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「そいつ、最近は寝てばかりになっちまってな」ブザンソンが肩を竦めながら言う。
ジグリットは小さく「そうなのか」と樽を覗き込みながら答えた。
ヴェネジネには血の城でリネアの醜悪な嫌がらせで塞ぎ込んでいた気分を癒してもらったり、脱出する際に手伝ってもらったことがある。
ジグリットは樽から顔を上げ、ブザンソンの方を振り返った。
「練成人形がいるってことは、魔道具使いに知り合いがいるんだろ?」
「まぁな」ブザンソンが頷く。「でも、その魔道具使いを雇いたいってんなら、無理だぜ」
「どうして?」
練成人形を貸してもらえるのだから、ブザンソンとその魔道具使いは既知の仲のはずだ。ジグリットの問いかけに、ブザンソンは口元をゆがめた。
「そいつは遠くにいる。かなり遠くに」強調するように、ブザンソンは「遠くに」と繰り返した。
「連れて来れないのか?」今度はファン・ダルタが訊ねる。
「無理だな」ブザンソンが首を横に振る。「というより、雇うという前提がまず無理だ。その魔道具使いには仕えている人間がいるんだよ。魔道具使いは二人の人間に仕えたりはしないんだ」
「そうか・・・・・・」ジグリットはファン・ダルタの隣に戻って腰を下ろした。
魔道具使いを雇えなければ、ここに来た意味がない。ナフタバンナを陥落させるために、絶対に必要なのだ。ナフタバンナ王の側にいる魔道具使いボクス・ウォナガンのことを考えたジグリットの表情は自然と厳しくなった。
すると、向かいに座っていたブザンソンがぼそりと言った。
「でもまぁ、金次第だな」
「えっ? いま無理だって・・・・・・」
「その魔道具使いはな」ブザンソンが渋る顔で告げる。
「他にもいるのか?」
「まぁ・・・・・・一人・・・? いるような、いないような・・・・・・」なぜかブザンソンの態度は煮え切らない。
ジグリットが「その人は誰にも仕えてないのか?」と訊ねると、ブザンソンはそれには大きく頷いた。
「ああ、それだけは確かだ。やつは誰にも仕えない」
「誰にも仕えない?」
ジグリットだけでなく、ファン・ダルタも興味深げにブザンソンを見た。
そのとき、階下から足音が上がって来て、三人は口を噤んだ。花柄の上下衣を着た女性がお茶を運んで来たのだ。カディマは円卓を囲んで座り込んでいる男三人に顔をしかめた。
「むさくるしいわねぇ。男三人、こそこそ何を話してんさ」
「いいからおまえはそれを置いたらさっさと下りてけ」ブザンソンがしっしっと追い払うように手を振る。
カディマは紅茶の入った木の杯を三つ置くと、去り際にブザンソンの背中を軽く蹴り飛ばし、ふんっと鼻を鳴らして下りて行った。
ブザンソンが蹴られた背中を擦りながら、話の続きを始める。
「ヤツは一風変わってて、魔道具を使えるが、人に仕えたりはしない」
「それでは話にならない」ファン・ダルタが眉を寄せた。
「そうだよ。こっちは雇いたいんだ」ジグリットも気が抜けた表情になった。
雇われ人が雇い主の言うことを聞いてくれなければ、雇う意味がない。
「う~~ん」とブザンソンは唸った。「一応紹介はしてやれる。けど、その先のことはおまえ次第ってことなんだ」
「つまり、自分で交渉しろってことか?」
「よくできましたー! はい、ジグリット君に一ルバント!」
パチパチと笑顔で拍手され、ジグリットは大きな溜め息をついた。
「わかったよ。それでいい。で、その人はどこにいるんだ?」
「この近くだ。待ってろ、地図を・・・」座布団から立ち上がり、ブザンソンは部屋の隅に行くと、古い箪笥の引き出しを開けながら、「ええっと」とか「くそっ、どこだ?」と呟きながら中を掻き回し始めた。
ようやく見つけた地図をブザンソンが円卓に広げる。
「地図ではここだ」ブザンソンの長い指先が一点を指すと、ジグリットとファン・ダルタは揃って苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ジグリット、どう見ても林のど真ん中だぞ」
「みたいだね」
ファン・ダルタに続いて、ジグリットもうんざりした声になる。
ブザンソンが指差した地点は、フェアアーラの街から郊外に離れた山の中だった。近くに村があるようだが、今から発っても着くのは明日以降になるだろう。
ブザンソンは地図から指を離し、にこやかな笑顔で頷いた。
「じゃあ次は情報料と案内料金について話をしようぜ!」
活き活きとしているブザンソンにジグリットは冷たい眸を向けた。
「案内料金ってどういうことだ?」
ブザンソンは満面の笑みで言った。
「もちろんおれっちの案内がなきゃあ、ヤツのところには辿り着けないんだからな。案内料金ははずんでもらうぜ。山登りって大変だよなぁ。この時期は寒いしなぁ。忙しい中、時間を割いて案内しなきゃなぁ」
「・・・・・・」
厭味ったらしい言い草のブザンソンを、この守銭奴め! と心の中で罵りつつ、ジグリットは腰に下げた巾着袋の中身に少しばかり不安を覚えた。




