封じ石を使うということ
数日の間ただひたすらに書庫で書を読む生活を、繰り返していたことはに、ある日満永が朝餉の時に、後で話しがあるから来てほしいと言った。
言われたとおりに、ことはが満永のいる部屋に行けば、そこには影霧がすでに控えていた。上座に座る満永がことはに、座るように言う。
これから、満永はことはに大切な話をするのだと、自然と理解する。
そのような話をしたのは、散歩の時に満永と珠森家の当主について、話をして以来だ。
それまでは、毎日の食事の時間に、他愛もない話しや春音の話しなどをしてくれたりと、
穏やかな時間を過ごしていた。
だから、その真剣な表情を見て、ことはは少し身構えた。
「突然呼んで悪かったね。」
「あ、いえ。大丈夫です。普段は書庫で書を読ませていただくことぐらいしかしてないので…。」
「そうか。この間の夕餉の時も書を読んでいると、言っていたね。何か面白い書でもあったかな?」
「あ……。はい、術についてとか、霊力についてとかの書を読んでいました。」
満永はことはの言葉に何か思うところがあるようだったが、笑顔を崩さない。
「そうか。霊力についての知識を知ってくれるのは、私としてはすごくうれしいよ。」
「はい…。」
「それで、どんなことが分かった?」
そう問われれば、ことはは必死に考えを巡らせて、思いつく限りのことを言う。
「えっと、術師の家がどうやって出来て来たのかとか、今は領主様にお仕えしている家もあるってこととか、後……、あの…、」
そこで、頭に浮かんだものを口にするか、悩む。
書庫で主に調べていたのは、夜鵠についてだ。後ろめたい内容ではないとは思うが、なんとなく口ごもってしまう。
「もしかして、封じ石の妖のこと?」
言い淀んでいれば満永は、ことはの言いたいことを理解したようだ。
「はい。そうです……。」
「そうか。じゃあ、ある程度はもう知っているという事だね。それなら話は早いな。今から、ことはには封じ石の妖を従わせてもらおうと思ってる。」
「え……?」
「難しい事ではない。ことはは封じ石の主だから、他の術師よりも比較的簡単に扱うことが出来る。今から、扱い方を教えるから。影霧。」
満永が控えていた影霧に声をかけると、影霧はすっと立ち上がって、ことはの隣に膝をつき、封じ石をことはに差し出した。
「ことは様、お持ちください。妖を従わせるためにはこの石が必要ですので。」
ことはは、戸惑いながらも受け取る。
久しぶりに触れた封じ石は、やはりひんやりとした温度をことはに伝えた。
「それじゃあ、説明していこうね。まずは、ことははどこまで、封じ石について知っているんだい?」
「えっと、……、昔、夜鵠さんが悪い事をしたから、大勢の術師によって封じられて、夜鵠さんは、とても強くてたくさんの人の命を奪う、怖い妖怪といわれてる……。それくらいです……。」
「そう。あの妖は残虐で、命を奪うことを厭わない。そんな妖だから、封じられたらしい。封じられた後も、命じられれば何の躊躇もなく、命を奪う恐ろしい妖。だけれど、とても強大な力を持っているから、封じ石に妖を封じた人たちは、妖を御するための仕掛けをいくつか組み込んだ。」
「仕掛け?」
「その仕掛けっていうのが、今からことはに知ってもらいたいものなんだ。今から言うから、よく聞くんだよ。」
ついに、夜鵠の封じ石の秘密についての核心を知ることが出来ると思い、ことはは知らず知らず、緊張し唾を飲み込む。
「封じ石を持ち、妖に自分のもとに来るように心の中でも言葉に出してもいいから、命じれば封じ石の力によって妖をどこにいようと呼び出すことが出来る。それが一つ目。二つ目に、その封じ石の持ち主は妖に罰を与えることが出来る。これは逆らったり、危害を加えようとした時とかに使う。」
「罰……。もしかして、影霧さんがうちに来た時に使ったのって……。」
ことはが影霧を見てまさかと思っていると、影霧が答ええる。
「はい。あれが、妖への罰です。私は封じ石の主ではありませんが、術の心得がありますので、封じ石の力を多少行使することが出来ます。」
「罰って……、苦しくなる、とかですか…?」
夜鵠は罰を受けた時に、とても苦しそうに胸を押さえて蹲っていた。
「伝わっている話では、身体に激痛を与え胸に苦しみを感じさせることが出来ると言われている。だけれど、それは伝わっているだけだから、罰を受けた本人でないとどんな感じなのかは、はっきりとわからない。」
ことはの疑問に満永が答える。
「罰を与えることによって今までの封じ石の主たちは、妖を御してきた。ことはには、これからそれをしてもらいたい。」
そう続けられた満永の言葉に、ことはは動揺する。
「御するって…。罰を与えて、ですか……?」
「いや、突然罰を与える必要はない。今からここに呼び出して妖に自分に従うように、言う。それで承知したと言えば、何もしなくていい。だけど、もしも抵抗するようならば、罰を与えて承知させる。私や影霧も手伝うから、心配しなくていいよ。」
「で、でも!夜鵠さんは、そんな悪い妖じゃないと、思います……。だって、私を助けてくれたんだから……。」
「ことは。あの妖は恐ろしい妖なんだよ。だから、油断してはいけない。知性があるのだから、人を騙す可能性だって十分ある。言い伝えによると、封じ石の持ち主を殺めたこともあるという。だから、あの妖に心を許してはいけない。」
