同居生活
夜鵠との生活が始まってみれば、夜鵠はあまり家の中にいることはなかった。
夜鵠は朝起き、しばらく家の中にいた後、日が高く昇れば外に出て行って、森の木の枝に座り空を眺めたり何か考え事をしているようだった。
夜になれば、ふらりと帰ってきて部屋の隅に座り、目を閉じているか、屋根の上に上り星を眺めていた。
ことははそんな夜鵠にどのように接していいのかわからず、初日に夜鵠の食事をつくろうとして、妖に食事は必要ないと断られた後、あまり会話もなく日々は過ぎていった。
それから数日経ち、夜家に帰って来た夜鵠に、勇気を出して声をかけてみる。
「あの、夜鵠さんは何という妖なんですか…?」
突然話しかけられた夜鵠だが、あまり動揺した風もなく答える。
「烏天狗、と呼ばれていた。」
「烏天狗…。烏……あ、だから翼があるんですね。」
「そうだ。」
ことはは、夜鵠の背にある漆黒の翼に、視線を向ける。
ことははそのつやつやとした翼を見て、つい手を伸ばしてしまう。
指先が翼に触れるとぴくりと翼が震え、夜鵠が驚いたようにことはを振り返る。
「あ、ご、ごめんなさい。勝手に触ってしまって…。あまりにも綺麗だったから…。嫌でしたか…?」
夜鵠は少しぎこちなく、身じろぐ。
「いや…。」
その言葉を聞いて、ことはは、ほっと胸を撫で下ろす。
だが、夜鵠の翼に触れたいという誘惑は強く、夜鵠が動くたびに、揺れる翼を目で追ってしまった。
しばらくして、夜鵠が困ったようにこちらを見た。
「そのように、じっと見られると困るのだが…。」
「ごめんなさい…!つ、つい…。」
夜鵠はその言葉に困惑した顔をする。
「夜鵠さんは、髪も翼も黒くて、とても綺麗。それに、その瑠璃色の瞳、私とても好きなんです。」
ふわりと、ことはは笑う。
その笑顔は、何の打算もない純粋なもので、夜鵠にはとても眩しかった。
それを見つめることが出来ずに、そっと目を逸らした夜鵠は小さな声で言う。
「触りたいのならば、好きにしろ。」
「え…?」
言われた言葉をすぐに出来ず、聞き返す形になってしまう。
「好きにしろと言ったんだ。俺の気が変わらぬうちに早くしろ。」
夜鵠はフイ、と顔を逸らす。
「え、いいんですか…?本当に…?」
驚いて、問い返すと少し不機嫌な声が帰ってくる。
「触る気がないのなら触らなければいい。俺は好きにしろ、といったんだ。」
ことははその言葉を理解すると、なんだかとてもうれしくなった。
「ありがとうございます。…触らせて、もらいます。」
そういって、そっと夜鵠の背にある翼に手を伸ばす。
触れれば翼がピクリとするが、拒絶はなかった。
夜鵠の翼はさらさらとした触り心地で、感触はふわふわとしており、触っていてとても気持ちがいい。
しばらく触って、そっとことはは手を離す。名残惜しいが、あまりべたべた触っても夜鵠は嫌がるだろうと思ってのことだ。
「本当に、ありがとうございました。」
「そうか。気はすんだか?」
「はいっ。」
そういうことはを見て、夜鵠は壁際に行ってさっさと目を閉じてしまう。
疲れているのだろうかと、ことはは思い極力音をたてないようにして、蝋燭の火を消し、自分も布団に入る。
規則正しい寝息が聞こえて来た頃、夜鵠は目をそっと開き、ことはの事を見る。
この少女は、己に何の打算もなく、触れてきた。
そのような触れ合いは、ここ数百年なかった。
夜鵠にはその触れ合いはくすぐったく、また、とても懐かしいものだ。
人を恨み、呪い、信じることを諦めた心にするりと滑り込み、春の風のように心を優しく包み込む。
夜鵠は、人間がとても嫌いだった。恨み、憎むほど、嫌いだったのだ。
だが、この少女には今まで夜鵠を呼び出した者たちと違い、憎しみの気持ちを持つ事が出来ない。
少女は夜鵠に純粋に笑いかけ、そして夜鵠をきれいだと、心から言うのだ。
そのようなものに、どうして憎しみの思いを抱けようか。
「そなたは何も知らない。故に、俺に対してこのように接することが出来るのだろうな。」
小さく、とても悲しげに微笑む。
少女は己のことを知れば、今のような笑顔や言葉をかけることはないだろうと、諦めのような気持ちが渦巻くのが夜鵠にはわかった。
いつか、変わっていくであろう少女を見て、そっと髪に触れた。
その髪は黒く艶やかで、さらりと手から零れ落ちた。
零れ落ちた髪を見て、小さく苦笑いをして夜鵠は家を出る。
今は外に居たい。光ひとつ入らない闇に溶けていたかった。
夜鵠は夜の闇の中に消えていった。




