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木賃宿の一階の酒場は日も暮れると、男達の饐えた汗とどすの利いたがなり声でいっぱいになっていた。ナターシは壁際の四人掛けの席につき、さして冷えてもいない麦酒をちびちびと喉に流し込んでいた。目の前に座った髯面の男は、しかめ面で不味そうに硬い鶏肉を噛み千切っている。
ナターシが酒の杯を置くと、男が言った。
「あいつら遅いな、何やってんだか」
ナターシは応えず、ただ視線だけを上げた。その眸を見たノバックが、鶏肉を皿に置き、肩を竦める。
「ナターシ、怒ってもしょうがねぇだろう。あいつらだって、一日中移動やら街での捜索やらで疲れてんだ。どこかで息抜きしてたって責めるなよ」
ナターシはノバックの灰色の眸をさらに鋭く睨みつけた。
――疲れてる? ただ馬の上で居眠りしてただけでしょう。
――今日だってちゃんと捜索しているか、怪しいものじゃない。
苛立ちを隠そうともせず、彼女は空になった杯をノバックの方へ押しつけた。
「へぇへぇ。おかわりですね」
ノバックの方が齢は二十近く上だったが、彼はナターシの代わりに杯を持ち上げ、給仕に合図した。
机に肘をつき、ナターシが前に乗り出しながら言う。
「また移動される前に見つけないと・・・」
ノバックは苦笑いを浮かべた。なぜなら、それを彼女が言うのは少なくとも三度目だったからだ。
「ああ、わかってる」ノバックは眸と同じ灰色の頭をぼりぼりと掻いた。「でも今日はもうよしとこうぜ。あいつらが戻ってきたら、部屋に上がって寝ちまおう」
ナターシが何か言い返す前に、ノバックは口元を緩めて彼女に微笑んだ。
反論しようと口を開けたものの、ノバックの宥めるような顔を見たナターシは告げるのを止め、ただ溜め息を返した。
男の髪にはところどころ白いものが混じり、疲労感が目尻の皺に現れていた。ゲルシュタイン帝国を経ったのが随分、前のことのように思えるが、実際には彼らは軍馬のごとく猛然とした速度でナフタバンナ王国へ赴き、そこでリネア妃からの連絡が届くや否や、ここウァッリス公国に引き返していた。
ジグリットの動向をつぶさに把握できるというリネア妃のおかげで、ナターシは男達を連れ、東に南にと無駄なく仇を追跡することができていた。今はこのフェアアーラの街にジグリットがいることがわかっている。
給仕の女がナターシの麦酒を持ってくると、彼女は無言でそれをまたがぶがぶと喉に流し込んだ。
ノバックが言っていることはその通りだ。焦っても仕方がない。それに、彼女自身、当然のことだが疲れていた。ナフタバンナからこっち、ろくな睡眠を摂れていない。それどころか、食事もまともにしていなかった。焦燥感ばかりが募って、ナターシは居ても立ってもいられない気持ちだった。
ジグリットを見つけたら、どうしてやろうか、そのことばかりが頭を過ぎっていた。
――・・・・・・ジグリット。
思い出す彼の顔は、まだ子供のものだった。
――今はどんな顔なの? わたしは・・・・・・。
彼女は自分の貌を半分隠している白い仮面に触れた。焼け爛れたこの醜い顔を見せたら、彼はどんな表情をするだろう。なんて言うだろう。
ナターシは半分に減った麦酒の杯を机に置くと、ふふっと自嘲ぎみに笑った。
ノバックはその笑い声に皿から顔を上げ、薄暗い店の明かりに照った彼女のぎらついた眸を見ると、また黙って不味い鶏肉に視線を戻した。ナターシが冥府の屍鬼に憑りつかれたように、恐ろしい表情をしていると、ノバックは今すぐこの仕事を放り出して国に戻りたいと思うのだが、彼女が時に悲しそうに自分の仮面を撫でているのを見ると、気の毒な少女の境遇に憐みを感じ、復讐を果たしてやろうとも思うのだった。