言い聞かせるように言われてしまえば、ことははそうなのかもしれないと、夜鵠を信じる気持ちが消えていく。
「だから、ここに呼んで、抵抗した場合は迷ってはいけない。わかった?」
「……、はい……。」
小さくつぶやくように答えたる。
今はもう、ことはの中には、夜鵠への疑心と恐怖しか、なかった。
そんなに怖い妖怪、放っておいてはいけないんだろう。きっと、満永の言うように力を持ってねじ伏せ、無理やり従わせるのも仕方がない事なんじゃないだろうか。それをことはが出来るというのなら…、ことはが夜鵠を従わせることで、たくさんの命を救えるというのなら……。
そうことはが決意したのを見て、満永はうなずきそれじゃあ、と影霧に視線で合図をする。
「さっそく、妖を呼んで従わせていこう。呼び出し方も罰の与え方も、ただ石に祈るだけで大丈夫だから。……影霧、何かあった時はことはを守るように。」
「承知いたしました。」
前半部分はことはに。後半部分は向けて満永は言った。
「それじゃあ、妖をこの結界の中に入れるようにしたから、妖を呼んでいいよ。」
ことはは、小さく頷く。
「…夜鵠さん、来てください…。」
自分で従わせると、決めたのに後ろめたい気持ちが夜鵠を呼ぶ声を小さくさせた。
それでも、石の所有者の呼びかけとしては十分だった。
ことは達の目の前に、黒い霧のようなものが現れる。だが、すぐにその霧はすぐに晴れて、さっきまで霧のあった場所には、夜鵠が立っていた。
夜鵠は、部屋の中を見渡し、満永、影霧、ことはの順に視界にとらえた。
ふっと、その視線がことはをとらえた時に、止まる。
その瞳には、拒絶と憎しみと諦め、そして……少しの恐怖が浮かんでいた。
ことはは、その瞳を見て胸がずきりと痛んだ。
―――――夜鵠さんのこんな瞳、見たくなかった…。―――――――
なにかを言いたかったが、ことはは何も言えなかった。何を言っていいのかわからない。何と言っていいのか、自分が何を言いたいのか、わからなかった。
そんなことはを見ていたが、夜鵠は何も言わず、ゆっくりと一つ瞬いて、ことはから視線をはずすと、部屋の端まで行き壁に背を預け、満永を見やる。
「で、俺を呼んだからには、何かあるのだろう?」
その声には、感情が感じられなかった。
「ああ。君には、ことはの従者になってもらう。この子は珠森家の子だ。いずれ多くの妖から狙われる。だから、そばにいて常に守る存在が必要なんだ。だから、これからことはのそばに常にいて、守るんだ。」
夜鵠はその言葉を聞いて、目を細める。
「断る、といったら?」
「それならば、仕方がない。実力行使で従わせるだけだ。」
満永がちらりと、ことはを見る。
その視線を受けて、ことはは身を固くする。満永は夜鵠に罰を与えろと、言っているのだ。
いざその時になれば、ことはは躊躇する。
夜鵠への罪悪感も、もちろんあるが、自分が誰かを脅し、傷つける事への恐怖の方が大きい。
その恐怖は、相手を思っての事ではなく、自分は汚いことはやりたくない、自分は綺麗でいたい。そういう保身からくるものなのだ。何と、醜い心なのだろうか。
夜鵠は満永の視線を追って、静かにことはを見た。
「……お前も、俺を力で従わせるか?俺に罰を与え、有無を言わせず、命令を下すか。……やはり、人間はどいつも変わらぬな。」
軽蔑するように、冷ややかに笑った。
「わ、私は……、」
「そなたも、今まで俺を従わせた人間と同じだ。己のために、俺を使うのだから。嫌がろうと何を言おうと無理やり、な。」
否定の言葉を、とっさに言おうとした。だが、声にならなかった。
夜鵠の言葉の何が違うというのだろうか。自分は、夜鵠のことを恐れ、凶悪な妖だと思い、従わせようとした。夜鵠が本当に凶悪かどうか今は真実はわからない。だけれど、夜鵠の言う無理やり従わせようとした、という言葉は事実だ。違うなど言えない。
何も言わないことはを見ていたが、すぐに興味を無くしたように、視線が外れる。
そして夜鵠は、背を預けていた壁から離れ、満永を見る。
「俺は無駄な抵抗をするつもりはない。言う通りにしよう。それで満足か?」
「ああ。きちんと役目を果たしてくれるならいい。」
「それで、話しは終わりか?それとも、まだ何か命じるか?」
「いや。今はいい。もう外に行け。」
満永の追い払うような言葉を聞いて、夜鵠はその場から立ち去ろうとした。
だが、立ち去る前に、自嘲的に呟く声が聞こえた。
「俺は、いつの間にやら、愚かな希望を抱いていたんだな……。あのまま、静かに生きていけるのではないか、など叶わぬことだとわかっていたのにな。それでもと、思ってしまった……。本当に俺は愚かだった。」
最後の方は夜鵠を覆った黒い霧の中から、ほんの小さな声で聞こえてきた声だった。だが、ことはには、その声はしっかりと届く。
その言葉を聞いて、ああ、自分は間違ってしまったのだ、と気づいた。
――――どうして私は、こんなことをしてしまったの……!夜鵠さんが本当に、無差
別にたくさんの人を殺すところなんて、見たわけじゃなかったのに。私は伝承や噂を信じて、無理やり従わせることを選んでしまった。そのことで、どれだけ夜鵠さんが傷つくか、気が付かないで……!私、馬鹿だ……!―――――
今さらになって、強い後悔が湧き上がってくる。だが、すべてはもう遅い。




