はむしろ喜ぶだろう。彼にとっても、ジグリットは生きていてはならない人間なのだから。

 ナターシは寝台から立ち上がり、枠のがたついた鎧戸(よろいど)を開け、窓から街を見下ろした。薄汚い小路に人通りはなかったが、家々の煙突(えんとつ)から生活の匂いのする白煙が立ち昇り、赤ん坊の泣き声、子供達の騒ぐ声、酒場から流れる楽器の音がした。みんな、ただただ幸せそうに思えた。人を殺すために爪を研ぎ、息をしている人間なんて、どこにも存在しないようだった。

 ナターシは白い石膏の仮面を外し、赤く焼けた貌を顕わにした。醜くおぞましいこの容姿を、恥ずかしげもなく晒すことができるのはフツとバルメトラの前だけだった。ジャサスにさえ、彼女は羞恥を感じた。陶器のように滑らかな染み一つない肌を見ると、自分の有り様が後ろめたく感じた。

 出自もわからぬ孤児であること、盗みを働いて生きていたこと、そして仲間に裏切られ醜い容貌にされたこと、すべてが、その何もかもが、ジャサスとは違っていた。

 ――ああ、早く終わらせたい・・・。

 ジグリットさえ殺せば、この怨恨にどす黒く染まった心が解放され、自由になれるはずだ。ジャサスのような純真な笑顔で生きていけるはずだ。バルメトラに再会し、心の底から感謝を述べ、彼女の赤ん坊を胸に抱くことができるはずだ。

 ――だから・・・・・・。

 ナターシは窓枠を掴み、ぎりぎりと爪を立てた。

 ――絶対にジグリットを殺さなきゃ。そうしなきゃならないのよ。

 爛れた頬を伝って、冷えた手の甲に涙の粒がぽとりと落ちた。その涙の温かさを彼女は感じられなかった。


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