黒の翼をもつ青年
その瞬間、強い風が吹いた。
驚き目を開いたことはの視界に、黒い霧のようなものが現れ、その霧が晴れたと思ったら目の前に大きな黒い羽があった。
「な…!きさま、私の獲物を横取りする気か…!」
先ほどの、強い風によって吹き飛ばされたらしい女の妖達の声が、少し遠くで聞こえた。
だが、黒い羽根はそんなことを気にする様子もなく、こちらを振り返る。
黒い羽の正体は、背中に翼をもつ青年だった。
古風な狩衣をまとい、長く艶やかな黒髪が背中を流れている。人ならざる者が故の美しさか、青年のその顔はとても整っていた。
あまり、人の顔の良し悪しがわからないことはでも、見惚れてしまうほど美しい。
だが、何よりことはの目を引いたのは瑠璃色の瞳だ。
その瞳はどこまでも、深く澄んだ美しい色をしていた。
しかし、ことはには無表情な青年の瞳に深い悲しみの色が宿っているのを感じた。
ふと、その瑠璃色の瞳がことはを映す。
「俺を呼び出したのは、お前か?」
淡々とした、感情の感じられない声で青年は問う。
「呼び、出した…?」
ことはは青年が何を言っているのかわからず、青年に問われたことをそのまま返すことしかできない。
そんな会話になっていない二人の会話を聞いて、妖達は騒ぎ出す。
「おのれぇ!その娘を寄こせぇ!邪魔をするのならば、きさまも食ろうてやる!」
青年に、完全に無視をされて、怒り心頭という様子で青年に襲い掛かかるのが見えた。
「危ないっ…!」
ことはは思わず声をあげるが、青年は動かない。
ダメだ、と思い強く目を閉じる。
だが、いくらたっても、音はない。青年を傷つける音も、傷つけられた青年が痛みに苦しむ声も。
そろりと目を開けば、そこには飛びかかった体制で、金縛りにあったかのように動かない妖達と、その妖達をゆっくり振り返る青年の姿があった。
「勝負を挑む前に相手の力量を見極めろ。でなければ無駄に命を散らすことになる。お前たちでは束になってかかってきても俺にはかなわぬ。引け。命を無駄にするな。」
青年は大きな声で言っているわけでも、怒鳴っているわけでもなかったのに、その声には圧倒的な強さと力があった。
妖達もそれを感じ取ったかのように、いや、妖達の方がそれを強く感じ取ったようで、一目散に逃げていく。
その様子を、まるで現実でない世界を見ているかのような心地で、ことはは見ていた。
青年は妖達がいなくなった方を、しばらく見つめていた。
完全に妖達の気配が消えたところで青年はゆっくりと、ことはを振り返る。
ことはは青年をあらためて見るが、背にある大きな漆黒の翼や瑠璃色の瞳を持つ事からして、人間でないことは確かだった。
ことはは自然と手が震えるのを感じた。この青年も先ほど襲ってきた妖達と同じかもしれない。
今、襲ってくる気配はないが、いつ気が変わり襲ってくるかわからないのだ。




